本山らのの災難

七条ミル

本山らのの災難

「ではでは、さよならの~」


 配信ソフトの停止ボタンを押す。

 ふう、と一息ついたらのは、椅子の背もたれに身体を預けた。

「配信は、楽しいけど疲れちゃいますね……」

 配信前に用意していた生茶のペットボトルはもう空。らのは手許の冷蔵庫を開けた。

「あれ? 生茶、もう無くなっちゃったんだっけ」

 冷蔵庫の中に飲み物はもうない。日本酒も、そういえば昨日飲みきってしまったのだった。

「仕方ない、買いに行きますか……!」

 らのは身支度を始めた。配信用に着ていた和服を脱いで、JDオシャレコーデでキメる。冬だから、コートもマフラーも、そして手袋も忘れない。コンビニに行くだけだけれど。

 そして最後に――耳と尻尾を隠した。

「あぶないあぶない……」

 ちょっとだけおっちょこちょいな、らのであった。


 玄関を開けると冷たい風がひゅうと入ってきた。ちゃんとマフラーを着けて正解だったな、なんて思いながら、らのは家を出た。

 目的地は、勿論コンビニだ。吐く息が白いことに、もう何度目になるか分からない感動を抱きながら、らのは大通りに出る。往来する車の音を背景に、ゆっくりゆっくり歩く。生茶を買いに歩くのに、そんなに急いでいく必要なんてないのだ。だからって、ちんたらと歩けるほど暇かと聞かれると、まあそんなことはないんだけれど。レポートとか、就活とか、色々あるのだ。

 でも、頑張って配信したあとのこの時間くらいは。

「ゆっくりしてもいいかなぁ」

 なんて、思うのだ。

 コンビニはもう近い。あと百メートルも無いだろう。らのは少しだけ歩くペースを上げた。

 ピロリロという音と一緒にコンビニの中に入る。入ってすぐ右に曲がって、突き当りの飲み物コーナーを、ちょっと遠目に眺めてみる。生茶と決めているけれど、何か発見があるかもしれない。

 でも発見はなかったから、らのはケースの扉を開けて、二本生茶を手に取った。

 お酒は――また今度でいっか。

 そうしてらのは、鞄を少し重くして帰途についた。


 家の近くまで来て、なんだか妙な違和感を覚えた。今までに感じたことのない、不思議な感覚。まるで自分が別の世界に迷い込んでしまったかのような、そんな感覚だった。

 最初のは、階段。長い石段を上がるのはいつものことだけれど、少しだけ長いような気がした。次に覚えたのは、神社の鳥居をくぐるとき。鳥居の形が、ちょっと違うような気がした。その次は、絵馬掛け。昨日まで掛かっていたはずの絵馬が、一つも掛けられていなかった。最後は、人。

 否、人かどうかは定かではない。ただ、少なくとも人の容姿かたちはしている。妹ではない。背格好が違う。

 あれは。


 ――わたし?


 間違いない。尻尾と、耳と、それから後ろ髪。あの色は、自分のものと同じだ。それにあの服は、いつもらのが配信をするときに来ている着物だ。

 でも、どうして。

 普通に考えて、自分が分裂するなんてことがあるはずはない。少なくとも、本山らのは自分ひとりのはずなのだ。

 らのは自分の手をつきに透かして見た。

 それはごく普通の手で、いつも見ている自分の手だった。一安心して、もう一度前を向く。やっぱり、そこには自分と同じ見た目をした何かが居る。

 眼鏡が少し曇ったから、一瞬だけ外して、また着ける。

 やっぱり、そこには自分にそっくりの何かが立っていた。

 何度見たって、目を擦ったって、自分そっくりだ。

「……よし」

 らのは小さく息を飲んだ。意を決して、一歩ずつそのに近づく。

 こつ、こつ、と小さく、らのの履物の音だけが境内に響く。いつも聞いているはずの音は、こういうときに限って不気味に思えてくる。

 でも、ここで怖がって見ていたってどうにもならない気がするのだ。

 らのちゃんは一歩一歩石畳を踏みしめながら歩く。少しずつそれに近づいていく。これだけ近づいても、やはりなんだかわからない。自分のようにしか見えないのだ。

「あ、あの……」

 勇気を出して、らのは声を掛けた。

「なんですか?」

 振り向かない。でも声は、自分にそっくりだ。

「ここで、何をなさっているんですか……?」

「見ればわかるでしょう、お願いをしているのよ」

 自分らしい何かは、淡々と話している。恰も、感情を失ったかのように。それに、話し方が自分と少し違う。

「何を、お願いしているんですか?」

「何って決まっているでしょう」


 貴女になることよ。


 気づくと、見慣れた天井を見上げていた。これは、家の寝室だ。

「なんだったんだろ、今の……」

 夢、なのだろうか。らのは、パジャマを着ていた。

 らのは起き上がって、パソコンを置いている部屋に移った。パソコンの電源は切れている。スマホで確認してみると、自分が配信をしていたらしい痕跡も無かった。

 次に、居間に戻って冷蔵庫を開ける。いつもの、普通の冷蔵庫だった。飲み物と、食材や調味料が入っている。それから、お酒も。

「やっぱり、夢だったのかな」

 らのはそう思った。

 でも少しだけ怖くなって、らのは上着を羽織って外に出た。もし、神社に誰かが居たら厭だから。

 裏から見る鳥居はいつもと変わったところはない。絵馬も、いつも通り掛けられている。階段を上から眺めても、別になんてことはない、いつもの石段だった。

 でも、振り返るとそこには人が居た。出てきたときには気づかなかったけれど。

「あれ?」

 それは自分ではなかった。自分のよく知っている人。とても仲のいい人。自分を応援してくれて、自分も応援している人。

「厭な夢を見ちゃって」

 その人が笑うのを見て、らのもつられて笑う。

「私も、変な夢みちゃった」

 ゆっくり歩いて、その人の横に並ぶ。


「とんだ災難でしたよ、まったく」

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本山らのの災難 七条ミル @Shichijo_Miru

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