第40話 没落貴族
「城での生活はどうですかな?」
執事長と共に城内の階段を降りていると、そんな質問を投げかけられた。
「今のところは他の講義や仕事よりも宮廷マナーや儀礼の立ち振る舞いを覚える方が大変ですね」
まだ社交界に出るとかは無いが、将来的にはアルカに付いて出る可能性がある。
その際、自分の立ち振舞いでアルカの評価を下げないよう、少なくともマイナスが目に付かない程度には立ち振舞いを習得しておかねばならない。
この世界はそこまで堅苦しくはないという話だが、どの基準からそれを言っているのか不明なので全く楽観が出来ない。
宮廷儀礼のトップに居るような人達の言う「堅苦しくはない」は、たぶん儀礼なんぞ出来て当然の極めた人達が意図的に崩す気安さ的なものだろう。
どこにも安心出来る要素がない。
「そういえば良くない事になっていたらと聞き辛かったのですが、向こうで一緒にいた若い執事を未だに見かけませんが、彼はどうなったのですか?」
「御心配には及びません。彼は無事に脱出しております。ただ、帰る前に色々と寄り道をしてくるそうですので、まだしばらくは戻らないでしょうな」
「そうですか……とりあえず無事なら、良かったです」
先日のイシュタリカさんの言葉が思い起こされる。
本当に、知らない所で知り合いに死なれたりしたら嫌な気分になる。
どんな用事で寄り道しているのかは分からないが、早く無事な姿を見せて欲しい。
皆の無事な姿を見て初めて、俺の救出作戦が終了するのだ。
「そういえば話は変わりますが……自分が面会しても良いのでしょうか?」
実は本日は、宰相からの指示で執事長と共に地下の幽閉牢にて罪人と面会である。
もちろん俺がこの世界でわざわざ面会するような罪人は一人しかいない。
「事件の背景については裏付けを取っている最中でございますが、ラスト様から示唆された彼の者の出自の可能性については、私共では裏付けの取りようがございません。そこでラスト様の出番と相成った訳でございます」
「なるほど、確かに」
言われてみればその通りだ。
正体がどちら側の人間であるかは、はっきりさせておかねばなるまい。
それによっては……偽王子がこれからもまともな人生を続けられる可能性が出てくる訳だ。
しかし逆から言えば、俺の判断によって一人の人生を終わらせる可能性もある。
それ故に、確認は慎重に行わねばならない。
間違えましたごめんなさいでは済まされないのだ。
そんな、いつ慣れるのか分からない緊張に身を固めながら、地下牢への通路を進んでいると、曲がり角で人影と危うくぶつかりそうになった。
「おっと、これは失礼……む、お前は」
「おや、これはサムエル様。このような所でお会いするとは……もしや調書ですかな?」
「あ、え……まあ、そんなところだ。私の事より、レオニード殿も無事に戻って来られたようでなによりだ」
「ありがとうございます。しかし私の事など大した問題ではございません。私よりもサムエル様を始め、法務省の皆様も今回の件で日々ご多忙と伺っております」
執事長が先に話し始めたから俺は蚊帳の外かと思っていたが、会話しながら彼の情報を俺に伝えているのね。
さすが執事長。
将来的にアルカをフォローする立場として、こういう機転と配慮は見習いたい。
彼は法務省の人か。
一見すると法務省の役人というよりは、機械怪獣と戦うロボットとか作ってそうなヒステリックな科学者と言われた方が外見的には納得できる。
初対面の俺が「ヒステリック」という第一印象を持ってしまう辺り、なんとなく彼は神経質っぽく見える。ストレス多そう。
年齢は俺と同じくらいに見えるが……挨拶回りの時にどこかの執務室で見たような気がする。
ただ、実際に挨拶したのは各所の代表にだけだったから、さすがに他の人達の名前までは知らない。
「おっと、失礼いたしました。ラスト様、この方は法務省で
「……宮廷子爵のサムエル・マクコッキーだ」
自己紹介などしとうなかった……と言いたげな、不機嫌さを隠そうとしない自己紹介だった。
たぶん運だけで貴族になったような俺に反感を持っているのだろう。
今回の叙爵に肯定的な貴族は多いという話だが、否定的・懐疑的な貴族もいるという話も聞いている。
むしろ居ない方が不自然だから、いずれこういう態度をする者が現れるのは想定内である。
この世界での生活基盤を与えてくれた恩を裏切るつもりは無いので、こういう人に対しては最初は我慢しつつ時間をかけて信用を積み上げていくしかない。
そこに関しては、会社でも異世界でもあまり変わらない。
「このたび、不肖ながら準男爵の位を賜りましたラスト・マッキーデンでございます。未だ浅学菲才の身にて、何かと至らぬ点もあろうかと存じますが、今後ともよろしくお願い申し上げます」
俺は定番の台詞で対応する。
その答えに一応満足したのか、マクコッキー子爵は執事長と一言二言話して去って行った。
去り際に鼻息をフンと鳴らして行ったが。
俺の答えは社交辞令の定型文ではあるが、これは国会答弁でお飾り大臣が定型文のカンペを読む事とは意味が違ってくる。
貴族社会では、このような社交辞令を使いこなす事が貴族の教養を身に着けている者だ、と見る向きもあるのだ。
……平民の俺にはよく分からんが。
貴族の教養比べみたいな感じだろうか。
そういえば今でも論語とか孫子とかの古典から知識を引用すると、教養ある人だと見られる傾向がある。
たぶん貴族は代々の歴史と伝統を背負っているので、そういう歴史ある古典の知識に価値を置いているのだろう。
マクコッキー子爵の去り行く姿が見えなくなるのを待ってから、執事長に質問する。
「
「知らずに対応していたのですか……」
俺の質問に、執事長が呆れた顔をしていた。
だって貴族になったの三日前だから知らんし。
なんならこの世界に来てから、まだ四ヶ月も経っていない。
この世界において俺は、文字通り浅学なのだ。
「知らない事に対する戸惑いを全く感じませんでした。ラスト様は意外に図太いですな」
「……誉め言葉と受け取っておきますよ」
貴族になって日が浅い今の時点では、その人自身を知ることが肝心であって、上下さえ覚えておけば、他は後から覚えれば良い。
身分や肩書きは後から調べられるが、人となりはその場で感じ取るしかないからね。
ちなみに
ほーむしょーほーてんいんほーてんし……ほーほーほー……俺はフクロウか。
冗談はともかく、日本の法制局とか法務省の職員あたりに相当する仕事のようだ。
長い歴史がある国なので、法の運用や解釈が膨大に存在する。それらを整理したり、説明や注釈を付けて記録していく。地味だけど大事な仕事である。
俺も店長ではあったが、組織全体から見たポジション的には彼とさほど変わらないだろう。
そこに少しだけシンパシーを感じる。
まあ、千年の歴史がある国と、創業三十年程度のうちの会社を比較するのもアレだが。
「ところであの子爵様ですが……」
「どうかなされましたかな?」
改めて思い返せば、不機嫌な自己紹介のように見えたが、本当に不機嫌だったのだろうか?
貴族的対応に意識が行ってて、よく注視していなかったが……少し余裕が無いようにも感じられた。
それは機嫌からくるものか、体調からくるものか……あるいはその両方か?
「彼は……だいぶお疲れのようですね」
去り行く背中は丸まっているし、首も沈んでいる。
腰椎も後湾してそう……「疲れてる」と言うより「くたびれてる」と言った方が近い。
自律神経失調症かな?
おそらくデスクワークだろうから作業環境が身体に合っていないのだろうか。
歴史の長い国だから、昔からの環境がそのまま残ってそう。
作業環境を見直して改善した方が、効率も上がって国としても良いと思うんだがなあ。
まあ、リラクゼーションやってるうちの会社の事務所ですらそんな見直しをしていないのだから、まず改善される時は来ないのだろうが。
経費経費と世知辛いのは、どこの世界でも同じだ。
「ふむ……確かにあまりお元気そうには見えませんでしたな。しかしサムエル様は、家の事はともかく、ご本人に病気や怪我という話は聞いておりませんな」
「家の事?」
「マクコッキー子爵家は、先代がやらかすまでは伯爵家でした」
「え、降爵したんですか!?」
いわゆる没落貴族と言ったところか。
貴族は誇り高いらしいから、降爵というのは……大変だろうな、としか言葉が出て来ない。
「まあ、先代が賭博にのめり込み過ぎましてな」
「ギャンブル趣味は小遣いの範疇で止めろよ……」
「降爵は滅多にない事ですな。先代の借金と汚名で、内でも外でも肩身の狭い思いをしているようだと聞きますな」
それは……少し同情してしまう。
別の店舗の店長だった時、新人の不手際へのクレームがホテルと会社両方に行ってしまった事があり、上司と共にホテルへ謝罪に行った事がある。自分のせいではないが、店長である以上、責任は俺が受けねばならない。それが長としての責任だ。
彼もまた、マクコッキー子爵家の当主として、先代のやらかした責任を背負い、腐らず……いや、少し腐ってはいるが、地道に頑張っているのだろう。
心の中で、少し声援を送った。
「ちなみに、彼が我々のスケジュールを帝国に流した犯人ですな」
「そうなんで……えっ!?」
ちょ……なんで犯人もう分かってるの!?
いや、それよりも何で犯人野放しにしてるんですか!?
そんな軽いノリで言う事じゃないでしょう!?
「大きな魚が釣れると……良いですな」
執事長はニヤリと口端を上げて、そう呟いた。
彼にシンパシーを感じていた直後過ぎて、感情が追い付いてこない。
そんな俺を置き去りにしたまま、執事長はマクコッキー家の事情から始まり、動機や手引きに至る経緯をやたらと詳しく説明する。
先代の遺した莫大な借金と利子。借金先が他国である小ナーロッパ帝国の商会。
降爵にも懲りず「金は借りればいい」と、さらに隠れて借金をする隠居させられた先代。
見かねた上司が、せめてもの情けにと「当家の息子に君の娘を」と縁談を持ちかけてくれて、ようやく一筋の希望が見え始めた。その矢先、肝心の娘がよりにもよって商会の男に入れ込んでしまう。
借金の他、縁談そのものを人質に取られてしまう形となり、商会から「王家周りのスケジュールを」と要求され、それが偽王子事件へと繋がった……と。
聞いている内に、事情があまりに気の毒すぎて、内通への怒りよりも同情の方が先に立ってしまう。
本人は家の事情もあって神経質ではあるが、仕事自体は堅実なのだそうだ。
それなのに先代が酷過ぎてマジで笑えない。
……というか、これ間違いなく帝国側の浸透工作だろ。
さっき彼から感じた疲れは、精神的ストレスからくる自律神経失調症だったか。
振り向いたが、もうマクコッキー子爵の背は見えない。
あの背中の曲がり具合を不憫に思いながら、俺は地下への階段を降りて行った。
灰かぶりのラスト 夏目勘太郎 @reppu00
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