第5話 終の女神

 白い。


 真っ白だ。


 灼熱のブレスが、来たと思った瞬間には、もう呑まれていた。

 でも、何故それを知覚できているのだろう?

 走馬灯という奴だろうか。

 それとも死の直前は時間の流れが遅く感じる……とかの、漫画で見るアレなのだろうか。


 否。


 影があった。

 背後から放たれた灼熱の吐息。

 全てが真っ白になったと思ったが、倒れた俺を影が覆っていた。


「間に合いましたね」


 聞き覚えのある声に、はっと振り向いた。

 白い輝きの中で、その影はただ立っていた。


「遅れてごめんなさい。でも、もう大丈夫だから安心して」


 影は、振り返って小さく微笑んだ。

 その微笑は、様々な感情が入り混じった、ひどく儚げな笑みにも見えた。


 ――なんだ、間に合ってしまったのか。まあいい。


 再びドラゴンの言葉が脳内に響くと、灼熱の輝きは一瞬で消滅した。

 周囲は草一本燃えるどころか焦げてすらいない、元の謎サバンナに戻った。

 何が起きたのかは分からないが、どうやら俺は生き残ったらしい。

 そう思うと急に身体の痛みがぶり返して来た。


「あいたたた……! あぐ、ううぅぅぅ……」


 痛いと思ったのもつかの間、腕も足も痛みが我慢の限界をとうに超えていた。

 もはや痛いを通り越して苦しい。


「ナルフェニニス、今は彼の治療を優先させてください」


 ――フン、勝手にしたらいいだろう。お前に攻撃しても無駄であるし、戦ったところで互いに勝ち目は無い。


「ありがとうございます」


 どうやら旧知らしい二人の横で、俺は顔を真っ赤にして苦しさに耐えていた。

 どこかの転生モノみたいに、謎の声が聞こえて痛覚耐性とか習得できないだろうか。

 いや、痛覚が無くなっても怪我が治らなかったら逆に危ないからいいや。

 謎の声も目の前にいるし。




「大丈夫ですか?」


 そんな馬鹿みたいな事を考えていると、声の主が隣でしゃがみ込んでいた。

 足しか見えないが、女性らしいすらっとした足に物々しい白銀色の具足が付いているのが、酷くアンバランスだと思った。


「これ……大丈夫そうに見えるか?」

「そんな口が利けるなら大丈夫ですね。ほら、仰向けになってください」

「いや、痛くて動けないんだが……あれ、動ける?」

「今、私のスキルであなたの痛覚が鈍くなっています」


 スキル……そういやそんなのあったなと、俺は言われるままごろんと回って仰向けになった。

 不意に、ふわりと背中に手を添えられ、上体をゆっくり起こされる。


「おお……!」


 思わず声が漏れてしまった。

 俺を抱き起した声の主は、息を呑むような美しさの少女だった。

 しかも銀髪赤眼なんてアニメや漫画以外で初めて見たぞ。


「どうしました?」


 何に対して感嘆の声を上げたのか分からなかったのか、彼女は小さく首をかしげた。

 不思議そうにこちらを見つめる深い赤の瞳が、肌の白さと銀色の髪の中でひときわ映えていた。

 ウェーブのかかっていない絹糸のような髪が、白い頬を滑り落ちていく。

 その一連の動きの美しさに、目を離す事が出来なかった。


「……あんまり見つめられると恥ずかしいのですが?」

「いや、なんだかここで目を逸らしたら負けな気がして」

「ぷっ……何の勝負ですか」


 彼女はようやく見た目相応の笑顔を見せた。

 年齢は十七・八くらいだろうか。

 まだ発達し切れていない、子供っぽい面持ちと骨格の名残がある。

 とりあえずキモいおっさんとか思われてなくて良かった。


「つまんないこと言ってないでポーション早く飲んでください。ほら、痛覚戻しますよ?」


 そう言って差し出されたのは、二十四時間戦えそうなドリンクっぽい小瓶だった。

 栄養ドリンクみたいにラベルがあって効能まで書いてある。

 ……なんか思ってたのと違う。

 微妙にガッカリしながら、蓋を開けてもらって小瓶を受け取った。


「ビジネスマン御用達の栄養ドリンクみたいだな」

「文句言わない」

「りょーかい。それと、俺が飲み始めたら痛覚戻してくれ」

「なんでですか?」

「そりゃ回復の過程を体験してみたいからだよ」

「……分かりました、とにかく早く飲んでください」

「へいへい」


 俺は促されるまま一気に栄養ドリンクを飲んだ。

 ラベルの表記によれば、これはミドルポーションらしい。

 致命傷は無理だが、怪我全般に高い回復効果があり、病気の症状軽減効果もあるらしい。

 リーズ製薬株式会社とか書いてある。


「異世界なのに株式会社かよ……」


 いや、今ツッコんでる場合じゃない。

 まずは目の前の問題に集中しよう。

 飲んでいる間に痛覚が戻ってきて鼻から噴き出しそうになったが、何とか勢いで飲み干した。


 目を閉じる。

 視覚に奪われていた感覚と意識を、体内の動きに集中させる。

 ポーションが喉を通……ると思ったら、空気に溶けたように実体を失い、直後内側からカッと「何かが」としか言いようがない、未知の感覚が発生した。

 これが、いわゆる『魔力』というものだろうか。

 その発生した推定魔力が波紋のように一瞬で全身に広がり、身体の中が一斉に何かに塗り替えられる。


 直後、すごい早さで右足の痛みが塗りつぶされた。

 あまりの早さに回復過程がほとんど分からなかった。

 続いて普段の倍ほどに膨らんでいた右腕は、口を開けた風船のように、痛みと共に急速に腫れが萎んでいく。

 もの凄く早くて必死に追いかけたが……回復速度に追いつくことは出来なかった。


「マジか……もう治ったのかよ」


 わずか数秒。痛みが消え、腕も足も元通り。

 たぶんこれ治療でも回復でもねえ。

 まあ、後で考えよう。




「待たせましたね、ナルフェニニス」


 回復速度に戸惑う俺を余所に、銀髪赤眼の少女は、黒いドラゴンとの話に戻っていた。

 しかしこの謙虚なイケドラゴン……ナルフェニニスという名前なのか。

 なんか妖精みたいなイメージの名前だな。


 ――それほどでもない。さて、どういう事なのか聞かせてもらいたいな、勇者ゼラ……いや。今はついの女神、だったか。


「やりたくてやってる訳じゃないけどね。それとあなたから女神なんて呼ばれるのは背中が痒くなりそうだから、前と同じくゼラでお願い」


 この声の主こと銀髪赤眼の少女は、今の話からすると、どうやらゼラという名前で、元勇者で、しかも今は神のようだ。

 銀髪赤眼白銀鎧の美少女で元勇者の女神ゼラ……いきなり情報量多いな、おい。

 しかし神としての号が『つい』というのが気になる。

 

 ――では、ゼラよ。


「あ、ついでにその仰々しい喋りも良いから。聞いてて噴き出しそうなので」


 どうやら二人はかなり近しい間柄であるらしい。

 イケドラゴンの「せっかく威厳に満ちたキャラ演じてたのに」とでも言わんばかりの苦々しい表情が、それを物語っていた。


 ――んじゃゼラさ、お前なんでまた異世界人呼んだ? もう異世界から誰も呼ばない世界にする為に戦争までやったんだぞ!


 いきなり砕けた口調になったが、話の内容はかなり無視できないものだ。

 だからさっき問答無用で殺されそうになったのか。


 ――だから仲間を連れて協力した。そして俺も、お前だって、その戦争で多くの仲間を失ったじゃないか。その結果、お前は神になってまた異世界から人を呼びやがった。じゃあ、あの戦争は一体なんだったんだよ!


 ……ん?

 てことは俺がこの世界に来たのはゼラが呼んだから……なのか?

 となると、さっきの話から考えるに、俺はゼラによって何らかの条件を付けられている事になるな。

 そして、それを達成するまでは帰れないという事になるが、それがイケドラゴンの利害とぶつかっているのだろうか?

 いや、違うな。

 どうもイケドラゴンの方は俺が呼ばれた理由を知らないように思える。

 まあ、俺も知らないんだが。


「……遅かったの」


 かつて勇者だった彼女は、戦争の果てに神となった。

 異世界人によって荒れ果てたこの世界を救おうとして……それが出来なかった。


「もう手遅れだったの。勇者と言っても、出来る事や調べられる事には限界があった。だから神になって何とかしようと思った……」


 ――神になった経緯は一応理解はするよ。納得は出来ないけど。でも何でそれが元凶の異世界人をまた呼ぶなんて事になったんだよ?


 なんだ?

 この世界では異世界人が無知無策テヘペロ迷惑無双でもやらかしたのか?

 重要そうな話をしているが、どうも二人の既知の部分が略されてるのか、肝心の部分が見えてこない。


 そもそも俺には今の状況そのものが全然分からん!

 質問したい事はたくさんあるが、下手に口を出してイケドラゴンの不況を買っても良くない。

 今は二人の会話に耳を傾けるだけにしておこう。

 ……後で絶対に全部説明してもらうが。

 

「理由は呆れるほど単純……馬鹿みたいな話。私は神になってまで解決する方法を探したけど結局見つけられなかった。そこで逆に考えてみたの」


 あ、この流れ……なんとなく嫌な予感。


「この手遅れになった状況を打破し、異世界人に頼らない世界に出来る者として、異世界から勇者を呼び寄せられないか……ってね」


 ――んがっ……なんだよそれ!?


 それを聞いたイケドラゴンは、驚きのあまり開いた口が開きっぱなしになっていた。

 話は分からないが、どうやら俺は、かなり大きな役目を負わされてしまっているらしい。

 ほんと、勘弁してくれ。

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