第4話 絶望の瞬き

 右腕が重く脈打っている。

 熱い。焼けた石でも入っているようだ。

 もう何をしていても、していなくても痛い。


 頬を伝う汗の感覚で、下唇を噛みしめている事に気付く。

 これだけ痛みがあっても、戦闘やダメージによる興奮で、かなり痛覚が麻痺しているはずだ。

 しかし意識がそれを感じずとも、俺の身体が危機と痛みを明確に感じているのだ。

 自分で考えているより状態は良くないのかもしれない。


 渾身の攻撃が出来るのは、あと一回が限度だろう。

 攻撃を外したら、もう攻撃も防御も出来ない。


 攻撃を外しても、攻撃が弱くても駄目。

 確実に攻撃を当て、それが必殺の一撃である必要がある。

 右腕が使えない今、出来る最大の攻撃は……やはり飛び膝蹴りだろう。

 ゴブリンの低身長も、飛び膝蹴りには好都合だ。


 だが、草むらの中にいる今、草が絡まってしっかり飛べないかもしれない。

 回避行動で足を滑らせるかもしれない。

 右腕の痛みで力が入らず、膝に体重が乗らないかもしれない。

 

 くそ、嫌な想像ばかりが頭をよぎる。

 息を吸え。息を吐け。

 内のリズムが崩れているなら、外だけでもリズムを取れ。


 ゴブリンに意識を撚り集める。

 集中力で痛みを知覚から追い出し、右腕の感覚を意図的に忘れる。

 遠くに追いやる。

 もっと、遠くに。


「ふぅ……」


 痛みが重く、遠くなった。

 俺は、一歩、一歩と歩きながら、ゆっくり距離を詰め、草むらから出る。

 近い。

 飛び膝蹴りには距離が近すぎる。

 五メートルくらいか、助走距離が足りない。


「うっ……」


 足下をふらつかせ、片膝をついて見せる。攻撃を誘う。

 それをチャンスと見たゴブリンは、棍棒を両手で持って襲い掛かってきた。

 くそ、両手持ちは想定外だ。


「くそおおおおお!!!」


 片膝立ちの状態から低い姿勢のまま、こちらもスタートを切る。

 相手の突進力と、こちらの突進力、そして低い状態からの高低差による、僅か一歩になるかならないかの距離加算。

 これで今稼げる分の威力は稼いだ。

 だが、両手持ちによって、左右どちらに棍棒を避けても、腕という最後の守りが残ってしまう。


「ギシャアァァァー!!!」


 棍棒が振り下ろされる。

 迷う事も許されない。

 左に踏み込み上体を捻って右へ棍棒をやり過ごす。

 額、肩、胸を、棍棒が擦過熱と共にかすめていく。 

 ここまでは想定の範囲内だ。


 しかし誤算が二つ。

 肩をかすめた衝撃が右腕に伝わり、痛みが呼び戻される。

 我慢は出来た――が、ここで動きが鈍った。

 もうひとつは、棍棒の小さな凸部が胸部をかすめた時、脇のポケットに引っかかって一瞬服ごと下に引っ張られた事だ。

 そのせいで右足に余計な負荷がかかり、先に攻撃を受けた右大腿部に痛みが走って、力がガクンと抜けたのを感じた。


 駄目だ、これでは威力が出せない。

 そう思ったが、もはや別の選択肢など無かった。

 残された左足だけで飛んで、強引に飛び膝蹴りを繰り出す。


「ギィッ!?」


 飛び膝蹴りは跳躍力が足りず、ゴブリンの右上腕を下から直撃する。

 右膝に何かを砕いた感覚があった。


「ギャアアアアァァァ!!!」


 ゴブリンは棍棒を取り落とし、右上腕を抑えて叫びをあげた。

 おそらくゴブリンの上腕骨を折った。

 だが、致命傷ではない。

 両脚健在のゴブリンと右腕右脚を負傷している俺では、どちらが有利かは考えるまでもない。


 追撃だ――!


 俺は残された力を振り絞って、痛みに叫ぶゴブリンの延髄めがけて左足を振り上げる。

 しかし右足の踏ん張りが不十分で軸がぶれる。

 左足は中途半端な威力で後頭部に命中。

 ゴブリンは衝撃で前のめりに倒れるが、それでも意識を奪うには十分ではなかった。


「うおおおおおおああああああああっ!!!」


 最後の最後、俺は倒れたゴブリンの真上へ跳び、その頚部に右膝から全体重を落とした。

 膝が落ちる瞬間、全身に怖気が走る――が、目を閉じてそれを拒否した。


 命を砕く感触がした。






「もしもーし」

『大丈夫でしたか?』

「大丈夫じゃないけど、とりあえず生きてる」

『どんな状態です?』

「全部右の負傷なんだけど、まず尺骨が骨折。大腿直筋がたぶん打撲……で済んでると思う。それと膝蓋骨が骨折したか膝周りの靭帯痛めたかしてるかな。膝なんか痛めた事ないから分からないけど。他、擦り傷切り傷がいくつか。血はもう全部止まってると思う」

『命に別状はありませんか?』

「死ぬことは無いと思うけど、今まで死んだ事が無いから分からん」

『ふふ、そうですね』

「とりあえず助けに来れるなら至急お願いしたい。ゴブリンを倒した後、離れる為に負傷した状態で歩いたから体力も精神力も尽きてる。意識も遠のいてきてるから、そろそろ気絶するんじゃないかな」

『気絶は周囲の風景の特徴を言ってからお願いします』

「周囲の特徴……ああ、目立つのあったな。なんか馬鹿でかい山脈が見えるよ。右を見ても左を見ても遥か向こうまで全然途切れてる様子が無い凄いのだ」

『――カノンの絶壁っ!?』


 向こうの空気が変わったのが分かった。


「なんかヤバい所なの?」

『かなり。今カノンに到着しました。ですが、かなり範囲の広い地域なので、運が悪いと半日近くかかるかも知れません』

「オーケー、どうせもう動けない。俺を頼んだ」

『頼まれました。『完全防御』の二つ名に懸けて、必ずあなたを守りに行きます』


 すげー中二病っぽい二つ名だな、と口にしようと思ったが、俺の記憶はそこで途切れた。


◇◇◇


『……! ……し!』


 どのくらい気を失っていたのか、必死に呼ぶ声が俺を目覚めさせた。

 身体が重い。

 全身が鉛になったみたいだ。

 指一本動かせない……いや、二本動いたわ。


『もしもし起きて! もしもし!』

「起きた。どうした?」

『ああ、良かった! 要点だけ言います。あなたの場所を探知出来ました。今向かっていますが、そちらに別の反応も向かっています!』

「もう動けない。どうしたらいい?」

『身を隠せる場所があったら隠れてください。一分で良いです。時間を稼いでもらえれば間に合います!』

「了解。動けないけど動いてみる」

『無理言ってごめんなさい。でもお願いします!』


 そう言って、声は途切れた。

 向こうの様子は分からないが、声の必死さから、かなり頑張って探してくれたようだった。

 探知とか言っていたので、異世界ラノベ御用達の探知魔法だろうか。


 とりあえず首だけで周囲を見渡すが、草しか見えなかった。

 そういえば森まで歩こうとして草むらのど真ん中で力尽きたんだった。

 草の長さは一メートル近くあるし、どうせ動けないからこのまま寝てた方が良いか。

 人やゴブリンくらいの目線だと、近づかないとたぶん気付かないだろう。

 このままでいいや。

 そう思い定めて目を瞑り、ある種の覚悟をした時だった。


「え、おま……マジか!?」


 急に風が強くなって暗くなったので目を開けると、翼の生えた巨大な黒い怪獣が飛んでいた。

 まるで俺を目指していたように真っ直ぐ近づき、暴風と共にズシンと地面を揺らして俺の足下に降り立った。

 間違いない、ドラゴンだ。

 ドラゴンの平均サイズは分からないが、こいつは俺が一時期暮らしていた四階建てのアパートより確実に頭一つデカい。

 ドラゴンの頭を乗せた四階建てアパートが歩いてくる。そんなバカげた光景が、今、目の前にあった。


「…………」


 ドラゴンと目が合った。

 目には見えないが、その巨大さから来る畏怖以外に、何らかの強い圧を受けているような感覚がある。

 雰囲気的暴風……とでも言えば良いのだろうか。

 ちっぽけな人間の力では決して抗えない、今にも吹き飛ばされそうな巨大な竜巻の前に立たされている。そんな恐怖を感じる。

 だが俺はもうある種の覚悟が決まっていたせいか、恐怖は感じなかった。


 ――ほう、我を前にして取り乱さないとは。

 

 おお、これが『あなたの脳内に直接話しかけています』ってヤツか。

 さっきの声は聴覚を経由して聞こえていた感覚があったが、これは聴覚への干渉を感じない。

 むしろ脳内で知覚した声を、聴覚が遅れて捉えたような、妙な感覚だった。


「ええと……初めまして、ドラゴン、さん? 出来れば今の俺はどういう状況なのか教えてもらえると助かるのですが」


 挨拶は大事だ。

 接客業の基本である。


 ――なるほど、異世界人か。


 ドラゴンは、納得するように呟いた。

 ここはやっぱり異世界なのか……まあ、ステータス画面とかあったし今さらか。


 ――フン、奴も結局は人間か。分かり切った過ちは、もう繰り返さないのでは無かったのか。


 ふしゅー、とドラゴンの鼻息が蒸気機関車のような音を立てて吐き出される。

 周囲の温度が一瞬で上がった。

 おそらく今の鼻息が高温だったのだろう。

 どういう身体構造をしているのか、ぜひ触らせてもらいたい。


 ――異世界の人間よ、お前が何者かは知らん。だが生かしておく事は出来ん。理不尽と思うだろうが諦めて欲しい。


 また随分と気を遣ってもらった死の宣告だな。

 謙虚で配慮の出来るイケドラゴンなのだろうか。

 しかしどうやら異世界人は問答無用で始末されるらしい。

 それは困る。


「自分も来たくて来た訳じゃないので、要らないのなら帰してもらえるとありがたいのですが」


 ――異世界の人間がこちらに来る時は、あらかじめ条件が定められている。その条件を満たさねば帰る事は出来ん。無条件で来る者は帰れない者だけだ。


「ああ、転生者とか憑依者とか……」


 ――本当に異世界の人間というのは説明の手間が無いのだな。


 再びふしゅーとドラゴンは鼻息を……いや、ため息だろうか?

 なにやら呆れているようにも見える。


 ――まあ良い。面倒な奴も向かってきているようだ。すまないが死んでくれ。せめて苦しまぬよう、灼熱の吐息で一瞬にして消し去ってやろう。


 そう言ってドラゴンは大きく息を吸った。


 まずい。

 これはまずい。

 今まで麻痺していた恐怖すら一瞬で限界を突き抜ける。

 怖い――その思いだけが加速度的に膨れ上がる。

 まるで『死』という確定的な現実を目視しているかのようだ。


 攻撃ではない。

 死すら生ぬるい。

 絶望だ。

 絶望が来る。


 恐怖が全ての痛みを吹き飛ばし、俺は跳ぶように起き上がって駆け出していた。

 ――が、所詮は一瞬だけの火事場の馬鹿力。

 数歩で足は力尽き、倒れてしまった。


 心が拒絶し、身体が叫ぶ。

 それでも視界が白んでいく。

 嫌だ――死にたくない!


 残される老いた母の姿が浮かんだ。

 胸が張り裂けそうだった。


 そんな思いも全て無に帰す滅びの言葉。


 ――さらばだ。




 絶望が

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