第11話 王都へのお土産をゲットしました

「昨夜はなぜこんなところで眠ってしまったんだ……」


 目を覚ましてすぐ、キースさんは深刻そうな表情でそう呟いた。


『私はなぜまたドラゴンになってしまったのでしょうか……』


 私もまた、朝日に照らされるほんの数時間前までは間違いなく人間のものだった両手を眺めながら、呆然としてそう呟く。

 ウィリスさんはああ言っていたけれど、私は正直あのまま何事もなく人間に戻れるんじゃないかと少し期待していた。

 けれど朝日を浴びた途端、私の影はぐんぐんと大きくなり、足元の可憐な花を踏みつけ、背中には途方もなく大きな翼が生えてしまった。

 今までのことは全部夢だった……なんていう可能性は、もうひとかけも残されていなさそうだ。


「っ……そうだ。お前、昨夜妙な女を見なかったか?」

『いいえ!』


 キースさんの言葉に、私はきっぱりと首を横に振った。


「そうか。……ん?」


 キースさんはふと何かに気づいたようにこちらに近寄って、至近距離でまじまじと私の顔を見つめる。


『な、なんでしょうか……』


 あまり整った顔で見つめないでほしい。

 訳もなくどきどきしてしまう。


「お前、頭が良すぎないか。さっき俺の言葉に正確に反応したように見えたんだが」


 ……しまった!

 私は平静を装い、たまたまですよーという顔で足元の花を食んだ。

 うーん。やっぱり昼間食べても効果は無いんだわ。

 それにしても、昨夜は味わっている暇なんてなかったけれど、こうして改めて食べてみると、ほんのりとした甘みがあって美味しい。

 ハーブティーにしたら焼き菓子と良く合うかもしれない。

 

 しばらく食んでから、私ははっとして顔を上げた。

 今、なんの抵抗もなく足元の花を食んでいる自分に気付いてしまった。

 順調に人間を捨てている。


 いけない。

 うっかりドラゴンの野生味を身につける前に完全な人間に戻らなければ。

 いくら貧乏な家柄とはいえ、嫁いだ先で貴族らしからぬを飛び越して人間らしからぬワイルドさを見せつけるわけにはいかなかった。


 私が一人で葛藤している横で、キースさんは『気のせいか』と呟き、立ち上がる。

 王都はもう目前だった。

 私も飛ぶ準備をしようと翼を広げたその時――


『きゃっ……!?』


 突然頭上から大きな網が降ってきて、視界を遮られる。

 何かしらこれ……!

 絡めとられるようにして自由を奪われ、もがいていると、キースさんが素早く剣を抜いた。


「降りて来い」


 キースさんが花畑の入口にある、ひときわ大きな木の上へと視線を向けた。

 木の枝に誰かが腰かけている。

 その手元に握られたロープと、私に覆い被せられた網が繋がっていた。


「おっと……竜騎士もいたのか。影に隠れて見えなかった。珍しい色のドラゴンがいると思ったんだが」

「まあでも、たった一人なら楽勝だろ。こっちはこの数だ。はるばる南の峡谷まで出稼ぎに行く手間が省けたな」


 二つ目の声は、花畑が途切れ再び森が始まったあたりの茂みから聞こえてきた。

 ほどなくして、剣を構えた男性たちがぞろぞろと出てくる。

 見えているだけで15人ほどだろうか。

 ギラギラとした眼差しや、なんとも形容しがたいいやらしい笑みを向けられて、身が竦む。


 これは……もしかして、盗賊とかそういう人たちでは……!?

 もちろんこうして直接目にするのは初めてだった。

 慌てる私とは反対に、キースさんは剣を構えたまま、男性たちに冷静な眼差しを向けた。


「密漁業者か。ドラゴンの売買は禁じられて久しいが、鱗と目玉は未だに良い値段で売れるからな」

『めめめ、めだまですか……!? 私、くりぬかれるんですか!?』

 

 あまりにもさらりと告げられた恐ろしい情報に、私は思わずうろたえた。

 いやらしい笑みは、私がお金に見えていたからだったなんて!


「見つけ次第捕らえるよう手配されていたが、こんなところで出くわすとは。良い手土産になるな。ブルーノ、お前も加勢しろ。……と言おうと思ったが――」


 キースさんが、こちらにちらりと視線を向ける。


「その様子じゃ無理そうだな。てっきりもう育ちきってるものだと思っていたが、もしやまだブレスも吐けない子どもなのか?」 

『ブレス……?』


 そういえば、今まで読んできた物語の中のドラゴンはそんなものを吐いて敵をなぎ倒していたような気もする。


『ちょっと待ってくださいね。ええと……』


 気合を入れて息を吐けばいい感じの炎が出たりするのかしら……?

 私は試しにやってみることにした。

 思いきり息を吸って――吐く。


『けほ』


 小さな咳と共に私の口から細く煙が立ち上った。

 なにか出そうな気配はしたものの、いつか物語の挿絵で見たような立派な炎にはほど遠い。

 周囲からはどっと嘲るような笑い声が上がった。


「ポンコツのドラゴンなんて鱗を剥がれるくらいしか役に立たねえよ。いくら騎士団の中でも精鋭揃いの騎竜隊とはいえ、たった一人じゃ抵抗しても無駄だろうしな」

「ついでに竜騎士の兄さんの身ぐるみも剥いで、売り上げの足しにしてやるよ」


 どうしよう、キースさん一人じゃ危ないわ……!

 抵抗しようと翼を動かしてみるけれど、ますます網が食い込んで自由を奪われた。


「ごろつきまがいの密漁業者どもに、俺が遅れを取るとでも?」


 キースさんの冷ややかな声に、密漁業者たちが口を閉じる。

 抜き身の剣を片手に持ったまま一歩踏み出したキースさんの唇には、いつの間にか温度のない笑みが浮かべられていた。


「万が一お前たちに負けるようなことがあれば、騎竜隊の名誉に関わる。それに何より――大切な俺の竜に、指一本触れさせる気はない」

「おいお前ら、行くぞ!」


 キースさんが剣を構え直したその時、男たちはいっせいにキースさんに飛び掛かった。


『キースさ――っ、え……?』


 先頭の男がキースさんに剣を振り下ろすよりも前に、キースさんが間合いを詰め、勢いを殺さないまま当身を食らわせた。

 気を失って倒れる男を見届けることなく、キースさんは振り向きざまに後ろから斬りかかってきた相手を剣の腹で殴って、その隙を狙うように飛び掛かってきた三人目を蹴り倒す。

 挑発的な笑みさえ浮かべながら、キースさんは次々と密漁業者たちを昏倒させていった。


 まるでダンスでも踊っているかのような滑らかな動きに見惚れていると――すぐ側で、キリリ、と不吉な音が聞こえた。

 はっとしてそちらを見ると、私の影に隠れるような姿勢で、キースさんに狙いを定めて弓を引く男の姿がある。

 

『危ない!』


 私はなんとか網目からかぎ爪を一本出し、男の襟首へと伸ばす。

 鋭い爪は感触さえ伝えないままにその服を貫通し、私は驚いて手を引いた。


「うっ……!? おいっ、放せ!」


 私の爪に襟元の生地をひっかけられ、男はまるで親猫に首元を咥えられた子猫のように手足をばたばたとさせた。

 男がつがえていた矢は見当違いの方向へと飛んでいき、キースさんがはっとしたようにこちらを見る。


「でかしたぞブルーノ!」


 男性が動きを止めているうちに、こちらに走ってきたキースさんが素早く当て身を食らわせ、気絶させた。

 周囲には同じく気を失った密漁業者たちが転がり、辺りはあっという間に元通りの静けさを取り戻した。


「ここに来てくだらない足止めを食らうとはな。待っていろブルーノ、こいつらを縛り上げたらすぐにその網を取り払ってやる」


 キースさんは息を切らした様子もなくうんざりしたように言って、静かに剣を鞘に納めた。

 間近で人が剣を振るうところを見たのは、ほぼ初めてだった。

 そんな私にもはっきりとわかるほど、キースさんの剣術は規格外の腕前のようだった。


 ……けれど、今はそれよりも。

 私はかすかに身体が震えるのを感じながら、自分の手――鋭いかぎ爪が付いたドラゴンの手を見下ろした。


 ――危なかった。

 二重の意味でそう思った。

 キースさんを助けられたことには心底ほっとしている。

 けれど、もう少し爪がずれていれば、私は人の肉を切り裂いてしまうところだった。


 私は、誰かに傷つけられる覚悟も、誰かを傷つける覚悟も持っていない。

 非現実的な冒険に困りつつも少しだけ浮かれていた心に、突然冷や水を浴びせられたような心地だった。



「余計な道草を食った。王都へ急ぐぞ」

『もうすぐそこですものね』


 キースさんに答えて、私は飛ぶスピードをわずかに上げる。 

 背中から少しだけキースさんの震えが伝わってくるものの、なんとか冷静を保っているように見えるのは、きっと私が今ぶら下げている荷物のおかげだろう。

 私のかぎ爪の先にはロープがひっかけられていて、その下にはまとめて網の中に放り込まれた密漁業者たちがみっちりと詰まっている。


「いててて! こっち寄り掛かんな狭いんだよ!!」

「仕方ないだろ! ……この野郎、こんな運び方しやがって覚えてろよ! 騎竜隊なんて破滅しろ偉そうにしやがって!!」

「お願いしますどうか下ろしてください怖いので……!」


 宙づりになった網の中からは、ひっきりなしに怒声と悲鳴が聞こえてきた。


 心中お察ししますが、私も怖かったので……。

 『鱗を剥ぐ』とか、『目玉はいい値段で売れる』とか……もしほんの少し狙いを外していたら、人を傷つけてしまうところだったことも。


 密漁業者たちの悲鳴を無視して飛んでいると、キースさんがねぎらうように私の首筋をぽんぽんと叩いた。


「ブルーノ、その荷物はうるさいし重いだろう。今すぐ下ろしていいぞ」

『はい、わかりました』


 キースさんの意図を汲んで少しだけかぎ爪を動かすと、下から聞こえてくる悲鳴が大きくなる。


「落ちる落ちる落ちる落ちるー!!」

「本当に落とされたくなければ牢にぶち込まれるまで静かにしていろ」


 キースさんの一言で、密漁業者たちはぴたりと口を噤んだ。

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