第10話 膝枕は甘い蜜の香り

 ゆらり、と目の前の濃い闇が揺れる。

 そこからにゅっと姿を現したのは、ウィリスさんだった。


「やあ。朝ぶりだね」


 上半身を闇から生えさせたまま、月明かりに照らされたウィリスさんが軽く片手を上げる。


「ま、また変な登場の仕方を……。いえそれよりも、見てください! 完全に人に戻れたようです! というわけで、私の屋敷まで送っていただけませんか?」


 空路しか知らないのでは、元の道を辿る事も出来ない。

 私がお願いすると、ウィリスさんは花の絨毯を避けるよう慎重に両足を下ろしてから、私に歩み寄った。


「まあまあ、ちょっと落ち着いて。今キミの身体に残ってる魔力の状態を確認するから」

「え? でもこの通りもう人に戻れているので……」

「この花には完全に魔法を解く力はないって言ったでしょ?」

 

 ウィリスさんはそう言いながら、間近でじっと私を見つめる。

 まるで心の中まで見透かされてしまいそうで、落ち着かない気持ちになった。


「ふんふん。なるほどね」

「なにかわかりましたか……?」

「やっぱり、完全に無効化するにはまだ足りないよ。で、キミが食べたこの花だけど――これは、月光に呼応して効果を強める花だ。だから、夜の間だけ、ワタシがかけた魔法が解かれてるみたい」

「それってつまり、朝になれば元通りということでしょうか? 例えばこの花をもっといっぱい食べれば解けるなんてことは――」

「悪いけど、それはない。朝には元通りドラゴンの体だよ。夜はまた人間に戻れるけどね」


 あっさりと頷かれて、私は思わず脱力した。

 夜にだけ人間の姿に戻れるということは、下手をするとさっきまでよりもよほど複雑な状況になってしまったのでは……。


「それにしても、ディアちゃんって箱入りのお嬢様かと思ったのに、意外と適応能力が高いんだね。ちょっと変わってるけど。昨夜もしっかり藁のベッドを満喫してたみたいだし」

「それはまあ、日頃の読書と現実逃避の賜物で――って、そんなことはどうでもいいのです。今はそれどころではありません」


 このままではある日突然行方不明になったようなもので、お父様もお母様もリイナも、きっとものすごく心配している。

 なんとかして無事を知らせなくては。

 そしてそれが出来るのは、人間の姿でいられる今しかない。


「ウィリスさん。私の両親に手紙を届けてはくれませんか?」

「それくらいならお安い御用だよ。じゃあ夜が明けないうちに書かないとね」


 ウィリスさんがどこからともなく紙と携帯用の筆記用具一式を取り出す。

 私はそれを受け取りながら、ちらりとキースさんの寝顔に視線を向けた。

 ……なるべくゆっくり書こう。

 そもそもここでウィリスさんが目を覚ましたキースさんに全てを説明してくれれば、事態はいくぶんましになるのだから。


「あ、時間稼ぎは無駄だからね」


 まるで私の心を読んだような言葉に、思わず手が止まる。


「キース君は朝まで目覚めないように魔法をかけておいたから。ディアちゃんだって、ドラゴンに戻らないうちに手紙を書き終わらなくちゃだめでしょ?」


 ――抜け目ない。

 私は諦めて肩を落とすと、少し迷った後、左の手のひらを下敷きにして手紙を書き始めた。

 持ち運びに便利そうな小さなインクの瓶にペン先を浸し、文章を考えながら、ちらりとウィリスさんを見上げる。


「……今朝、もしキースさんに見つかったら殺されてしまうって言ってましたけど」

「うん、そう。浅からぬ因縁があるんだよ。ワタシは別にキース君のこと嫌いじゃ無いんだけどね」


 そう言いながら、ウィリスさんはキースさんの側にしゃがみ込み、その頬をむにむにとつまみ始めた。

 キースさんの眉根にしわが寄る。

 

「個人的に恨みを買ってるっていうことですか?」

「そうともいえるし、そうじゃないとも言える。まあ、ディアちゃんにはなんら関係ない話だよ。……今のところは」

「それはどういう――」 


 尋ねかけて、私は思いとどまる。


「私が聞いたところで、きっとまともに教えてはくれないでしょうね」

「察しが良いね、ディアちゃん。そう急がなくても、もし知るべきことならいずれきっとキミの耳にも入るよ」


 ウィリスさんが満足げに笑みを浮かべる。

 私は諦めて手紙を書く作業に戻ったものの、ふと手にしていたペンが止まる。


 いくら無事だということを書いたところで、詳細が分からないことには安心しようがない。

 けれど間違っても『変な魔法使いに魔法をかけられてドラゴンになってしまったので、しばらく帰れません』などとこのまま正直に伝えるわけにはいかなかった。

 それこそお母さまが心労で倒れてしまう。


「もしかして理由に悩んでるの? ちょっと貸してみて」

 

 ウィリスさんがふと気づいたように言って、こちらに手を伸ばす。

 私は嫌な予感に襲われて、サッと書きかけの手紙を遠ざけた。


「まあまあそう警戒しないで。ご両親を心配させたくないんでしょう? 責任の一端はワタシにあるんだし、うまい言い訳を考えてあげる」

「一端……?」


 何から何まであなたのせいではと私が突っ込む前に、ウィリスさんは私の手元を指差した。

 その途端、手紙と筆記用具がふわりと浮かび上がり、ウィリスさんの手の中へと吸い込まれていく。


 私が止める間もなく、ウィリスさんはさらさらと何かを書き付けていく。


「っ、ウィリスさん、そんなことしたら筆跡で私ではないと気付かれてしまいます」

「大丈夫大丈夫。魔法使いにとっては筆跡を真似ることなんて簡単だからね」

「くだらないことに魔法を使わないでください!」


 リイナは『魔法使いは城の外に出ることを禁じられている』と言っていた。

 もし魔法使いが全員ウィリスさんのような人なら、そうなった経緯と理由が手に取るようにわかるような気がした。


「さて、これでよしっと。これはワタシが責任を持ってご両親に届けてあげる。ああ、場所は言わなくていいよ。探すことなんて朝飯前だからね。というわけでまたねディアちゃん! キミの幸運を祈ってるから」


 良い笑顔と共に手を振られて、私はやっと我に返った。


「ちょっと待ってくださいウィリスさん、文面を確認させて――」


 長いローブの端を捕まえようとした私の手は、あっけなく宙を切る。

 気付けば、ウィリスさんの姿は夜闇に溶けるように消えていた。


 なんなのかしらあの人は。


「ん……」


 ふいに後ろから聞こえてきたキースさんの声に、私はびくりとして振り返った。

 目を覚ますのかと思ったものの、ウィリスさんが言っていた通り、ぐっすり眠っているらしい。

 けれど心地よさそうな眠りではなく、少しうなされているようだった。

 整った眉がひそめられ、その唇から小さくうわごとのような言葉が零れる。


「……誓いは、守ります。――様。私はなにがあろうと、竜騎士に…………」


 やっぱり、竜騎士になったのはなにか理由があったらしい。

 キースさんはうなされているようで、苦しそうな吐息を漏らした。


「それにしても……眠っているのはウィリスさんのせいだとしても、きっと気絶したのは私のせいでもあるのよね……?」


 あの時は花を手に入れることに必死になるあまり、遠慮なく急降下してしまった。

 私は急に申し訳なくなって、キースさんの側に歩み寄った。

 一面に敷き詰められた花がベッドになっているとはいえ、後ろ頭が痛そうだ。

 うなされているのは寝苦しいせいもあるのだろう。


 私は少し迷ってから、キースさんの頭の側に膝をついた。

 ――身内でもない男性に気軽に触れるべきじゃないけど、今はそんなこと言ってられないわよね。


「キースさん、失礼します。ブルーノですよー。決して婚約を控えた妙齢の乙女ではありませんよー」


 一応そう言い訳をしながら、私はその頭を自分の膝へと乗せた。

 指の間をさらりと金色の髪が通り抜けたその瞬間、私は衝撃に目を見開いた。


「!? すごい……この手触り、一体どんなお手入れを!? まつ毛も長い……。肌にほくろがひとつもないなんて……っ」


 賞賛の気持ちとよく分からない悔しさが交互に湧いてきた。

 思わずさわさわと艶のある髪に触れていると、キースさんの整った口元がわずかに笑みの形を作る。


「……ははっ。くすぐったいぞブルーノ」

「……! す、すみません、人間なのにはしたないことを……!」


 慌ててばっと両手を挙げ、キースさんから手を離す。

 そのまましばらく様子を見てみたものの、キースさんが目覚める気配はなかった。

 寝言だったらしい。

 キースさんは無事に悪夢から解き放たれたようで、今は穏やかな表情で寝息を立てていた。


 ――よかった。


 私はほっと胸をなで下ろして、細心の注意を払いつつ、キースさんの少し乱れてしまった髪を直す。

 月光が優しくあたりを照らし、周囲の花々からはかすかに甘い蜜の香りがした。

 

 明日からどうなるのか――王都にたどり着いてしまったらどんなことが待っているのか、まだなにもわからない。

 けれど今は不思議と不安よりも穏やかな気持ちに満たされていて、いつしか私も夢に誘われ、こくりこくりと船を漕ぎはじめた。

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