第7話 自由の代償

「それじゃ、説明してあげる。まずはその姿だけど……キミが今言った通り、間違いなくワタシの魔法のせいだよ」

『っ……やっぱり、そうだったんですね。でも、どうしてこんなことを?』

「それはキミが強くなりたいって言ったからでしょ」


 悪びれもせず、ウィリスさんが飄々と言ってのける。


『強くなりたいっていうのは、こういう物理的な意味じゃありません!』


 怒りを込めて低く唸れば、大地がかすかに揺れ、自分で驚いてしまうほどの迫力が出てしまった。

 けれどウィリスさんは後ずさりもせず、赤い唇につかみどころのない笑みを浮かべる。


「物理的な強さだけかなぁ。心境の変化だってあったと思うけど」

『そりゃあありましたけど! 話を逸らそうとしないでください!』

「もとに戻りたい?」

『当然です!』


 断言すると、ウィリスさんはふむとなにかを考えるように口元に手を当てた。


「ちょっと考えてみなよディアちゃん。キミみたいに、藁の上で眠るのも厭わない貴族令嬢が他にいると思う?」

『……なにが言いたいんですか? というかそれは悪口ですか?』

 

 思わず気色ばむと、ウィリスさんは笑みを深めた。


「貴族令嬢としてのキミは、身体に合わない檻に閉じ込められた獣みたいなものだよ。だから色んな本を読んでは、キミが囚われている檻である、<貴族としての常識>の外にある世界を夢見てたんでしょ?」

『っ、どうしてそんなことまで……』


 酔っていたとはいえ、そこまで自分のことを話したつもりはない。


「分かっちゃうんだよね。ほらワタシって稀代の魔法使いだから。だからこそワタシはキミをドラゴンにして、自由を味わうために南の峡谷に送ってあげたってわけ」


 ウィリスさんが、得意げにウインクをする。


「まあ、最近取り組んでた人間をドラゴンに変えるっていう魔法の研究の結果を試したかったっていうのもあるんだけど」

『どちらかというと、そっちの要素の大きいように聞こえるんですけど……』


 普通は、婚約に悩む貴族の令嬢を捕まえてドラゴンにしようなどという突飛な発想は出てこない。


「まあそれはともかく」


 ウィリスさんの耳に都合の悪い言葉は聞こえないようだった。


「ねえ、どう? キミが欲しがっていた強さと自由、今なら簡単に手に入るけど。いわば今のキミのこの姿は、自由を得た代償だ。人間に戻ればまた檻の中に逆戻り。そう考えてみると、もうちょっとこのままドラゴンとしての暮らしを楽しんでみたくならない?」

『……それは……駄目です。絶対に。良い婚約話があるのなら、私にはそれを断ることはできません』


 没落しかけた我が家にとって、婚姻によって他家と繋がりを持つことには大きな意味がある。

 今のままでは衰退を待つばかりだけれど、私が父の爵位に見合う貴族と結婚し、子を産み、その子もまた他の家と婚姻関係を結び勢力を強めていけば、いつか先々代と同じように王に重宝される日も来るかも知れない。

 確かに見知らぬ相手と結婚することに抵抗を感じてはいたけれど、家のために課せられた役目から逃げるなんて勝手なことはできなかった。


「私はこんな無責任な形で義務を放棄するわけにはいきません」


 するとウィリスさんは視線を逸らし、深い溜息をついた。


「……うん。まあそう来るよね。なんとか誤魔化せないかと思って理屈練ってみたんだけど、やっぱり駄目か」


 ……え?


「こうなったら話すしかないのか。……あーあ、気が向かないなあ。というか、ディアちゃんが翼を必要としてないなら、ワタシが欲しいくらいなんだけど」


 真剣な表情から一転して、ウィリスさんが悲しそうに嘆く。

 それを見ていると、なんだかすさまじく嫌な予感がした。


「驚かないで聞いてねディアちゃん」


 ひた、と視線を合わせられる。

 わすかに緑色を帯びた、深い夜空を思わせるようなウィリスさんの瞳は、まるで世界の英知が閉じ込められているかのように神秘的な輝きを放っていた。


 思わず見入ってしまいそうになったその時……私の耳に届いてきたのは、信じられない言葉だった。


「……魔法を解くために設定した条件、忘れちゃった☆」



 ◆



「ごめんねー。ワタシもお酒入ってたからさ。怖いね、お酒って!」

『ふざけないでください! どうすれば元に戻れるんですか!?』


 ほとんど泣きそうな声で私はウィリスさんに詰め寄る。

 ちなみに、ドラゴンの泣きそうな声は、キャンキャンというまるで小型犬のようないかにも哀れを誘うような声だということを、私はこの時初めて知った。

 

「そうだな……。解き方を知るには、ワタシがキミに魔法をかけたときにどんなことを考えていたかを知る必要があるんだよね。ほら、魔法って、イメージの具現化みたいなところがあるから」


 ほらと言われても良く分からない。


「ちょっと静かにしててね。思い出すから」


 私は急かしたくなるのをこらえながら、目を瞑って何かを思い出そうとしているウィリスさんを見守った。


「……竜化……。呪いや魔法で人が獣に姿を変えられる物語は古今東西多くある。解くためのお決まりの方法はなんだったかな。……王子様のキスとか? 永遠の愛とか……。相手を想う涙なんていうのもあったな。本当だったら簡単な条件を設定しておくものなんだけど、あの時はワタシも酔ってたし、そういうちょっとドラマチックな展開求めちゃったかもなぁ……」


 ……雲行きが怪しくなってきた。

 ウィリスさんはひとしきりうーんと唸った後、顔を上げた。

 そして、紅を引いたように艶やかな唇で、私ににっこりと微笑みかける。


「とりあえずは、恋でもしてみたらどう? 新しい人生の第一歩として!」

『どうしてそんなふわっふわした結論になるんですか!』

「そんなに適当な方法でもないよ? 恋人でも出来たら、キスも愛も涙も、全部試せるだろうし。まあ、試すだけなら恋人じゃなくてもいいと思うけど」


 そんな適当な。

 最初に会った時は、綺麗で穏やかで優しそうな人だと思ったからこそついあんな風に打ち明け話をしてしまったけれど、迂闊な判断だったのかもしれない。

 初めてのビールに酔い潰れてしまったことも、そもそも町に一人で出掛けてしまったことも迂闊だったけれど。


「でもね、完全に解く方法は分からないけど、魔法を弱める方法ならあるよ」

『っ……それはどんな方法ですか!?』


 勢い込んで聞くと、ウィリスさんはにっこりと微笑んだ。


「ここから王都に行く途中に、夜の間にだけ咲く花があってね。紫の淡い縁取りが施された、白くて可愛い花なんだけど……その花は、魔法使いの魔力を浄化する力がある。だから、キミがそれを食べれば、もしかしたら体の中から魔法を弱められるかもしれない」

『弱めるって……具体的には、どうなるんですか? 完全に戻れるわけじゃないんですよね……?』


 期待にこくりと喉を鳴らして、続きを促す。


「さあ、どうなるかなぁ。実際に食べてみてからじゃないと分からないな」


 なんとも不確かな話だった。

 この人のことをそのまま信じていいのか、迷う。


 ……でもきっと、なにも試さずにこの姿のままいるよりはましよね。


『……分かりました。どうにかして探してみます』

「そうしてみて。っと……そろそろ時間切れか。キース君がすぐ側まで戻ってきてるから、ワタシはこれで失礼するよ。キミの魔法を解く方法は引き続き探してみるし、また様子を見に来る」


 ウィリスさんの言葉に頷いたその時、私ははたとあることに気づいた。


『あの、どうしてウィリスさんは私の言葉が分かるんでしょうか。今、私はドラゴンの言葉を話してるはずですよね?』

「魔法使いだからね。竜語くらいは扱えるよ」

『……! それなら、このままここに残ってキースさんに私のことを説明してくれませんか?』

「それは無理」

 

 ふいにウィリスさんの表情が、今までの茶化すようなものから、真剣なものへと変わった。


「キース君に捕まったら、ワタシは捕らえられて王都まで引きずられていった挙句に殺されちゃうかもしれないから」

『え……?』

「色々と込み入った事情があるの。でも秘密」

 

 整った顔にぱっと笑顔を浮かべ、ウィリスさんは自分の唇に人差し指を押し当てた。


「そういうことで、そろそろ行くけど……あ。そうそう言い忘れた。勘違いしてるみたいだから、最後にひとつ伝えておくよ」

『何でしょうか』


「……ワタシ、身も心も男だから。この通り美しいから、よく間違われるんだけどね。困っちゃうよねー」


『えっ!?』


 驚くと同時に、まばゆい光が飛び散っていく。

 収まった後には、もうウィリスさんの姿はなかった。


『お、男の人だったんだ……』


 なんだか、酒場での印象以上に変な人だったわ……。

 

 私が茫然としていると、竜舎のドアが開く。

 そして、バケツを持ったキースさんが怪訝な顔をしながら入ってきた。


「……お前が妙な具合に鳴いているのが聞こえてきたが、まさか誰かと話でもしていたのか?」

『はい、変な人と話してました』


 伝わらないのをいいことに、さらりと本音を答えてみる。


「そんなわけはないか。おおかた鳥でも迷い込んできたんだろう」


 キースさんは私の前に置かれた大きな水飲みに、バケツで汲んできた水を満たした。


「遅くなって悪かったな。井戸がしばらく使われてなかったようで手間取った。さあ、飲め。喉が渇いているだろう?」


 う……。

 確かに喉は渇いていたけれど、人前で馬のように水入れに顔を突っ込むのは抵抗があった。

 それでも水の冷たさには触れたくて、思い切って鼻先をボウルに突っ込んでみる。

 ひんやりとした感触が、混乱続きの頭を少しだけすっきりさせてくれた。


 そういえば……キースさんは、明日の夕方には王都に着くと言っていたわね。


 ということは、明日はどうにかしてキースさんを乗せたまま例の花を探さなくてはいけない。

 ふいにキースさんが私の首筋へと手を伸ばし、ぽんぽんと撫でてくれた。

 その手つきには、初めて撫でてくれた時よりも信頼が込められているような気がして、少し嬉しくなる。


「お前はいい子だな」


 目を細めて言うキースさんに、胸の奥がきゅんとする。

 思いきりすり寄りたくなる気持ちを、私は人間としての理性でなんとか押しとどめた。

 危ない。本当に危ない。

 今、かなりドラゴンの本能に負けていた。


「明日もきちんといい子にして俺の言うことを聞け。言っておくが、高く飛ぶのも速く飛ぶのも駄目だし、寄り道はもってのほかだ。時間を無駄にする気はないからな」


 …………。

 だ、大丈夫かしら……。

 にわかに湧いてきた不安を感じながら、私は短く鳴いてうわべだけの返事をした。

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