第6話 魔法使い再び
やがて夕暮れが訪れ、空がオレンジ色に染まっていく。
しばらく飛んでいると、私の背中にへばりついていたキースさんが、ふいに私の首元をぽんぽんと軽く叩いた。
「下降しろ」
『……? わかりました』
まだ王都に着いたわけではないから、もしかしたらどこかで一泊していくのかもしれない。
眼下の森に視線を移すと、木々が開け、草原が広がっている場所があった。
山小屋にしては大きめの、しっかりとした作りの建物も見える。
もしかして、竜騎士が遠征に行く際の中継地点として使っている場所なのかしら。
そういった宿泊施設がいくつかあるのだと、本で読んだことがある。
私はその建物をめがけて、ゆっくりと下降していった。
◆
簡素なレンガ作りの建物が3つ。
どうやら、小さいものが馬を休ませる厩舎、中くらいの大きさのものが人が泊まるための小屋、そして一番大きいものは、ドラゴンの寝床になっている竜舎のようだった。
周辺を観察した限りは他に人間がいる様子もないので、泊まる際の食事などはすべて自分で用意しなければいけないのだろう。
私は翼をたたみながら、思わずわくわくした。
こういう建物、本の挿絵で見たわ。
街を出た旅人はこういうところに泊まるのよね……!
私も簡易ベッドで眠るのかしら。それとも藁の上?
小さな頃に読んだ青春ものの小説には、友人同士が厩舎の藁の上に寝転がって語り合う場面があった。
招かれた貴族のお茶会でうっかりその話した時には、周囲に眉をしかめられたものだった。
けれど、私は藁まみれになるのも大歓迎だ。
寝心地は悪いかもしれないけれど、密かに憧れがある。
キースさんは私の前足をつたって、慎重に地面に降り立った。
そして心からほっとしたように大きく息をつく。
「まったく、空の旅はろくなものじゃないな」
そうぼやいて、私にしがみついていたせいでずれてしまったらしい剣帯の位置を直した。
その足元は少しよろけているけれど、どうやら高所の恐怖からは立ち直ったようだった。
キースさんは素早く襟元を整え、しゃんと背筋を伸ばすと、傍らの私を見上げる。
「今夜はここに泊まる。お前の翼があれば、明日の夕方には王都に着くだろう」
『分かりました!』
意気揚々と返事をすると、キースさんがまじまじと私を見上げた。
怪訝そうに細められたまなざしに思わず怯む。
『な、なんでしょうか……』
「ドラゴンは人語を理解するという説もあるようだが、お前はまさに言葉を理解して返事をしているように見えるな」
『っ……そうなんですよ! 理解しているんです! 私、人間なので!』
やっとわかってくれた。
勢い込んでそう答えると、キースさんはじっと私を見つめ――やがて、整ったその唇に苦笑を浮かべた。
「そんなわけはないか。我ながらおかしなことを言ったものだ」
やっぱり通じてない……。
私はがっくりと肩を落とし、 歩き出したキースさんの後をのしのしとついていった。
宿泊小屋の裏にまわり、大きな竜舎へとたどり着く。
ドラゴンが翼を伸ばせるよう広々とした作りになっていて、隣に建てられている厩舎がやけに小さく見えた。
中に入ると、ふかふかの藁の寝床と、大きな水入れらしきものが置かれている。
馬を繋いでおくための厩舎をドラゴンの体に合わせて大きくしたらこんな風になるのかもしれない。
「飛び通しで疲れただろう? 俺は水を汲んでくるからここで休んでいろ」
言葉が通じるわけはないと自分で言ったばかりなのに、キースさんは律義にそう声をかけてから竜舎を出て行った。
どうやら、動物にも自然に話しかけてしまうタイプらしい。
微笑ましい気持ちでキースさんの背中を見送る。
それにしても、今日は本当に色んなことがあった。
私は、改めて今までのことを振り返った。
今朝目覚めた途端、私は南の峡谷にいた。昨日のことは途中から覚えていない。
ドラゴンの親子と話していると、キースさんがやってきた。
そして、『お前に決めた』と言って、私を王都へと連れていこうとしている……。
ドラゴンの親子が、<選定>と言ってたものに、私が選ばれたっていうことよね。
まだ推測でしかないけれど、もしかすると竜騎士の方々は自分が乗るためのドラゴンを自分で捕まえにいくものなのかもしれない。
となるとやっぱり、私が王都に連れていかれるのは、騎竜隊の騎竜になるためなのだろう。
その後どうなるかを考えると、少し怖い。
このまま王都に着いていって、戦いに駆り出されることになったとしたら、私はどうしたらいいんだろう。
ここ数十年は他国との争いもなく平和な日々が続いているけれど、田舎に住む貧乏令嬢である私が知らない政治的な動きがないとも限らない。
とはいえ、この姿で街に帰るわけにもいかなかった。
南の峡谷に引き返すのも気が進まない。
あそこにいて私がもとに戻る方法が見つかるとも思えないし、なにより、ずっとドラゴンに囲まれていたら人の心を忘れてしまいそうだった。
――やっぱり、このまま王都にいくしかないわ。
そう覚悟を決めた瞬間、後ろから聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「ディアちゃん、昨夜ぶり!」
『っ……この声……!』
素早く後ろを振り向くと、広い竜舎の隅に、ふよふよとオレンジ色の光が漂っていた。
……なに、これ……?
まるで空から小さな太陽が落ちてきたようだった。
その奇妙な光に、私は恐る恐るかぎ爪を伸ばす。
「おっと、それはダメ。ドラゴンの爪は鋭いからね。ちょっと待ってて、実体化するから」
艶のある声がそう言ったと同時に光がはじけ飛んで、私は灼けるようなまぶしさにぎゅっと目を閉じる。
閃光が収まった後、深い色をした紅の髪ををなびかせて立っているのは、酒場で会ったあの魔女さんだった。
『やっぱり……! どうしてここにいるんですか!?』
「実はずっと追いかけてたんだよね。でもキース君がいるから出るに出れなくて」
『追いかけてた……?
それって――いえ、それよりも『キース君』と呼んだということはもしかしてキースさんと知り合いなんですか?
あとこれウィリスさんが言っていた<魔法>のせいなら早く解いてくださいっ! 今すぐにっ!
そもそもあの夜私が酔い潰れた後に一体なにを――』
「しーっ。落ち着いて」
翼をバタバタさせながら、今朝からの混乱を一気にぶつけようとした私を遮って、ウィリスさんが自分の唇に人差し指を押し付ける。
「きちんと順を追って説明するから」
初めて出会った時と同じ妖艶で謎めいた笑みが、今はどこか得体の知れないもののように不気味だった。
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