第8話 いざ、王都へ……?
私は竜舎の柔らかな藁の上で一晩を過ごした。
広い空間に思いきり翼を広げ、組んだ前足の上に顎をのせる。
藁のベッドは決して快適とは言えなかったけれど、私は解放感に満たされていた。
人間の姿のままだったら、誰も見ていないとしても、きっとこうしてベッド以外の場所に寝転ぶことは出来なかっただろう。
いついかなる時も淑女として恥ずかしくない振舞いをするよう、厳しく言い付けられていた。
けれど貴族の令嬢たちが集まるお茶会に、私が本当の意味で馴染めることはなかった。
没落しかけた家に生まれた、哀れな子――
振舞いにどう気を付けようと、そんな風に陰口を叩かれることは避けられないし、うまく切り返せるだけの器用さも私は持ち合わせていない。
早く帰らなくちゃ。
その気持ちはウィリスさんに話した通り、今も変わっていない。
けれど、生まれた時から私に付随していた不自由な肩書が一気に取り払われていくような感覚に否応なく胸が躍る。
同じくらいに、そんな感覚を味わっていることに対する罪悪感があった。
――でも。今夜だけは、この解放感を味わっていたい。
ガラスがはめ込まれていない竜舎の窓を見上げ、額縁に切り取られたような夜空に浮かぶ星を数えているうちに、私はいつの間にか眠りに落ちて行った。
◆
そして、翌朝――
竜舎に入ってきたキースさんを見て、私は思わず固まった。
「……? なにを凝視しているんだ」
キースさんが、朝日の中で不思議そうに私を見つめる。
さらさらの金髪が今は濡れ、きらめく雫をまとっていた。
昨日はかっちりとした軍服を着ていたものの、今はズボンにシャツというラフな格好をしている。
しかもシャツは素肌に羽織っただけで、綺麗な鎖骨と、細身ながらもしっかりと筋肉がついた身体があらわになっていた。
肌も濡れているところを見ると、どうやら、近くの川で水浴びをしてからここに来たらしい。
「昨日はよく眠れたか?」
そう問いかけられて、私はやっと我に返り、慌てて視線を逸らした。
まさかお嫁に行く前に男性の半裸を見てしまうなんて……!
胸の動悸を落ち着けていると、ふいにキースさんが私の目の前に丸くて美味しそうなものを差し出す。
「この近くで果実を見つけた。お前も食べるだろう?」
赤くつやつやとした果実は、蜜が詰まっているのか、私の鼻先で甘くかぐわしい香りを放っている。
くう、と小さくお腹が鳴った。
……嘘です。すごく大きかったです。
ドラゴンの体の大きさ的に仕方ないことなんです。
誰にともなく言い訳を重ねながらも、空腹には勝てない。
『それじゃあ……いただきます』
少し気恥ずかしさを感じながら、キースさんの手からリンゴを食べる。
甘酸っぱい果汁が口の中に広がって、野生の果物とは思えないような美味しさに、心がほっとするのを感じた。
「気に入ったか?」
キースさんがどこか嬉しそうに顔をほころばせる。
黙っていれば少し怖さを感じるほどの美貌に、無邪気な笑みを浮かべて。
「もっとあるぞ。食え」
キースさんは、私の口元にまたひとつリンゴを運ぶ。
きっと、彼自身が選んだドラゴンとして、私を可愛がってくれているのだろう。
『う、うう……なんだかすみません。私、本当は人間なのに……』
私はよく分からない罪悪感に苛まれながら、甘くとろけるような果実を鋭い牙でかみ砕いた。
◆
簡素な食事を終え、再び小屋から出てきたキースさんは、昨日と同じように一分の隙も無く軍服を着こなし、腰には剣を下げていた。
「いいかブルーノ。そろそろ出発するが……飛ぶ際は、ゆっくり、低くだ」
『ブルーノではありませんけど、ゆっくり、低くですね』
キースさんの言葉を復唱しながら、竜舎を出る。
開けた場所まで歩いたところで、キースさんがどこか訝しそうに私を見上げた。
本当に分かっているのか不安なのだろう。
『……大丈夫です。落としません』
思わず鼻先をすり寄せそうになって、私ははっと我に返った。
――危ない。うっかりしていると、本当に心までドラゴンになってしまう。
今私は、身の丈に合わない冒険をしている。
まるで物語の登場人物のように。
でもこれは現実だ。
早く元の生活に帰って、私の役目を全うしなければ。
ウィリスさんにかけられた魔法の力を弱めるという花を、なんとしても見つけなければならない。
王都の近くの森に咲いているというのなら、道の途中で見つけられる可能性もあるだろう。
私がそんなことを考えている間に、キースさんは私の背中に鞍を付け終わった。
けれど、私の側に立ったまま、いつまで経っても動かない。
どうしたのかしら。
不思議に思ってキースさんを見下ろす。
「少し待っていろ。……あと5分……いや、10分で心の準備を終える」
キースさんは青白くなった顔のまま、ぶつぶつと呟いていた。
本当に、どうして竜騎士になったんですか……?
ひと時でも人間の姿を取り戻せたら、一番にそう尋ねてしまうかもしれないと思った。
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