ワケあってドラゴンになった貧乏令嬢は高所恐怖症の竜騎士を愛でたい

第4話 目覚めたらドラゴンでした

　ドラゴンについての知識を思い出してみようと思う。

　ドラゴンは、各国の人里離れた場所に生息している。

　住処としている土地によって、ドラゴンたちは生態も特色も異なる進化を遂げていた。

　しかしたいていはどのドラゴンも人によく慣れ、ドラゴンを大切に保護して守護者として祀る国さえある。

　私が生まれ育ったこの国・ラケルタ王国も、ドラゴンを人間の守護者として扱う国のひとつだ。

　ラケルタ王国のドラゴンは、他種よりも体が大きく、ラケルタの大竜と呼ばれている。

　体色は茶褐色のものが多いが、まれに黄色がかったものや、突然変異により色素を失った個体もいるという。

　王都の騎竜隊において騎竜として使われるのもこのドラゴンで、その大きな翼は、どれだけ飛ぼうと疲れを知らないと言われていた。

　ラケルタの大竜の鳴き声は大地を轟かせ、離れた場所にも響き渡る。

　王都から南の峡谷までは馬車で数日といった距離だ。

　決して遠く離れているとは言えない距離だが、ドラゴンは人間たちを脅かす気はないようで、あくまでも峡谷から出ることなく、穏やかに暮らしていた。

　それゆえに、その雄大な姿を一般人が見ることは稀だった。

　けれど、物語の中にその逸話や伝説が数多く語り継がれている。

　王都では、年に１回、騎竜隊が空を飛び一般人を楽しませるイベントも行われているのだとか。

　箱入り娘であるところの私も、貴族の娘が好みそうにない本の数々をリイナを通して入手してきたおかげで、このくらいの知識は持っていたのだった。

　さて。

　どうしてこんなことを急に思い出したのかというと。

　私は、さっきまで酒場でウィリスさんと初めてのビールを楽しんでいたはずだった。

　そして襲ってきた心地いい眠気に身を預け、少しだけ瞼を閉じた。

　けれど今、太陽の光とともに目覚めたのは、見知らぬ場所だった。

　室内ですらない。

　荒涼とした黄土色の大地の上。

　あたりには風が吹きすさび、地層がむきだしになった切り立った崖があちらこちらにそびえている。

　そして――視界いっぱいの、ドラゴン。

　どういうことなの！？

『……おねえちゃん、もしかして目を開けたまま寝てるの？　大丈夫？』

『いやぁ、喋ったぁ！！』

　思わず品のない叫び声をあげて、ふと気づく。

　……声が。私の声が違う。

　低く地を轟かすような声。いえ、これは声なの？　これじゃまるで――

『おねえちゃんだって喋ってるのに変なの』

『……やっぱり、この声って、私！？』

　震える声で確認すると、巨体のわりにあどけない顔をしたドラゴンが、怪訝そうな顔で頷く。

　ドラゴンって、意外と表情が豊かなのね……。

　――って、そんな場合じゃないわ！

　私は慌てて自分の体を見下ろした。

『は、裸！　じゃなくて！　ドラゴン……！？』

　鋭いかぎ爪。どっしりとした足。

　黒く艶やかな鱗で覆われた体。

　しっぽは長く、黄土色の土の上に横たわっている。

　これが、私？

『かわいそうに、混乱しているのね』

　後ろから、ことさら低い声が響いてきた。

　恐る恐る振り向くと、目の前にいたドラゴンより、もふたまわりほど大きなドラゴンがこちらを見つめている。

『おかあさん。このおねえちゃん、やっと目が覚めたと思ったら様子が変だよ』

『きっとなにか事情があるのよ、ぼうや』

　……あら、親子なのね……。

　頭が混乱しすぎていて、またもやどうでもいいような感想が真っ先に出てきた。

『ねえねえ、おねえちゃんって違う場所から来たんでしょ？　ぼくたちと色が違うもの』

『わ……私は、街で眠って、気が付いたらここに……』

『街？　それって王都？』

『いえ、もっと田舎の――それよりも、ここはどこなのですか？』

『ここは南の峡谷だよ！』

『えっ……』

　目の前で好奇心旺盛にしっぽを振っているドラゴンは、赤茶色をしていた。

　これは、南の峡谷に棲むラケルタの大竜として一般的な姿だ。

　ということは、ここは本当に南の峡谷……？

　そもそも、どうして私はこんな姿で――。

　私はずきずきと痛む頭で、酒場でのことを思い返した。

「キミに、とっておきの魔法をあげようか。

　――次に目覚めた時を、楽しみにしておいで」

　そう、ウィリスさんは言っていた。

　もしかして……彼女は本当に魔法使いで、私はその魔法でドラゴンにされちゃったの！？

　そういえば、リイナも街の近くに大魔法使いが来てると言っていた。

　馬鹿馬鹿しいと一蹴したいような説が、確かな説得力を持って私の中で組み上がっていく。

　夢だと思いたい。

　けれど、鱗に覆われた頬を撫でる温かな風は、とても夢だとは思えなかった。

　その時、なだらかな丘のようになっている向こう側から、誰かが歩いてくるのが小さく見えた。

　、

『もしかしてウィリスさん！？』

　どうしてこんなことになっているのか聞かなくちゃ――！

　けれど私の期待はすぐに裏切られる。

　陽の光を照り返す金の髪は、私が知らないものだった。

　だんだんと影が大きくなり、黒い軍服のようなものをまとった青年だと気づく。

　彼は、整った顔立ちにどこか厳しい表情を浮かべて、こちらに歩いてくる。

　私と一緒にいるドラゴン２匹もそれに気づいたらしく、青年の方を見た。

『あっ、人間だぁ～！　かわいい！』

　……かわいい……？

『ねえおかあさん、ちょっとだけさわってもいい？』

『だめよ坊や、迂闊に触ろうとすると剣で引っ掻かれるわよ』

　引っかかれる…………？

　まるで猫の子について話しているような会話に、私は首を傾げた。

『あちらから近づいてくるまで大人しくしていなさい。それに私たちの爪で撫でると死んでしまうから、人間が私たちを撫でてくれるのを待つの』

『はあい』

　それでも喜びは隠しきれないらしく、子ドラゴンのしっぽが、びったんびったんと地面に叩きつけられている。

　茫然と親子の会話を聞いているうちに、青年が私たちの目の前まで来た。

「……峡谷の入り口で、早速出迎えてもらえるとはな」

　どこか堅い表情のまま、青年はためらいなく私たちの足元へと歩み寄る。

　そしてしっぽを振っている子ドラゴンに気づくと、そっとその首に触れた。

『……！』

　子ドラゴンは瞳を輝かせると、青年の小さな手に頭を摺り寄せた。

「ドラゴンは人懐っこいものだと聞いたが、これほどとは」

　青年の唇に、ふっと笑みが浮かぶ。

　その微笑みは、青年の怜悧そうな印象を、一気に柔らかなものに塗り替えていった。

　……恐い人ではなさそうね。

　事情を話せば、　ウィリスさんを探す手助けをしてくれるかもしれない。

『あのう、すみません』

「なんだ？　急に吼えるな」

　男性は私に少し驚いたような顔を向けると、子どもドラゴンから手を離す。

　――もしかして、言葉が通じてないの？

『おねえちゃん、人はぼくたちの言葉を理解できないよ～』

『ふふ、きっと初めて人間に会ったのね。可愛いでしょう』

　ドラゴンの親子が、微笑ましそうに私を見つめる。

『ええと……私も人間なのですが』

『…………』

『…………』

　少しの間の後、ぷひゃ、と二匹そろって鼻から変な息を漏らす。

　もしかしたら笑ったのかもしれない。

『人間になりたい気持ちも分かるわ、可愛いもの』

『あ、あの……本当なんですけど。私、本当に、人間……』

『またまたぁ。おねえちゃんも人間好きなんでしょ？　こんなところまで人間が来ることは少ないから、今のうちにかわいがっておきなよ』

　ドラゴンの親子が私を挟み、口々に言い募る。

　【人間の守護者】というよりも、やっぱり人間を愛玩動物かなにかだと思っているようなふしがあった。

『今この時期に人間が来るってことは……選定のためかもね』

　どこか期待のこもった口調で、親ドラゴンがつぶやく。

『えっ、ほんとう？　ぼくも選ばれるかもしれないの？』

『そうねえ、ぼうやはまだ体が小さいから、来年かしら』

『ちぇっ』

『……それって、何のことですか？』

　私を挟んだまま会話をする２匹に聞くと、男性が一歩こちらに進み出た。

「……お前……もしかして、群れのリーダーか？」

　グレーの瞳は、真っ直ぐに私に注がれていた。

『い、いえ、新入りですっ！』

「そうか、やはりな。お前には貫禄がある」

　うら若き乙女に向かって貫禄があるとはどういうことですか！

「どうりで綺麗な鱗をしている。黒に青目は珍しいな」

　青年はふっと微笑みを浮かべると、私の首元を優しく叩いた。

　う……。

　これは、何だろう。

　まるで猫がすり寄って来たかのような感覚。

　小さなものが、恐る恐るこちらに手を伸ばし、懐こうとしているような……。

　なによりも、鱗に触れる温かな体温が心地いい。

『おねえちゃんいいな～』　

　不覚にも、その気持ちが分かってしまった。

　……だめ。正気に戻るのよクラウディア。

　身も心もドラゴンになる前に、元に戻る方法を探さなくちゃ――！

　私が悶々としていると……

「決めた。お前にする」

『えっ？』

「じっとしていろよ」

　男性は私の前脚に足をかけて、私の背中へと昇った。

　痛みは感じない。どころか、重みさえも感じなかった。

　うっかり落としてしまわないようにじっとしていると、やがて首と胴に革製の縄のようなものをかけられる。

　これって、もしかして……。

　教養として、乗馬を習ったことがある。

　たしか馬に乗る前に同じような器具を装着していた。

　嫌な予感がぞくぞくと背筋を駆け上ってくる。

「これで、お前は俺の相棒だ」

『あ、あの、これはなんなんでしょうか……』

「言葉は通じないとは思うが、一応自己紹介をしておこう。俺は王都騎竜隊所属の、キース・オリヴィエだ」

『騎竜隊！？』

「なんだ？　不満そうな鳴き声だな。――ああ、そうか。相棒に名前を付けなくてはいけないな」

　キースさんは、しばし考えるように言葉を切った。

　やがて、その唇に満足げな笑みが浮かぶ。

「……よし。お前の名前は、今日からブルーノだ」

『クラウディアです！』

「はは、早速返事をしてくれるのか。いい子だな」

　涙目になっていることにはまったく気づいてもらえていない。

　そして名前からして、完全にオスだと思われている。

　しかも……しかも……。

　騎竜隊っていうことは、私はこのまま隊所属の竜にされてしまうということで……。

『いいな～おねえちゃん』

『色々大変だと思うけど、頑張りなさいね』

　私が憧れ、何度も読んだ物語を思い出す。

　ええ。確かに、あの物語のような冒険と恋が出来たらと思っていたわ。

　でも。

　そんな。まさか。

　お姫様じゃなくて、ドラゴンの方になるなんて――

　誰も、予想できないでしょう！？

　くらりと意識が遠のく。

　このまま気絶してしまえたら楽なのにと、心底そう思った。