第2話 秘密の計画

 その夜、私の自室のベッドの上では、乙女の集いが開かれることとなった。


「ディア様が結婚ですかあ。寂しくなりますねー」


 仕事をしている時のきびきびした様子とは違う、のんびりした口調でリイナが言う。

 仕事中はまとめていた明るい栗色の髪がその肩に垂れている。

 膝には白いハンカチが敷いてあり、その上にはキッチンからくすねてきたナッツや木の実が沢山載っていた。


「仕方ないわ。いつかこの日が来るということは、とっくに分かっていたことだし」


 私は手を伸ばして、リイナの膝の上の木の実をひとつ頂戴する。

 本来ならこうして私のベッドの上に一緒に腰かけて、あまつさえそのまま飲食をするなど許されないような関係だけれど、幸い両親は見て見ぬふりをしてくれていた。

 社交界で出会うきらびやかな令嬢たちとはいまいち馴染めない私にとって、年の近いリイナは唯一と言っていいほどの親友だ。


 ――けれど、嫁いでこの屋敷を出た後には、そう頻繁に会うわけにはいかないだろう。

 今更、離れた場所に嫁ぐことへの心細さと寂しさが襲ってくる。

 貧乏貴族である以上、婚姻によって他の貴族と縁を繋ぐのは、その家の娘に託された大切な仕事だ。

 分かってはいても、こうしていざその時になると、どうしても動揺してしまう。


 お母様と同じく、リイナも私の不安を見抜いているのだろう。


「ディア様、冒険とロマンスで生きてるって言ってたじゃないですか。本の調達はどうするんです?」


 ポリポリとナッツをかみ砕きながら、リイナが続ける。


「今まではあたしが屋敷の外で買ってきてましたけど、由緒正しい貴族の男性に嫁ぐのなら、きっとそう頻繁に本を読むこともできなくなりますよ。あいつら、貴族の女はサロンでマカロン食べながらくっちゃべってりゃ良いって思ってますから」

「っ……そうよね……」


 きっとこれまで以上に社交が重要視されて、貴族の奥方としての仕事に時間を費やすことになるのだろう。

 でもそれなら、このさき何を糧にして生きていったらいいのだろう。

 私は途方に暮れたような気持ちで、自分の膝を胸に引き寄せた。


「それも仕方のないことよ。覚悟を決めるしかない。でも……一度でいいから、心躍るような冒険がしてみたかったわ」


 リイナは私の様子をしばらく観察していたかと思うと、おもむろに唇を開いた。


「ディア様の言う冒険って、意外と身近にあると思うんですよねー」

「え?」


 空いたままの私の口に、リイナがぽいと煎りクルミを放り込む。


「ディア様って、極力外に出ないで過ごしてるじゃないですか。貴族のお友達もあまりいないみたいだし」


 うっ……。

 クルミを咀嚼しながら、私はまたもや言葉に詰まった。


「ディア様は清貧生活に慣れてるし、私たちのような使用人にも気さくだから、どうも貴族っぽくないところはありますけど……正真正銘の、箱入りお嬢様なんですよね。下手をすれば上級貴族の令嬢以上に世間知らずです。興味が明後日の方向に向いてますし」

「……否定はしないわ」


 貴族令嬢として、社交のために交流の場に顔を出すことは少なくない。

 けれど、どうしても社交の場で交わされる話題――つまり、人のうわさ話や、流行りの舞台、ファッションについて――に、私はついていけないのだ。

 加えて家の事情もあり、私と近づきたいと思ってくれるようなご令嬢もいなければ、私自身の積極性もない。

 結果、自然と交流の幅は狭くなり、情報も入ってきにくくなる。

 貴族の生活には未だに馴染めないし、市民のいわゆる普通の暮らしのことは、本の中に書かれていた範囲でしか分からない。

 つまり、リイナの言う通り、私は極端に世間を知らないのだ。

 こんな生活を許されているなんて、甘やかされていると自分でも思う。

 いつまでもこれではいけないと、かねてから密かに危機感を抱いていた。


「そこで提案です。ディア様、少し間だけ、いつもと違う生活をしてみませんか?」

「いつもと違う生活?」

「……1日だけ、庶民になって街に遊びに行くとか。それだけでも、ディア様にとっては大きな冒険ですよきっと」


 リイナが、悪戯っぽく片目をつぶる。


「例えばディア様は、ご自分で本屋に行かれたことがないでしょう? 膨大な量の本が収められている棚から、自分で気になった本を選んでみるのは楽しいですよ。その後は……そうですね、庶民の憩いの場である、酒場に行ってみるのなんていかがです? 普段接することのない人たちとの出会い、食べたことのない料理、飲み物……ディア様にとって未知のものがてんこ盛りです」


 素敵……。

 頭のなかでもくもくと街の光景が広がる。

 もちろん道を歩いたり、人で賑わう市場の前を馬車で通ったりはするものの、一般市民としてその楽しそうな喧騒に溶け込むことは許されなかった。

 私は思わず前のめりになる。


「すごく楽しそうだわ!」

「しかもですねディア様、最近、この近くの街に大魔法使いが来ているそうですよ」

「魔法使い……? 魔法なんてそれこそ、物語の中の話ではないの?」


 一瞬、リイナがからかっているのかと思った。

 けれどそうではなかったらしい。


「ほら、ディア様は世間知らずです。確かに伝説のような存在ですよ。ごく少数しかいませんし。……でも、実在します」

「そうだったの?」

「噂では、普段は王都の城の奥で研究にいそしんでいるらしいですよ。その力ははかり知れず、基本的には城の外に出ることを禁じられているとか――」


 それこそ物語の中のような話に、私はこくりと喉をならした。


「ディア様、庶民の日常はこのように冒険に溢れています。どうです? 行ってみたくなりませんか?」

「……行って、みたいわ」


 本当は頷くべきじゃないと分かっていても、自分を止められなかった。

 一度、ただ一度でいい。

 心躍るような冒険を、身近に感じられたなら――。

 あとはその記憶を糧にして、貴族の令嬢としての運命を歩んでいけるような気がした。 


「でも……そんなこと、可能なのかしら。私が理由もなく屋敷を抜け出したら、お母様やお父様がすぐ気づくのではないかしら」

「あらまあディア様、悪友は何のためにいると思って?」


 リイナはベッドからおもむろに立ち上がると、エプロンの紐を解いてウインクをした。


「ディア様のためです。あたくしがひと肌脱ぎましょう」

 


 ◆



 三日後、私たちはとうとう計画を決行した。


 私が屋敷を抜け出せたのは、昼過ぎのことだった。

 お父様とお母様には具合が悪いと告げ、部屋には私のドレスを着たリイナを残してきた。

 シーツをすっぽり被ってしまえば、体形がよく似た私とリイナの区別はつかない。


 私は屋敷の裏手にまわると、リイナが手配しておいた馬車に、使用人のふりをして乗り込んだ。

 リイナが貸してくれた服は、一般市民のもので、簡素で動きやすい。

 帽子を目深に被ってしまえば、顔を見られたところですぐには私だと気づかれないだろう。


 ――うまくいったわ!

 あとはこのまま街に行くだけ……。


 馬車のシートにもたれた私は、高鳴る胸を感じながら、リイナにもらったメモを開いた。


『安心安全☆リイナのお楽しみ街歩きプラン』

 ・まず本屋に行きましょう

  店内に入って、向かって左から3個目の棚がディア様好みです。

 ・本を選び疲れたら、近くの公園で休みましょう。

  噴水のほとりは涼しくて、読書にも最適です。

 ・日が暮れてきたら、酒場に行きましょう。

  庶民憩いの場です。 

  ただし、ガラの悪い酒場もあるので、必ず私が指定した酒場に入ってくださいね。

  酒場初心者の友人の面倒を見てもらうよう頼んであります。

  ビールは2杯まで。8時までには帰りましょう。



 丁寧に補足がなされた箇条書きの下には、詳細な地図が書いてある。

 ……ありがとう、リイナ。

 私はメモをぎゅっと胸に抱いて感謝をすると、早速御者に行き先を告げた。



 ◆



 街を一通りまわった私はもう、有頂天だった。

 自由であることが、こんなに楽しいなんて!


 もちろん、街に来たことがないわけじゃない。

 けれど、立場が違うだけで、こんなにも見る景色が変わるなんて知らなかった。

 本屋も、リイナが教えてくれた公園も、貴族が歩くメインストリートからは離れたところにあった。


 そしてもちろん、酒場も。

 私は目の前の木製の扉を前に、感動で胸が震えるのを感じた。

 傍には、おそらくビールをかたどったものであろうレリーフ付きの看板が下がっている。

 いつも飲むものと言ったら、紅茶かワインだ。

 私は、時折物語の中に出てくるこのあわあわした金色の液体を、いつか飲んでみたいとずっと思っていたのだ。


 それに冒険小説において、酒場はいつも重要な役割を持つ。

 ヒーローが情報収集をしたり、魅力的な踊り子のヒロインと出逢ったりするのだ。

 身分を隠した姫をカモフラージュのためにここに連れて来たりもするかもしれない。

 庶民の酒場は、貴族が出入りするような場所とはまるで違って、雑多で、少し妖しい魅力があるはず。

 少しの不安を、むくむくと膨れ上がる好奇心が押しのけていく。

 

 ――よし、行きましょう!

 そうして私は、期待を胸に酒場のドアノブに手をかけた。


 ドアの向こうで、私の人生をまるごと変えてしまうような出会いが待っているとも知らずに。

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