番外編 私とあなた

 私――オーカ・リン・フラーは日本の遺物解析を行っている。

 異文明の遺物解析をする者――、Anolystアナリストだ。


「ジェーンはアイってわかるわよね」

 私はカップに口をつけている友人のジェーン・リン・ケイシーに向かって話かける。

「アイ?目のこと?H、I、J、Kのアイ?」

 私は首を振る。

「“私”の“I”よ」

 ジェーンは怪訝そうな顔をする。

「哲学的な話?私、哲学者じゃないわよ」

「知ってるわよ。哲学的じゃなく、単純な話よ」

 私は「何をわかりきった事を」と鼻で笑った。

「日本語は“I”が多いのよ」

 ジェーンはまた一段と眉をひそめる。

「“I”が多いって……それは哲学的な話よ」

 思わず首を振る。

「言い方が悪かったわ。“I”の翻訳分岐が多いのよ」

「翻訳分岐?私は“私”でしょう?」

 私はカップにお茶を注ぎ、ジェーンのカップにも注ぎ足した。

「旧日本人は何故か自分や相手を指す言葉の種類が多いのよ。一人称、二人称とか言うの?それが多いのよ」

「はぁ?待って、旧日本人は漢字と何仮名?とかいっぱい使うんでしょう?」

「基本的には漢字、ひらがな、カタカナの3種ね」

 私はジェーンの言葉を継いだ。

「それ!それで何種類の文字?たくさんよね。それなのに“私”以外にも使うわけ?」

 頭をかかえたジェーンは背もたれに寄り掛かった。

「例えば、“私”これは男女共に使うわ」

「あー、そういう事ね。ドイツ語やフランス語に男性名詞と女性名詞があるようなものね」

 一瞬で理解した。と言わんばかりにジェーンは相槌を打つ。

「まぁ……そんなところね」


「“僕”や“俺”はよく男性が使うわ。“儂”はよく老人が使って、“わっち”は遊女……娼婦が使ったとされるわ」

「待って、待って、待って、ちょっと落ち着いて」

 掌を下に向け、何度か上下させたジェーンはカップのお茶を手に取った。

「私は落ち着いているわよ」

 私はジェーンがお茶を飲み終えるのを待った。

「“I”だけで何個あるのよ!?」

 飲み終えたジェーンは叫んだ。

 私は両掌を上に向け、「わからない」とポーズをとった。

「頭が……おかしいわ」

 目頭を抑えながら首を振るジェーンに私は追い打ちをかける。

「同様に“you”にも数々の翻訳があるわね」

 ジェーンは両手を上げ、首を振って降参をした。

「オーカはよく頭がおかしくならないわね」

 聞いただけで口から溜息が漏れたジェーンはそんな事を言ったが、私は首を振る。

「私は旧日本人の先祖返りかもしれないわね」

 私は自慢げに胸を張ってみる。


「“My mother”と“mam、mom、mum”やマダムの“ma'am”のような、わかりやすい考えのもあるわね」

「例えば?」

「“私”と“わっち”は同じ感じね。“私”と“儂”も“た”が無いだけだからわかりやすいわ」

 私の考えにジェーンは頷いた。

「確かに一文字違いや省略はわかりやすいわね」

「けどね、“僕”と“俺”とかになると訳が分からないわ」

「あー……どっちも“I”なのよね?」

 取り敢えず確認。という体で私に聞いたが、勿論答えはイエスだ。

「それがいく通りにもあるのよ」

 ジェーンはうんざりとした顔をする。

「旧日本人はどれだけ自分が好きなのよ」

「自分じゃなくて相手も好きみたい」

 私はデータベースの一覧をジェーンに送る。


「“you”も色々あるわ。“あなた”はスタンダードね。“あんた”、“お前“、”手前“なんてのもあるわ。”手前“は相手も自分の事も指す言葉よ」

 ジェーンはデータベースを見ながら疑問を口にする。

「待って、それは“私とあなた”って意味?」

 英語である“we”なのかと訊ねているようだが、私は首を横に振る。

「自分を指す言葉と相手を指す言葉が同じなのよ」

 信じられないと言わんばかりに両手を上げて首を振る。

「どうやって判断するのよ」

「それはわからないわ。解析していて文章がおかしいから気が付いたようなものだもの」

 普通に話していて「文章の脈絡がおかしい」なんて事で察しているのだったら旧日本人は頭がおかしい。

 旧日本人は頭がおかしい?それは知っていたけどね。


「おかしいものは他にもあるわ。“貴様”って“you”よ」

「何でよ」

 どこかしらぶっきらぼうに答えたジェーンは、心落ち着かせるためかカップに口をつけた。

「“様”って敬称で……“Mr.”みたいなもので、“貴”は尊ぶ者、敬意を指すの」

「結構仰々しい言い方なのね」

 ジェーンの言葉に私は首を横に振る。

「それが、相手を見下しているような言い方なのよ」

「何でよ!今の流れじゃ完全に相手を敬う言い方じゃない」

 ジェーンはカップをテーブルに置いて、溜息を吐く。

「旧日本人は変よ。そんなに“I”と“you”があるなら語学力が達者だったでしょうね」

 掌を振るジェーンを見て私は沈黙した。

「ねぇ、オーカ。何で急に黙るのよ」

 私を睨むジェーンの顔が恐い。


「旧日本人はアニメーションや漫画、小説界隈なんかでは随分賑わっていたようだわ」

「サブカルチャーってヤツね。まぁ、これだけ“I”で種類が多いのだから納得ね」

 現在その資料が次々と回収され、解析するよう私の方へとやってくる。

 その都度、解析・翻訳はしているが、追いつかないほどだ。

「で、何かあるのよね」

 私が黙った意味を聞いてくる。

 誤魔化しは効かないようだ。


「旧日本人は島国のためなのか、日本語が特殊すぎるのか、英語も話せる人は少なかったみたい……」

 私はジェーンから目を逸らした。

「英語なんて、まだ簡単じゃない!!日本語に比べたら!!」

 ジェーンのストレスが爆発した。

「私に言ってもしょうがないわよ」

「それはそうだけど、言わなきゃ頭がおかしくなるわ!」

 ジェーンは戸棚にあったウォッカを取り出してグラスに注いだ。


 このウォッカは私達の師、イーザ・フォン・コルツ先生によって製造方法が解析され、サンプルとして贈られたものだ。

「旧日本人の話は呑まないとやってられないわ」

「絶滅した旧日本人の考えは私にもわからないわよ。けど、付き合うわ」

 私のグラスにもウォッカが注がれた。

「そうそう、日本語で“I”は“愛”と同じ読み方なのよ」

「はぁ~、旧日本には愛が多かったようね」

 この後も旧日本人の変な話にジェーンは憤慨した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る