名塚の砦

 儂も手勢を率いよとの殿の命に従い、領地から兵を呼び寄せた。数は三百余りで、末森衆の後詰を任された。

 先陣は馬廻りに抜擢された津々木蔵人が務める。


「権六は父上に付けていただいた、いわば与力でや。儂は儂の家来を率いねばならぬ。その時にもっとも頼みにするのはそちでや、蔵人」

「は、ははっ!」

「津々木殿。儂からも頼む。勘十郎の殿を守ってやってほしいでや」

 儂はいずれ勘十郎様の元を離れることとなろう。いまは勘十郎様と喜六様の守役をしているにすぎぬ。

 彼の若君たちが独り立ちし、一人の将として立たれれば、織田は新たなる局面を迎える。

 尾張一国を一統する。そののちのことはわからぬ。しかし、弾正忠家はいわば新興勢力で、その力を支える家臣は少ない。

 

「申し上げます。大殿よりの下知にございます。名塚に砦がございますゆえ、そこを落とすようにとのことにてございまする」

「砦、だと?」

「はっ、また味方として林様の手勢がこちらに加わるとのことにございます」

 末森衆は儂の手勢を加えて一千。さらに林様の兵は七百。


「兄上の兵は?」

「名塚の砦に三百。守将は佐久間大学とのこと。那古野衆は総勢千あまりにてございまする」

「うむ」

 殿の下知より、試し合戦は始まっているとみてよい。数日前から降ってきた雨により川は増水している。

「殿、後ろ巻きが来る前に攻めるが肝要かと」

 蔵人の言は理にかなっている。林佐渡様もうなずきを返している。

「勘十郎様、我が弟、美作が先陣を勤めまするに」

「わかった。任せるでや」

 林衆の与力として前田の家がある。孫四郎の実家だ。


「孫四郎。おのしも先陣に加わるかや?」

「いいえ、儂は殿と共にありまするに」

「……三郎様と戦うこととなるでや」

「儂は儂より弱き主に従うつもりはないがや。権六の殿は儂よりも強い、そして儂をさらに強くしてくださった。その恩を返さずに帰参したら、縁を切られるにてあらあず」

「なるほどのう。なれば孫四郎、おのしが武辺、尾張に見せつけよ」

「応!」

 

 名塚の砦は、名ばかりの掘っ立て小屋であった。小高い丘の上に柵をめぐらし、陣屋と矢倉が建っている。

 周囲に兵を配り、ジワリと攻め寄せれば長くはもつまい。


「あのような小城、一気呵成に揉み潰すでや!」

 林美作は槍林とうたわれた剛の者で、武功を立てたことも数多くあった。

 付き従う武者も尾張に名の知れた猛者が多くいる。

 鎌田助丞、富野左京進、山口又次郎、橋本十蔵、角田新五、大脇虎蔵、神戸平四郎らは、勇躍して砦に攻めかかる。


「防ぎ矢、放て!」

 佐久間大学も名の知れた武者であった。佐久間家の者は防戦を得意とする。粘り強く陣列を保ち、長く戦い抜くことを旨とする。

 一直線に坂を上り、大手を攻める林美作殿。矢盾をうまく使い、兵の損害を押さえつつ攻め上る手際は、見事と言えた。


「かかれええええい!」

 美作殿は一文字に攻め寄せる。力を集約して叩きつけるのは用兵として間違いない。しかし、それは城方からも迎撃を一点に集約できることにつながる。

 矢を受けた兵たちがどんどんと脱落する。城方にもこちらの陣中にも目付がいて、脱落した兵に離脱を命じる。


「権六、美作が正面を受け持っている間に、搦手に回るがや」

「ふむ、なるほど。承知仕った」

「頼むでや」

「はっ!」

 正面に戦力を集中している故に、搦手からの攻撃は敵に打撃を与えられる。


「後ろ巻きが来る前に攻めるでや!」

「おう!」

「殿、物見を放つがよからあず」

「久六、まかすでや」

「うむ。三郎様のことなれば、何をしでかすかわからんでなん」

「左様でや。おのしの言う通りにてあらあず」

 この会話がのちに柴田衆を救うことになるとは思いもよらなんだ。


「よし、うまく回りこめたでや。ものども、支度は良いかや?」

「「おおう!」」

「よし、かかれええええええい!」

 儂の下知に従い、兵たちが前進する。


「うおおおおおおおおおおおおおおおう!!!」

 鬨の声を上げて名塚砦の背後から攻め寄せる。このことを予測していたのか、整然と反撃してくる。

 奇襲になるとは思ってはおらなんだが、敵の備えが速い。


「殿、攻め落とすは厳しそうでや」

「うむ、しかし正面からの攻撃を受けつつ、こちらも抑えきるとは」

「見事なる采配でや」

「いや、さにあらず。我らが把握しておらぬ数がおるということでや」

「殿!?」

「でなくばそろばんが合わぬでや。もともと潜んでおったのか……さもなくば」

 その時、横合いから敵兵が現れた。


「ぐわーーーーーっ!」

 先手の兵がバタバタと倒れていく。よほど統率された弓衆でなくば、あれほど整然と一斉に矢を放てぬ。そもそもあの茂みでは大弓を構えるだけの隙間がない。

 それゆえに物見も見落とした。


「申し上げます! 永楽銭の旗を掲げた備え、八百が勘十郎様の本陣を襲撃、お味方総崩れにございます!」

「なんだと!?」

「わが名は森三左衛門なり。敵将、出会え!」

「おのしが殿に槍を付けるなど十年早いでや!」

「ほう、若造。名を聞こうか」

「柴田権六が小姓、前田孫四郎でや!」

「稽古をつけてやるでや」

「抜かせ!」


 孫四郎は勢いに任せて槍を突き出す。並みの武者ならば田楽刺しにされているはずだ。

「ぐぬっ!」

 余裕の表情を保っていた森とやらは顔色を変える。でありつつも孫四郎の槍を受け止めている。

「これでもか!」

「ぬうう!」

 孫四郎と互角かそれ以上に戦える武者を召し抱えておるとは、三郎様は底が知れぬ。


「林美作、滝川彦右衛門が討ち取った!」

 その声に動揺が走る。精兵の柴田衆と言えども不利になれば、腰が引ける。


「うろたえるな!」

 儂の一言に我が隊はひとたび落ち着きを取り戻す。


「ふむ、我が任は果たせたということであらあず。森衆、退けい!」

「まてっ!」

「孫四郎、深追いいたすな!」

「は、ははっ」

「やれやれ、完全にしてやられたでや」

 

 決着の合図の鏑矢が飛んだ。末森方の完敗だった。

「実に見事な後詰いくさにあらあず。三郎様はけして家来を見捨てぬ。そう分かったことはよきこと、なのであるがや」

「いかさま。左様でや。あれは唐の国でいう魏を囲んで趙を救う、と言うやつにらあず」

「ふむ。三郎様は唐の国の兵法も修めてござるだわ。あの方をうつけとあざける者の方がうつけであったということでなん」


 本陣に戻ると、殿が床几に腰かけ、三郎様と勘十郎様が、地べたに座り込んでおった。

「……すまん、儂が力及ばぬゆえに」

 儂が戻ったことに気づくと、勘十郎様は疲れ切った顔で儂に詫び言を言う。

「勘十郎様の采配には儂は疑いを持っておりませなんだ。負けは儂の責もございまするに」

「しかし……」

「三郎様が器量を見ることができたのは良きことにて。大殿の采配にも劣らず、見事なるいくさぶりでござった」

「ああ、そう、だな。儂は兄上に及ばぬ。権六も使いこなせなんだ」

 ぎりと歯を噛みしめる。口の端からは血がにじんでいた。

「勘十郎。我はお前の考えることがよう分かったでや。家臣の言を容れ、古式よりの兵法に従って兵を動かす」

「……はい」

「それが悪いとはいわん。定石と言うものは古来より無駄を削ぎ落したもっとも純粋なる一手ゆえにな」

「では、なぜに!」

「定石には表と裏があるでや。唐の国の韓信を思い浮かべよ。兵法に定める定石のすべて裏を行い、大敵を打ち破ったのでや」

「……兄上は韓信と言いたいのですかや?」

「どうであろうな。彼の大元帥は唐の国を二つに割った大いくさを勝ちに導いた。数十万という大軍が動いた未曽有の戦いじゃ。我が動かせる兵はいいところ一千。この数では小城一つ落とすのにも苦戦するであろう」

「何が言いたいのです?」

「勘十郎。おのしが力を貸せ。さすれば親父の手勢に匹敵する戦力を持てる」

「兄上、それは!」

「されば、親父のどれだけ助けになるか。尾張に武を布く、あまねく武辺をもって尾張を一統するのじゃ!」

「……謀反では、ない?」

「たわけ! 親父と我と、お前の力を束ねねば、北四郡とは戦えぬ。内輪揉めをしておる暇があるか!」

「おっしゃる通りにて、ございまする」

「勘十郎。我らは血肉を分けた兄弟よ。互いに替えなど居らぬ」

「兄上!」

 

 殿は肩をすくめて儂を見てくる。口元には苦笑いが浮かんでいた。

 手を取り合う三郎様と勘十郎様。互いの顔には素直な笑みが浮かんでいる。

 骨肉相争う乱世ではあるが、力を合わせれば生き抜くことも叶おう。


「やれやれ。しかし、収まるところに収まったと言うものでや」

「はっ、実にめでたきことにてございまするに」

「うむ、なればその方にも頼むとしようかの。叔父としてあ奴らを後見してくれよ」

「は!? 叔父!?」

「つやは儂の妹故な。さすればその方は義理とはいえ、叔父になろうが」

「は、ははっ!」

「うむ、祝言の支度をせねばなるまいなあ」

「い、いや、しかし清須の城のこともありますでや」

「あ奴らにはもはやこちらに挑みかかる力は残っておらんでや。三郎と勘十郎が内輪もめをして、いくさに及んだと流言を流しても、全く動く気配がなかったからのん」

 くつくつと黒い笑みを漏らす殿の姿に、頼もしさとおそろしさが身を貫く。

 それでも、家中が一本にまとまったことにより、弾正忠家の力は増した。尾張一統に大きく前進したことは間違いない。

 そして清須衆の力は先細りになっている。清須を取り抱えれば下四郡の統一はなる。そのために戦い抜くことを改めて誓うのだった。

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