練兵
「槍衾、立てい!」
勘十郎様の下知に従い横一線に並んだ足軽衆が一斉に槍を立てる。
「落とせえい!」
立てた槍をそのまま前に向かって倒す。三間の高さより落下した槍の穂先はその重量と相まって、甲冑ごと人体を叩き斬る。
勘十郎様は采を振るい、槍衆は汗を絞りつつ槍を上げ下げする。
「そこ! 遅れるでない!」
「ははっ!」
「我が合図に従って一斉に動くでや!」
「おう!」
足軽に混じり、一心不乱に槍を振るう津々木蔵人。その姿は主君のために必死に力を付けようと励んでいるように見えた。
「んー、権六。ちょっと思ったんだけどさ」
「はっ!」
儂の隣にいた喜六様がつぶやいた。
「槍、もっと長くしたらどうかな?」
「ほう?」
「尾張武者は弱いってよく言われるよね」
「左様なことはございませぬ!」
「権六は別格だよ。君のような武辺者は日ノ本でも数えるほどだ」
「は、ははっ」
過剰な誉め言葉に恐縮する。
「けどね、普通の兵はそうじゃない。彼らが戦うのは強制されてだし、褒美も微々たるものだ」
徴兵された兵が受け取る報酬は米一斗ほど。城詰の足軽は年に米一石で雇われている。場合によっては銭で支払う場合もあるが、おおむねそのようなものだ。
「人は死を恐れる。傷を負うことから逃れようとする。それは生き物として当たり前のことだ」
「武士は死を恐れませぬ!」
「そうだね。けどそれは、臆病者は死よりつらい目にあうからだ。死ぬ方がまし、そう追い込まれているからなんだよ」
「……確かに、おっしゃる通りにございますな」
「家を守るため、所領を守るため。様々なしがらみの中に僕たちはある。っと話がそれたね。槍の長さだけど、兵を危険から遠ざければいい。より遠くから、敵に攻撃される前に一方的に攻撃できるようにすればいい。そういう考えなんだよ」
「それはいささか卑怯にございませぬか?」
「勝てばいい。勝つことはすべてに優先する。もちろん、その方法によって得られる不利益が勝利の利益を失わないことが前提だけどね」
この方は何を言っているのであろうか。いや、言っていることはわかる。たかが槍の長さが当家の評判に関わることはないであろう。そっちの槍がこっちより長いから負けた。そんなことを言えばあざけりの対象となるは必然だ。
「えーっとね、越前の朝倉金吾がこう言っていたそうだよ。「武士の役目は犬畜生とののしられようが勝つことである」と」
「朝倉にございますか……」
「権六、誰が言っていたかじゃない、何を言っているかだよ」
その言葉にハッとした。朝倉と聞いて、織田と朝倉の因縁を思い起こし、思わず反発してしまった。
しかし、言われてみれば正しいことを言っている。負ければすべてを失うのだ。命も、所領も、家族さえも守れない。
「がはははっ、確かに。儂の了見はいささか狭かったようにござる」
喜六様はニコリと笑みを浮かべる。
「槍のことは兄上とも話しているんだ」
「勘十郎様にござるか?」
「三郎兄上の方だね」
「……なるほど、勘十郎様はしきたりを大事にされる方にございますからな」
「そう、古来からの軍法をいじるなんてとんでもない、だってさ」
「ふむ、なれば那古野衆と末森衆で試し合戦をしてはいかがですかな?」
「うん、向こうはすぐに槍を用意したそうなんだ。三郎兄上の果断さはすごいね。天下を取れるよ」
「それは大きく出られましたな。がはははははは!」
「よし、休め!」
たっぷり小半刻、槍を振るった槍衆は汗みずくになってへたり込む。
そんな彼らに、喜六様はひょうたんを配っていく。
「少しづつ飲むんだ。いいね」
「ははっ!」
にこやかな笑みを浮かべつつ足軽たちに声をかける。中には顔を真っ赤にしている者もいた。
「喜六、なにをしておるでや?」
「ええ、汗をかいたなら水を飲まねばなりませぬ。人の身体の半分以上は水でできていますのでね。それが足りなくなれば最悪死にます」
「……なるほどのう。そなたのその智は書物からかや?」
「はい。様々のことを学べております」
「うむ、そなたは身体が弱い。だがその智があれば、織田の発展の力となるでや」
「はい、ますます励みまするに」
「うむ!」
未来を見て互いに笑いあう兄弟は、実に眩しいものであった。足軽どもも汗をぬぐうと再び立ち上がり体を伸ばしていた。
「よし、稽古を続けるでや!」
「「おう!」」
末森衆の士気は高い。勘十郎様は年は若いが良き大将となられる方に見える。
「兄上……」
喜六様は少し悲しげな眼で勘十郎様を見ていた。その目が気になったが、声をかける前に館の方に戻っていかれた。
儂の後ろでは槍衆が気合のこもった掛け声を上げていた。
「権六、手合わせをたのむでや」
「はっ!」
儂が手槍をもって立つと、槍衆どもはびくりを身をすくませる。
「おのしら。権六は尾張一の猛者にてあらあず。権六に一撃入れたものは槍衆の頭として取り立てるだがや」
ぼそりとつぶやくように勘十郎様が告げる。頭役となれば禄も上がる。そうなればよりましな暮らしが見えてくる。
足軽長屋から屋敷がもらえ、直臣となれば部下を持つこともできる。
立身出世の糸口を見た彼らは欲望に目をぎらつかせる。
「だあああああああああああああああああああ!」
手槍を持った足軽の一人が喊声を上げながら突っ込んでくる。
「ぬうん!」
槍先を弾くとそれまでの稽古で疲れ切っていたのだろう。足元がおぼつかずそのまま倒れる。
「いくさ場では疲れておろうが容赦などされぬ! 死にたくなくば力を振り絞るでや!」
「うおおおおおおおおおおおおおおお!」
もう一人かかってくるが、これも槍を弾くと吹き飛ばされる。
「腰を入れよ!」
「突きが甘い!」
「そんなことでは真っ先に首を取られるでや!」
半刻もするとすべての槍衆が地面に倒れ伏す。
「おのしら! その体たらくで主君を守れると思うておるか!」
「ぐ、ぐぬ!」
そんななか一人だけ立ち上がろうとする者がいた。
「津々木蔵人、参る!」
倒れていた者の中から奇襲をかけてくる。死んだふりをして襲ってくる兵はたまにいた。死んだふりをしているうちに首を取られることも珍しくない。
「奇襲するならいちいち名乗るでない!」
「しかし、名乗りも上げずに襲い掛かるは卑怯ではないか!」
「たしかに!」
数度槍を合わせる。これまでは一撃で吹き飛ばされていたのだが、曲がりなりにも儂の槍を受けるとはなかなかやる。
「ふん!」
槍先を下からすくい上げると蔵人の槍が弾かれ宙を舞う。
「ぐぬっ!」
飛ばされた槍に頓着することなく脇差を抜いてこちらに突進してくる。跳ね上げた分槍を戻すのが遅れ、間合いを詰められる。
「ほう、やるでや」
くるりと槍を返すと、石突で蔵人の胴を突くと、躱しきれずにまともに受けて倒れ伏した。
「蔵人!」
勘十郎様が血相を変えて駆け寄る。
「殿、この者、忠勇無双にござる」
「うむ、儂の股肱である」
腹を押さえてうずくまっていた蔵人が立ち上がり、勘十郎様の前に膝をつく。
「殿、申し訳ござらぬ。拙者の力、及びませんでや」
「権六は日ノ本に冠する猛者でや。おのしが武辺は見事であったるぞ」
「さらに励みまする!」
「うむ、励め!」
数日後、殿からの命を伝える使い番が来た。すわ、出陣かと色めき立つ武者どもはその内容を聞いて拍子抜けしていた。
「明後日、古渡の城にて那古野衆と仕合じゃ。互いにひと備えを出すことと相成った。大事なのはここからじゃ。勝った方に家督を譲ると父上は申されたでや」
この言葉に武者どもが再び色めき立った。
嫡男は三郎様。弾正忠家において、三郎の名は当主のみが許される名乗りである。信定様、信秀様も元服後には三郎を名乗っていた。
故に、勘十郎様は三郎様の下風に立つこととなる。それはすでに決まったこととなっていた。
直臣と陪臣はそもそもの立場が違う。勘十郎様の家来であるということはずっと陪臣であることでもある。
その立場を覆す好機が来た。そのようにとらえられたのであろう。
順逆を守られる殿にしてはおかしな采配ではあるが、三郎様にかかれば儂がいる末森衆にすら勝てるということなのであろうか。
「儂は儂が役目を果たすのみ」
一人つぶやくと、ざわめく末森衆を眺め渡した。
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