勘十郎と喜六郎

 清須衆との合戦からひと月余りが過ぎた。織田彦五郎信友は守護代の任を解くとの宣言を受けても、守護代を名乗り続けていた。腹心である坂井甚助と川尻与一を討ち死にさせ、さらに歴々の侍どもを多く失い、さらに城下を焼き払われたため、その威信は地に落ちていた。

 彦五郎の配下にいた侍どもも次々と離反し、ついには清須城内で彦五郎自身が襲撃を受けるという椿事が起きた。

 互いが互いに疑いのまなざしを向けるに至り、清須の力は日を追って衰えているという。


 そんなさなか、儂は殿の呼び出しを受けた。


「権六、参ってござりまするに」

「おう、大儀でや。いくつか談じたいことがあってのん」

 殿に呼び出されたのは近頃はやりの茶の湯をする小さな部屋であった。

 炉にくべられた釜がしゅんしゅんと湯気を上げ、殿が開けた茶入れのふたからは馥郁とした新茶の香りが漂う。

 

「見様見真似だがのん」

 殿はピンと背筋を伸ばし、スッと伸ばした手で茶の粉をすくい、茶碗に移す。

 柄杓を持つ手は芯が通ったように揺らぎなく、茶筅を動かす手は拍子がそろっている。作法はよくわからぬが、実に美しき所作に思えた。

 差し出される茶碗を手に取り、湯気を吸い込む。真夏の炎天を参ったので喉が渇いておるなかで、熱い茶はなぜか美味だった。


「けっこうなるお点前にてございまするに」

「ふむ、権六よ。その方、茶の湯を学んだことがあったかや?」

「いえ、ございませぬが」

「左様か。うむ、儂より様になっているように見えたでなん」

 首をすくめて恐縮の意を示すと、殿は笑って頷いた。


「さて、今日のことはほかでもないでや。勘十郎のことだでや」

「勘十郎さまにございまするか」

「あれは三郎とは違う意味でかしこき男でや。兄弟手を取り合ってくれれば三郎の良き片腕となろう。儂に与次郎や孫三郎がおったようにのん」


 与次郎さまの名前が出たとき、殿の拳が強く握りしめられた。与次郎さまは諱を信康と言い、政戦両略における殿の右腕であった。

 孫三郎様は武辺者であったがやや政治や謀略には疎い、一本気な方であられる。

 清須との交渉を担当し、犬山に入って伊勢守家を押さえ、殿の尾張制圧に大きな役割を持っておられた。


 しかし天文十三年、加納口のいくさで敗れ、与次郎さまは討ち死にされた。そのいくさは親父も参陣しており、命からがら帰ってきたとため息をついていたのを覚えている。


「して、儂のお役目とはいかなるものにございまするか?」

「うむ、勘十郎を元服させる。同時に三郎に家督を継がすだわ」

「はあ!?」

「権六、静かにいたせ。いかなる武辺者が現れようともこゆるぎもせぬのがその方であろうず」

「は、ははっ。不調法をいたしましてございまするに」

「うむ、その方には勘十郎が家老を勤めてもらいたいのでや。家格は武衛様の猶子ならば当家にも匹敵しようず」

 ニヤリと笑みを浮かべる殿が戯れを申されるが、さすがにそれを笑うだけの度胸はない。

「儂はいかなる褒美も主君以外から受け取る気はありませぬでなん」

「なれば武衛様は当家の主君であらあず。まあよい。勘十郎の烏帽子親を頼むでや。あれの諱は信勝といたす」

 「信」の字は弾正忠家の通字で、儂の勝家から「勝」の字を使うとの仰せは、実に名誉なことであった。


「そうそう、その方は儂が義弟となるでなん。名実ともに身内ゆえ、勘十郎に対しても遠慮は無用でや」

「はっ! かしこまってまいりまするに」


 その日は古渡の城に泊まった。夜中につや殿が儂の寝所に忍び込もうとして、平手五郎(長政)殿に捕まっていた。

「わっちは権六殿の嫁になるのだからよいではありませんか!」

「婚礼までお待ちくだされ!」

 

「昨夜はつやが騒がしくしておったようじゃのん」

「ははっ、誠に申し訳なき仕儀にて」

「なに、その方が忍んでいってもよかったのだで。つやもそう思うて待っておったが、その方が参らぬゆえに斯様なことをしたのでや」

「けじめは大事なことにて」

「うむ、その方らしいでや」

 騎乗して大手門を出る時、つや殿が見送りに来ていた。やや頬を膨らませ、じとっとした目つきですねたような顔つきもなにやら可愛らしく見える。

 目が合った時、儂はいつの間にか笑っておったらしい。つや殿は顔を真っ赤に染めて、くるりと踵を返し、館に駆けこんで行った。


「権六よ。その方、笑みを浮かべるとなかなかに愛嬌のある顔だがや」

「儂が顔は別にどうこう言うものにござらぬでや」

「ふむ」

 殿は倒し気に笑みを漏らす。そのまま先ぶれの武者が疾駆し、我らは末森までの道をゆるりと歩く。

 しばらくして、昼下がりには末森の城に着いた。


「権六!」

 一回りたくましい姿になられた勘十郎さまが門の外で待っておられた。

 慌てて下馬し、一礼する。

「ご無沙汰のこと、申し訳ござりませぬ」

「よい。父上を助けてくれたのであろうが。権六が儂の付家老になると聞き、嬉しきことにてあらあず」

 快活な口調で話す勘十郎様。大器を感じさせる振舞いで、家来どももよく働いている。


「そうか、勘十郎は儂よりも権六の方がよきか……」

「父上、いい年をしてすねるのはやめてくださいませぬか?」

 がっくりと殿が肩を落とされる。三郎様と勘十郎様は正室から生まれた正嫡の若君だ。弾正忠家を継ぐことのできる方はあと喜六郎様がいらっしゃるが、まだ十にもならぬゆえに、今何かがあった場合、弾正忠家は危いこととなる。


 何やら殿と勘十郎様が話し込まれているところを見守っていると、くいっと袖を引かれた。


「権六、よく来たね」

 聞きなれない言葉づかいで儂を見上げているのは、喜六様であった。

「はっ、これより末森に出仕いたすこととなり、勘十郎様へご挨拶に伺いましてございまする」

「そうか、また会えてうれしいよ。権六」

 また? そういえば三郎様の婚礼でお会いしていたな。

「はっ、こちらこそ、よろしくお願いいたしまする」

 喜六様は少し陰りのある笑みを浮かべる。この方も変わりものであった。子供らしいところはあまりなく、寺に行っては字を学び、いつの間にか漢籍を読むようになっていた。

 そして、つや殿に渡していたような武具や道具を創り出していると聞く。


「権六、お願いがあるんだ」

「ははっ、儂にかなうことであらば何なりと」

「うん、いろいろ作りたいものがあってね、先立つものが……ね」

 手のひらを上に向け、人差し指と親指で丸を作って見せる。それは商人どもが銭を意味するしぐさであった。


「……承知いたしました。しかし、そのような手つきは武家の若君のすべきことにはありませぬぞ?」

「ははは、わかったよ。気を付ける。それでね……」

 喜六様はそののちは日々の暮らしをこちらに話してきた。別段変わったことはなく、どこにでもいそうな子供である。しかし、末森に暮らす者たちにしてみればその姿こそが異様であったと、後程聞かされることとなるのであった。


「おう、喜六。そなたも息災であったかや」

「はい、父上。いまは権六と話をしておりました」

「うむ、権六よ」

「はっ」

「その方の肩書だが、末森の城代および勘十郎の家老、それと喜六郎の守役を命ずる」

「は、ははっ!?」

「喜六は変わり者でのう、なかなか人に心を開かぬ。しかし、先ほどの姿を見るにその方になついているように見えたでなん」

 その一言を聞いたか、喜六様は儂の足にギュッとしがみついて、にっこりと笑みを浮かべた。その姿を見た女中たちが目を疑い、笑みに当てられたものがへたり込む。


「権六、弟が面倒をかけるがよろしく頼むでや」

 兄弟唯一人の尋常の者と言われる勘十郎様は、やや疲れたような笑みを浮かべている。

 儂も苦笑いを浮かべながら承ったとお伝えした。

 チクリと刺すような目線を感じた。勘十郎様の後ろに控える、小姓頭と思われる若者からであった。

 彼のものは津々木蔵人と言う名であった。

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