萱津の戦い

「殿、このままではまずうございまするに」

「ぐぬぬ、小癪な。囲みを解け!」

「ははっ!」


 清須衆は包囲を解き、陣を敷きなおす。しかし、庄内川を背にしているため、背水の陣はまずいと地侍衆を殿に置き、川を渡る。

 捨て石にされた地侍衆は戦意に乏しく、弾正忠の手勢が迫ると算を乱して逃げ散り、一部は降ってきた。


「降る者は受け入れるがよからあず。尾張の侍同士故、敵にはあらず、でや」

 信秀の命令はすぐに受け入れられ、使い番が駆けまわり、降伏を受け入れることを伝えて回る。


「先陣に加わり手柄とせよ! わしゃあおのしらのいくさぶりを聞いておる。三郎が手勢を大いに苦しめたそうであるな」

 信秀の言葉に地侍どもは首をすくめる。皮肉にしか聞こえない言いざまであった。

「三郎が手勢は精兵よ。おのしらはそれと渡り合った。さすが尾張者にてあらあず」

「ありがたきお言葉にて」

「うむ、高名いたすがよからあず」


 地侍衆は佐久間半介が率いることとなった。

 那古野城に在番していた佐久間衆を中心に八百の同勢を編成する。


「三郎はいかがいたしおるでや?」

 信秀は平手政秀に問いかけた。

「はっ、手はず通りにて」

「なればよからあず」

 政秀の返答に信秀は満足げに頷く。


「申し上げまするに。清須衆は庄内川を前に布陣しておりまする」

 その報を聞いて信秀はほほを引きゆがめて笑みを形作る。普段見せる闊達な笑みではなく、虎が得物を見つけたときの笑みであった。


「あ奴らはいくさと言うものを知らぬな。川を前にして布陣するはすなわち敗軍なりでや」

 不敵に笑う信秀を家臣どもは頼もしげに見つめる。


「我らも進むでや」

 信秀の下知に従い馬回り、旗本たちが一斉に動き出す。

 那古野の城は留守居の平手衆三百が守りを固めていた。



「どこよりうせおったでや!」

 床几を蹴り倒し信友が周囲に当たり散らす。小姓衆はそんな主の醜態を冷ややかな目で見ていた。

 ため息を軍扇で覆い隠し、大膳が献策する。

「川を前に動きが鈍ったところを矢で射すくめまする。のちに徒士武者が突撃すれば勝ちは動かぬものにて」

 その言葉に少し落ち着きを取り戻した信友は小姓が片づけをした本陣に腰を据える。

 

 一刻のち、五つ木瓜の旌旗をひるがえし、弾正忠家の軍勢が川を挟んで布陣した。


「弾正忠! この謀反者が! 武衛様の命に従いおのしを討つでや!」

「謀反者はどっちでや! おのしが父上には世話になったがのん。私を滅して主君のためにあい働くが武士の務めでや」

「今降参すれば命だけは助けてやらあず」

「ふん、そのようなボロボロな陣立てでようも武士を名乗れるものであらあず」

「何を小癪な。ものども、あの謀反者の首取って儂が元にもってまいれ!」

「できるものならばやってみせるがよからあず。がはははははははははっ!」


 信秀の大笑に乗せられ信友は真っ赤に染まった顔で突撃を命じる。

 大膳は血相を変えて主君をとどめようとするが聞き入れない。

「川を渡る間、備えができぬならば敵をおびき寄せればよいだけのことだわ」


 坂井大膳は事ここに至ってはやむなしと覚悟を決める。

「こうなれば肚を決めて、弾正忠が軍勢を真っ向から打ち破ってくれるだわ」

「兄者、先陣は儂がいこうず」

「甚助。頼むだわ」

「任せよ!」


 坂井甚助が郎党を率いて突撃の先頭に立つ。

「かかれえええええええ!!」

 信秀は馬上で采を振るった。

「かかれや!」

 

 異様な合戦であった。通常は印字打ちや矢戦から始まり、足軽衆や馬回りが突撃を行うのが常であった。

 それが、互いに得物を持ったまま歩いて近寄っていく。槍の間合いまで近づくと、備えの陣列などなかったかのように槍が振り下ろされた。

 ぐしゃりと人体がつぶれる音が聞こえる。最初の戦死者はどちらの陣営であったか、それもわからないほどの乱戦が始まった。


「我こそは柴田権六なり!」

 先手の先頭に立ったのは、信秀の腹心である柴田勝家であった。この日のために鍛え上げた郎党どもも、常人に在りうべからぬ強さで清須衆をなぎ倒す。

 権六に付き従う将士は返り血に濡れ、深紅に染まりながら敵の陣列を切り裂いていく。

 数名の名のある武者がなすすべもなく討たれ、清須衆の武者どもはどんどんと腰が引けていく。


「むう、やむなしにあらあず」

 死を決して坂井甚助が権六の前に立つ。


「名のある武者と見たり。儂は柴田権六でや」

「坂井甚助なり。すまんが儂の手柄になってもらうでや!」


 甚助は雷光のごとき速さで槍を突く。権六はその槍先を下からすくい上げると首めがけて横薙ぎに振るう。

 大身の穂先は甚助の槍の柄を軽々と砕く。


「ぐわっ!」

 とっさに首をすくめ、兜で受け止めるが、かすっただけで兜を跳ね飛ばされる。

 柄を砕いていなければ兜を割られていたと感じた甚助は背筋に冷たい汗が流れる。

 

 乱髪を振り乱し、すぐに刀を抜き放つ。すでに槍の間合いではないと感じた権六もすぐに槍を捨て、刀を抜いた。


「がああああああああああああああああ!!」

 猛獣がごとき喊声を上げ甚助が迫りくる。介者剣法は甲冑の隙間を狙って斬り、突く。大きく刀を振り回さず、隙を小さくするのが常道であった。


「ぬうん!」

 権六の刀は切れ味はあまりよくないが、鉄を何枚も打ち重ね、分厚い鉈のような拵えになっている。

 無論、重さも並みの刀には比べ物にならず、小姓が二人がかりで運ぶものであった。

 そんな鉄の塊を叩きつけられた甚助は肩を大きく甲冑ごと割り裂かれ、倒れる。

 断末魔を上げる暇もなく、甚助は血反吐を吐いて倒れ伏した。


「敵将、坂井甚助。柴田権六が討ち取ったでや!」

 その一声で戦況は変わった。先陣の備えが完全に崩壊し、先を争って逃げまどう。


「殿、儂が食い止めますゆえ落ちられませ!」

「与一!」

 川尻与一が決死の覚悟で郎党ともども陣を敷く。


「我は川尻与一でや! 我が首取ってみよ!」

 死兵と化した郎党どもとともに荒れ狂う勢いに、さしもの精兵も手をつかねる。


「見事なる死に狂いよな。なれど我が兵を無駄に損なうのは忍びない」

「では」

「うむ、弓衆!」

 信秀の下知にかぶせるように銃声が響き渡る。


「悪しき守護代の手先である川尻与一は、三郎様が郎党である川尻与兵衛が討ち取ったでや!」

 

 那古野衆は決戦に先立って出陣し、萱津の野に伏せていた。

 権六が坂井甚助を討ち取ったため、殿軍に横からの猛射を加え、矢玉に貫かれた川尻与一を討ち取った。


「追え! 一人も逃がすな!」

 早々と殿軍が崩れたた有様を見て、清須衆は一気に崩れた。

 地侍どもはここが高名のたてどころとばかりに勇躍し、次々に敵の最後尾に追いついては斬り伏せていく。

 

 この追撃で、清須衆は歴々の侍三十余りが討ち死にし、坂井大膳の腹心二人も首を取られた。

 信友自身は何とか城に帰りつき、守りを固める。

 信秀の同勢は清須の城下町を焼き払い、城兵を挑発すると同時に那古野の城下を焼き払った報復を行う。


「親父!」

「おう、三郎。お前の出番はなかったでなん」

「仕方あるまい。叔父上はどうされたでや?」

「うむ。うまくいったようじゃ」

「それは重畳にてあらあず」

 

 清須城西ノ丸の門が開け放たれ、織田孫三郎の手勢が出てくる。軍の真ん中には、二つ両引き紋の旌旗を掲げる武衛の姿があった。


「弾正忠! 出迎え大儀なり!」

 快活な笑顔で扇を開く。

 この戦の名分が出ていかれれば、清須方は先細りになる。


「いかん! これが目当てか!」

 坂井大膳は追手を繰り出す。


「うてええええい!」

 信長が率いる鉄砲衆五十の一斉射撃によって門を開いたところを討ちすくめられる。


「ほう、種子島なるものもなかなかに使えるでねあーか」

 感心しているところに、孫三郎の手勢に守られた斯波義統がやってくる。

「弾正忠。見事なる差配でや」

「はっ! ありがたきお言葉にございまするに」


 武衛様が動座され、那古野に入られたとのうわさは尾張を駆け巡った。尾張一の堅城たる清須城はいまだ守り固く、我攻めにすればどれだけの手負い討ち死にを出すか読めない。

 信秀はここで兵を退くことを決断する。


「仕舞でや!」

 

 信長の手勢がそのまま最後尾に立ち、清須衆の追撃に備える。

 清須との境目にある深田、松葉の両城に、今回降った地侍たちを番衆として入れ、防備を固めることとした。


 翌日、斯波武衛家の名において、織田大和守家の守護代の任を解くとの布告が出された。

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