那古野合戦

「武衛様をたぶらかす弾正忠を討つ!」

 守護代織田大和守信友はそう告げて兵を挙げた。

 

 はじめ清須に集結した兵は三千ほどで、その中には織田孫三郎信光の姿もあったことで終わりに衝撃が走った。

 七枚起請文を取り交わしたとのうわさも聞こえてきて、これで戦奉行もおしまいかとの風聞が立つ。

「孫三郎殿を新たに弾正忠にするでや」

「ありがたきことにございまするに」


 孫三郎様の手勢は清須の城の西の丸に入る。留守居を命じられたためだ。

 守護代有利と見た土豪どもはこぞって守護代のもとに集まり、兵はどんどんと膨れ上がる。最終的には五千を超える同勢が集結した。

 意気上がる大和守は最初に那古野の城を攻めることとした。


「まずは弾正忠の子せがれを血祭りにあげるのでや」


 那古野に詰める番衆は八百、清須からはただ街道のみがあって遮る要害もなく、奇襲をかけるべき要地もない。

 那古野衆すべてをこぞって挑んでも敗北するは明らかだった。

 そして、先日の鷹狩りの際に、弾正忠親子は野伏せりに襲われ不覚を取って負傷したとのうわさが流れている。

 那古野の城に集結すべき兵も負け戦とあっては集まりが悪いと聞こえてくる。

 清須衆は那古野近郊の集落を放火略奪しながら進軍してきた。


 一方、那古野城の評定の間では、信長の家臣たちが詰め寄っていた。


「殿、清須の衆は乱暴狼藉を働いておりもうす。ひと当てさせてくだされ!」

「ならぬ。難儀を受けた百姓どもにはあとで手当てするでや。いまはあ奴らをこの城に引き付けてやるだぎゃ」

「しかし……」

「与兵衛。我がなんとも思うておらぬと思うか?」

 与兵衛と呼ばれた侍が見たのは、信長の握りしめた拳から血がにじんでいる姿だ。怒りを抑えるために拳を握り締める姿に、近臣たちは黙りこくる。

「機をまつのでや。後ろ巻きが来たらばあ奴らに目にもの見せてやるでや!」

「応!」


 そのやり取りを新参の家臣が眺めている。

「百姓の難儀を分かりつつも、時にそれを切る果断さ。これは拾いもんの主だでや」

 その侍は伊勢から流れてきた歴戦を思わせる雰囲気を漂わせ、味方の圧倒的不利にも動じることなくたたずむ。


 那古野城を取り巻く守護代の同勢は四方に陣を張り、城兵をおびき出すために実りつつある田畑を荒らしまわる。

 城に逃げ込んできた百姓どもの嘆きは、怒りにとって替わり、挑発のために近寄る敵兵に印字打ちを行う。

 信長は表に出ず、馬回りの侍に指示だけを出す。そもそも信長は重態で指揮を執ることはできないことになっている。

 城方の動きが鈍いことで、清須衆はかさにかかって攻めかかろうとしてきた。


「かかれえええい!」

 攻め太鼓が打ち鳴らされ、足軽、荒子は矢避けの盾を持ってにじり寄る。城方からは迎え矢が放たれ、城壁に近寄らせまいとする。

 寄せ手からも矢が放たれる。城壁を焼き払わんと火矢が放たれるが、厚く泥を塗ってあるために延焼しない。

 壁を越えて建物に刺さった火矢に小者たちが柄杓で水をかけていく。流れ矢に当たって悶絶し、同輩が助け起こして物陰に引きずり込む。

  

 盾の後ろでは寄せ手の侍たちが様子をうかがっていた。

「種子島とやらはでこぬでや?」

「あのようなものは合戦の役に立つものにあらずか」

「あのうつけのすることじゃ。その程度であろうがのん」

「それよりも門を打ち破ったらうつけの首はわしがもろうたでや」

 

 城壁の真下には空堀が掘られ、壁の高さを増している。

 雑兵たちは必死ににじり寄り、城壁を乗り越えんと鍵縄を投げ込む。防ぎ矢をしつつ、城兵は縄を切って回るが、寄せ手の放つ矢に貫かれ断末魔を上げて空堀に転げ落ちる。

 寄せ手は空堀の下で撒き菱を踏んで苦悶の声を上げ、そこに石が投げ込まれて頭を割られる。

 石を投げ落とそうと顔を出した兵が顔面を射抜かれ崩れ落ちる。

 鉄さびのにおいが周囲を満たし、鬨の声と叫喚と、苦悶の声と断末魔が響き渡った。

 

「鎮西太郎にも劣らぬ我が強弓、受けてみよ!」

 那古野弓衆の太田牛一が大弓を引き絞り放つと、寄せ手の物頭の顔面を貫く。

「はあっ!」

 弓弦の音の数だけ、寄せ手の兵が討たれた。その強弓は盾を割って背後の兵を貫く。

 抵抗は激しいが、各々の場所にいる腕利きの武者が武辺を振るっているだけで、組織だっての抵抗ではない。

 

「弓衆、あの矢倉を射すくめるでや!」

 坂井大膳、川尻与一らの歴戦の武者は、抵抗の激しい備えを見て取ってはそこに攻撃を集中させる。

 それによって反撃が緩んだすきを縫って寄せ手が再びにじり寄る。

 

「開門!」

 丹羽五郎左が兵を率いて打って出る。

 

「あれなるは丹羽の子せがれ! 弾正忠に尻尾を振る裏切者でや!」

「武衛様を傀儡としてあやつる逆臣に言われとうないでや!」

 

 互いに名分をぶつけ合ったあとは互いに白刃をぶつけ合って切り結ぶ。

 樽を叩くような音が響き、胴を槍に貫かれた足軽が悶絶する。

 組み打ちを仕掛け、抑え込んで首を掻こうとした武者が背後より忍び寄った荒子に斬り伏せられる。

 濡れ筵を叩くような音を立て、鮮血がまき散らされ、切り離されたからだが宙を舞う。

 

「殿の前によき首を持っていくのでや! 者ども、かかれい!」

 普段の温厚な面差しをかなぐり捨て、眦を決した形相で兵を叱咤する姿はのちに鬼五郎左の異名で呼ばれることとなった。

 寄せ手の中に切り込み、ひとしきり荒れ狂ったあとは、深追いせずに退く。


「追うでや! 付け入るのじゃ!」

 背後から追いすがる敵兵を見て、五郎左が合図を送る。


「与兵衛殿、今じゃ!」

 信長の信任篤い、馬回り衆の川尻与兵衛が采を振るうと、鉄砲衆が一斉に引き金を引く。

 戦場に破裂音が鳴り響き、追いすがる敵兵が倒れ伏す。

 一斉射撃に驚いた兵たちが足を止める。そして、その様をやぐらの上から見ていたひとりの射手が遅れて引き金を引く。

 パーーーーーン!

 銃声と共に寄せ手の物頭が顔面に銃弾を受け、頭をザクロのように四散させる。

 そのあまりに無残な死にざまを見た寄せ手は怖気に身を震わせる。


「彦右衛門殿、見事!」

 五郎左の声にひらりと手を振って応える滝川彦右衛門。

「給金分は働くさ。今のは手付分ってとこだな」

 不敵な笑みを浮かべた彦右衛門は素早く次弾を装填すると、銃を構える。

「ばーーーーーーーん!」

 大声で銃声の口真似をすると、寄せ手は驚いて腰を抜かして後ずさる。その無様な姿に城方の嘲笑が浴びせられた。

 

「なにをいたしておるでや!」

 本陣では織田信友が味方の醜態に苛立ち声を荒げていた。


「思うた以上にうつけは兵を練っておったようにございまするな」

「大膳、おのしゃあ他人事のように申すがのん。いかがいたすでや!」

「四方よりが攻めを仕掛けましょうず。向背常ならぬ地侍どもを陣頭に立たせればよろしかろうと勘考いたしまするに」

「うむ、なればそのようにいたせ」


 身分と家柄だけで世を渡ってきた振舞は浅ましきばかりではあるが、上役には逆らえない。大膳は頭を下げたままにため息をつき、郎党どもに下知を出すために本陣を後にした。


「おのしら、陣頭に立ってあの門を打ち破るでや」

「なっ! それは!」

「やれるな? もし手柄を立てれば武衛様の覚えもめでたきでや」

「……はっ、かしこまりましてございまするに」

「うむ、なればかかるでや」


 追い立てられるように地侍たちが喊声を上げて駆ける。逃げれば破滅が待つ。なれば前に出て死中に活を求めるしかない。

 敵を破れば、勝ちを拾えばうまくすれば恩賞にありつける。

 地獄の底で、天上から垂らされる細い蜘蛛の糸ほどの希望に縋って走る姿はいっそ哀れですらあった。


「放てえええ!」

 城方にそんな事情を勘案する理由も余裕もなく、地侍たちを容赦なく矢玉の餌食にする。

 それでも彼らの決死の突撃は逆茂木を砕き、城門を軋ませた。死骸は空堀を埋め、城壁を揺るがす。

 決死の覚悟で城方は抵抗を続ける。

 その攻防は一日過ぎ、二日経った。兵の士気は衰えず、いまだ意気盛んだ。

 

「……おかしいであらあず」

 大膳は違和感に気づいた。那古野の城はもともとそれほど守りが堅くない。にもかかわらず、五倍以上の兵の攻撃を持ちこたえている。

 城方の士気の高さはなんだ? 自問自答の答えが出たときとほぼ同時に使い番が駆けこんできた。


「南西より、弾正忠の軍が現れましてございます!」

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