鷹野と戎衣の姫
払暁、儂は久六と孫四郎、藤八を連れて古渡の城へとやってきた。
「これは殿、今日はまさに鷹狩りによき日和にて」
「うむ、権六と鷹狩りに出かけるは楽しみであったでなん」
「こちらこそ、よろしくお頼み申し上げまする」
「うむ」
殿は機嫌よくうなずくと、周囲の者に目配せした。
すると、先ぶれの武者が先頭に立ち、行列が整っていく。
「出発でや!」
殿の号令に従い小姓、旗本らと共に歩き出す。
儂は殿に呼び寄せられ、馬を並べて進む。
先ほどの殿の笑い方を思い出し、儂も珍しく頬が緩んでおったらしい。殿が怪訝な顔つきででこちらを見てきた。
「うむ? どうしたでや?」
「笑い方が三郎様そっくりで、よく似た親子にございまするに」
「あのようなうつけと一緒にするでなかろうが! ……いや、あれはうつけではない、大うつけじゃ。本気で尾張を一統しようと考えおるでや」
「できぬとお思いで?」
「儂にはな。しがらみが多く絡みついておる。最初の妻は先代大和守様の姫じゃ。儂の父上は守護代家から多くの恩を頂いた。曲りなりにも主君でや」
「順逆をたがえられぬということにございまするに?」
「まさにそこよ。名分があらば、あの愚か者どもを追い落とし、尾張一国を手中に収めたいと思わぬわけがあらあず」
「儂は殿のような方にお仕えでき、仕合せにてございまするに」
「いきなり何を申すか?」
「順逆をわきまえず、タガのはずれし世に、正道を敷こうとなされる。権六が望む世もそれにございまする。家族がひとところに集まり、赤子が老いるまで平穏に暮らすことができる国を作りとうございまするに」
殿は少し呆けたような顔をして、すぐに表情をほころばせた。
「三郎が言うことと同じでや。世の中はそのように簡単なものではないと何度も告げしが、あ奴は強情な性質故な、聞き入れようとせぬ。本気でそんなことができると考えおるならば、尋常の者にはなせず、それこそ大うつけにあらざれば無理でや」
三郎様の話をするときの殿は実に嬉しそうで、領民にうつけと呼ばれ、行状定かならぬ時は頭を抱えておられたが、今はご立派になられたと評判は上々だ。
ふと殿に付き従う騎馬武者の中にひときわ小柄なものがいることに気づいた。儂の視線に気づき、こちらに向く。
「お、おお?」
それは、先日、那古野の城で出会った姫であった。
直垂をまとい胸当てをつけているのは、弓を使うせいであろうか。
形は武骨ながらも鮮やかな色合いが姫の凛とした表情と相まってその美しさを際立たせている。
ふと殿の意図に気づき、じろりと見ると、明後日の方向を向き、下手な口笛を鳴らそうとしていらっしゃる。
「殿の隣に馬を寄せ、話しかける。
「これはいかなることにてございまするに?」
「うむ、つやがのう。権六に会わせよと言うて来たのでや。年頃になって縁談を持ち込むも、すべて相手を伸ばしよってな、貰い手がおらんのじゃ」
「伸ばした……?」
「平手に組み打ちの技を仕込まれ、孫三郎が興に乗って弓馬の技を仕込んだでや。並みの武者ならばとてもかなわぬでなん」
「それで儂でござるか? いや、家を守るに妻が強ければこころづよく思いまするが」
「であろうがのん!」
殿は勢いづいて儂の手を取る。
「まあ、あれじゃ。つやのことは今日じっくり見定めるがよからあず。その方が無理と申すなら強いることはないのだわ」
「は、ははっ」
いつになく茫洋とした返事をしてしまった。殿と儂のやり取りは聞こえておったろうに、姫の上機嫌な表情は変わらぬ。
「権六殿は兄上の危地を何度も救い参らせたとか。今川の武者どもを撫で切りにし手のけたその武辺を見てみたきものですわなも」
戦場に女武者が立つこともある。しかし敗れれば辱めにあい、男よりも危険は多い。それに戦場の凄惨さはこのような無垢な姫に見せたいものではない。
「姫、儂が武辺は五つ木瓜のもとにありますでなん、いたずらに振るうは匹夫の勇と申す者でありまするに」
「まあ、力をひけらかさぬとは、なんとも謙虚なお方にありますわなも。わっちは好ましく思いますわな」
その話し方に、どこか聞き覚えがあった。尾張で育った姫君ならばそのような半仕方になるのはわかるが、それでも一人一人の話し方には癖が出る。
そして、まっすぐに向けられる眼差しに自然と頬が熱くなる。
そんな儂を見て、姫はくすくすと笑っていた。
「おお、おお、つやがあのように娘らしき振舞をするとは……」
殿は嘆息し、直後に姫に睨まれて肩をすくませていた。
「散れい!」
早春のころはまだ肌寒く、時折吹く風にぶるりと身を震わせるものがいる。それでも殿の下知に従って動き回るうちに汗をにじませ、己が役割を果たさんと相働く。
物見に走った足軽たちがどこそこに何がいたと報告し、旗本の頭役である平手監物殿が地図に書き記す。
若の小姓衆はいまだ初陣していないものも多い。しかしその働きぶりは殿の側近たちと比べても見事なものだった。
「どうでや?」
「はっ、鮮やかなる采配にて」
「三郎と比べてはどうだがや?」
「恐れ多きことなれど、遜色ございませぬでなん」
「そうか。うむ。おのしの見立てなればそうなのであろうが」
並みの大名ならば、嫡男と言えども心許さず、有能と噂が立つと機嫌を損ねることもあると聞く。しかし、殿は我が事のように喜びを見せる。
甲斐の武田家では先年、当主を嫡男が追放したと聞いた。嫡男が有能で声望が上がることを警戒し、廃嫡しようとしたところ、先手を打たれたのだと聞く。
この乱世においてきれいごとだけではやっていけぬのも事実。しかし、肉親相食むような修羅の巷ではいつまでたっても太平の世は来ない。
尾張半国のさらに臣下の家で、所領は尾張の各地に分散している。それでも要地を押さえ商人たちを支配し、石高以上の収益を得てはいる。
しかし、いざ敵対することとなれば勢力は分断され、思うままに兵は集まらぬ。それこそ武衛様に弓を引くとなれば腰のひけるものも多いであろう。
「かかれ!」
物思いにふけるうちに殿が下知をする。勢子が拍子木を打ち鳴らし、太鼓の音に合わせて歩く。音に驚いた動物が茂みから飛び出して逃げようとする。
平手監物殿が合図すると列がくるっと展開し、一列に並んでいた勢子どもがくの字の陣列を描く。
茂みの中から鹿が追い立てられて出てきた。
「いきまする」
姫が馬腹を蹴ると、鮮やかに駆けだし、馬上で弓を構えると矢継ぎ早に二度放った。
一矢は鹿の後ろ脚に刺さり、もう一矢は首の後ろに突き立つ。
子供のひくような弓であの弓勢はただ事ではないと思い、馬を走らせて姫のもとへと向かう。
「権六殿、いかがかなも?」
「はっ、見事なる腕前にございまするに」
「ふふ、その様子ではわっちよりも弓に興味があるようですわなも」
「いや、あの、その」
「正直なる殿方は好ましく思いますわな」
「はっ、半分は弓のことでございまするに」
「では残り半分はわっちのことと申さるるに?」
ニコリと微笑む顔から目が離せぬ。なにやら心の臓が脈打つ。頭から湯気が出そうな心持じゃ。
「う……」
儂が言葉を言い淀むなどついぞなかったことじゃ。いたずらっぽく微笑む姫から目が離せぬ。窮して思いもよらぬ言葉が出た。
「左様でや! むしろ弓は口実にございまする!」
斬りつけるような口調で……本音が出た。背中を伝う汗は冷たいのか熱いのかもはやわからぬ。
儂の言葉を受けた姫は……頬を赤らめ「え、あ、いや、そんな……」と体をくねらせていた。
「権六よ……おのしゃあ正直者じゃのう」
いつの間にやら横に来ていた殿のにやにやとした笑みは儂の顔にさらに血を登らせた。
気づくと姫が儂の前にいる。右手には弓が握られて差し出されていた。
「喜六が唐の書物から見つけて職人に命じたものにございまする」
「喜六さま?」
聞き返しながら弓を手に取る。引いてみると思った以上に強い弓で、短いゆえに取り回しがしやすい。
大弓に比べれば威力や射程は劣るだろうが、持ち運びのしやすさや馬に乗ったままの取り扱いを考えれば使い道は色々あると思った。
「鎌倉の時代に攻め寄せた元を築いた蒙古族の使う弓と喜六は申しておりましたなも」
「なるほど……」
ふと気づく、姫の立ち位置がものすごく近い。それこそ夫婦と言われてもおかしくないほどに。そしてその距離がとても心地よいことにも気づかされた。
「うむ、権六よ。儂に何か言いたきことがあろうず」
殿の背後には旗本衆が居並び、にやにやとした笑みを浮かべている者も多かった。
何をかいわんや、儂は進退窮まったことを知る。
首を横に振ると姫が期待に満ちた眼差しで儂を見ている。
「まことに恐れ多いことなれど申し上げまする」
「うむ、何なりと申すでや」
「つや姫を儂の」
言いかけた刹那、弦音が鳴り、旗本衆の側面に迫っていた不審なる人影に突き立つ。
「曲者!」
姫の凛とした声は狩場からいくさ場に変わった平野に響き渡った。
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