織田の若君と婚礼の宴
「では、三々九度の杯を取られませ」
熱田神宮の宮司、千秋季忠殿が厳かに告げる。
「うむ」「はい」
三郎様と蝶姫は互いに杯を交わし、夫婦の契りが結ばれた。
美濃守護、斎藤秀龍殿が息女、蝶姫は儚きばかりの面差しにて、麗しき見目の姫であった。
普段は不敵な表情を浮かべる若も、今宵は神妙な顔をされておる。その有様がおかしいのか殿はたまに顔を横に向け、肩を震わせていた。
何も知らぬものが見れば、嫡男の婚儀に感無量と言った風情なのだろうが、そのような人並みな関係ではないということであろう。
むしろ実の父親よりも父らしい振舞を見せているのが平手様だ。感極まってぽろぽろと涙と鼻汁を垂れ流していらっしゃる。
手拭いを何度取り替えたかわからない有様であった。
互いに目線を交わし、笑みを交わすありさまは、家中の諸氏が温かく見守っていた。
「若、おめでとうござりまするに」
「うむ、挨拶大義でや。権六のおかげにて我はこやつを守れたでや」
「権六殿、これからも殿のこと、よろしく頼みますわなも」
「若は日ノ本一の弓取りにならるる方にございますれば、権六、粉骨の覚悟をきめておりまする」
「うむ、殊勝なる心がけでや。おのしがごとき武者が家臣におるは武門の誉れにてあらあず」
「勿体なきお言葉にて」
婚礼の儀は三日三晩続く。弾正忠家の面々はそれぞれ若を祝い、殿にも祝辞を申すものが列をなした。
儂は殿の隣に控え、太刀を立てて控える。
そして、ここで驚くべきことがあった。広間の入り口がざわめき、そちらに目をやると……。
「弾正忠よ。祝いを述べに来たぞ」
武衛様がわずかな近臣のみを引き連れ那古野の城に現れたのだ。
「おう、三郎よ。此度はめでたきことでや」
「はっ、ありがたきお言葉にてございまするに」
武衛様を前に、スッと背を伸ばし、礼法にかなった礼を返すさまは、どこに出しても間違いのない御曹司の姿であった。
「そなたが美濃の姫か」
「はい、蝶と申しまする」
「美濃と尾張は縁を結んだ。そなたはその架け橋となってくるることを望むでや」
「はい、かしこまってございまする。殿と手を取り合い、家運を切り開いてまいりまする」
「うむ、よろしく頼むでや。引き出物は目録を弾正忠に渡しておるでな」
笑顔を残し武衛様は帰られた。
普通は臣下の婚礼であっても主君が顔を出すことはない。それをするのであらば、よほど信頼篤き、股肱に対してであろう。
殿も何やら難しい顔をして考え込み、孫三郎様に声をかけられて我に返るような有様であった。
「そなたが権六か。儂は勘十郎でや」
殿と話しておると、威儀を整えた少年が現れた。意志の強そうな眼差しは殿の面影があり、武芸鍛錬をしっかりと積み重ねた体つきをしておる。
「これは勘十郎さま。お初にお目にかかりまするに」
「末森の城にも顔を出してほしいでや。そなたが軍談を聞きたいと思うておるにな」
「ははっ、拙者がごときものに格別のお言葉、誠にありがたく」
「尾張一の武者である権六には、是非にも儂の家臣になってほしいでや」
「ありがたき仰せなれど、儂は勘十郎さまのお父上に仕える身にござる。無論与力せよとならば粉骨の覚悟にて相務めさせていただきまするに」
「左様か。うむ、そなたの申しようもっともだでや。今後ともよろしゅう頼むでや」
「ははっ!」
勘十郎さまの後にはおそらく殿のお子様方と思われる子供がついて回っておった。
その中にひときわ見目麗しい方がいて、わずかな間、目が合い、ニコリと笑みを向けられた。儂に衆道の嗜みはないが、それでもどきりとさせられたほどであった。
婚礼の儀が終わり、宴もお開きと言う場で、儂は家路につくべく暇乞いをして回っていた。
「権六よ、その方が良ければ今夜は離れに泊まっていくがよからあず」
「それは恐れ多いことにてございまするに」
殿の申し出に一度は遠慮するも重ねての誘いに断り切れず、離れの間を一つ借り受け、孫四郎を宿直に眠りについた。
翌朝、いつもの時に目を覚ます。うとうとする藤八に着物をかけてやり、眠気眼の孫四郎を連れ、武者だまりにて日課の鍛錬をすることにした。
「槍を構えて見せるがや」
「おう!」
腰だめに構える槍はぴんとまっすぐにこちらを向く。力が足りなば槍先が震えるものだが、それもない。
こちらも槍を構え、あえて隙を見せる。すると孫四郎は的確にそこを突いてくる。無論あえて見せた隙ゆえに、防ぐことはたやすい。
上段を狙った突きに柄を当てて逸らし、下からすくい上げるように穂先を絡ませる。
下段の突きを横に飛んで避ける。そのまま手首の力で横薙ぎに変えてくるのを飛び上がって再び避ける。
「ふん、小手先の技は達者になったではねあーか」
「まだまだ!」
軽い突きを繰り出す。それは甲冑の継ぎ目を的確に狙ったものだった。わずかに身体をそらし肩当でそらす。突きは鋭く力がこもっており、合戦になれた兵を一撃で突き伏せるほどの威力を顕していた。
「まだまだ殿にはかなわぬでや」
地面に大の字に転がり息を切らす。こちらも言うほど余裕があったわけではない。顎から滴る汗を手の甲で拭い、いつの間にか起きてきていた藤八から受け取ったひしゃくでのどを潤す。
「兄者もこれを」
「うむ、すまんの」
「よきでや」
二ッと笑みを交わす兄弟仲の良さは眩しかった。儂には姉上はおるが弟がおらぬ。それとも息子が生まれればこのように鍛錬する日が来るのであろうかと思いを至らす。
「うむ、見事!」
大弓を手に殿が我らの鍛錬を検分していた。殿の隣には小柄な人影が見える。その手にはなぎなたが握られていた。
「これは殿。お見苦しいものをお見せし、誠に相すまぬ仕儀にてございまするに」
「いや、権六ほどの武者の稽古相手が務まるとは見事なり。どれ、そこな武者よ、近く寄るがよからあず」
「は、ははっ!」
慌てて手拭いで汗を拭き、乱れた装束をにわかに改め、孫四郎は殿の前に出て膝をついた。
「前田孫四郎と申しまする」
「同じく、前田藤八にございまする」
「ほう、良き面構えでや……ん?」
殿はぽかんとした顔を見せた後、苦笑いして儂を見る。
「こやつらは嫁が襲われた時に共に戦ったという小姓かや。儂の覚えが間違っておらねば、孫四郎はいまだ十を超えたばかりであったはずで、しかも三郎が手下ではなかったか?」
「はっ、先日鷹狩りにお供仕った際に、預けられておりまする」
「蔵人も知っておるのかや?」
「はっ、わざわざ当家までご挨拶を頂いており……」
「であるか。ならばよからあず。それより権六よ。次の鷹狩りには供をせよ。三郎ばかりずるいでや」
最後の一言はぽつりとつぶやいたのみでよく聞こえなかった。
鷹狩りのお供は否やはない。
「かしこまってございまするに」
「うむ」
殿との話が終わったと見たか、殿に付き従っている人影が殿の背から現れた。
それはどことなく面差しの似た美しい少女であった。
「……見つけた」
ただその一言だけを残し、広場から館に駆け戻る。
「やれやれ、困ったやつでや」
「あの方は?」
「うむ、我が妹でな。父上が晩年に拵えた娘よ」
「なるほど」
何と答えるべきか迷ったので当たり障りなき言葉を返す。
「実に困ったものでな、日ノ本一の武辺者にしか嫁がぬといいよるでや……おお!」
殿ははじめ眉根を潜めておったが、儂の顔を見て何かを思いついた顔をした。
殿があのような快活な笑みを漏らすときは、たいがいなにがしかの悪だくみを思いついたときである。
背筋を流れる冷や汗に気づかぬふりをして、井戸水をかぶり服を着替える。
「……あなた、権六っていうの?」
先ほどの姫が物陰から顔を出して声をかけてきた。主家の姫に失礼があってはならぬと慇懃を整える。
「はっ、柴田権六と申しまする」
「見つけたわ!」
何かよくわからぬ宣言をされ、びしっと人差し指をこちらに突き付けてくる。
にゅふふふふふと何やら怪しげな含み笑いの後、姫はくるりと背を向けて駆け去った。
「おう、権六。叔母上に気に入られたようじゃな」
「若!?」
「くく、そなた叔母上に懸想したか? 見た目は確かに良いがのう。数々の縁談を自らの腕で退けてきておるからのう」
「腕とはいかなる意味にてございまするか?」
「なに、常々こう言い放っておるのでや。「わっちより弱き殿方に嫁ぎたくありませぬ。日ノ本一の武辺者を連れてきなさい」とな」
そして若は儂をまじまじと見ると、殿と同じ笑みを浮かべた。
ポンと儂の肩をたたくと、左の頬にえくぼを作って何やら楽し気に館に戻られた。
館の方に戻ると、殿と若が何やら話し合っておる。
「殿、若、そろそろお暇乞いをいたしたくございまするに」
「うむ、大儀。気を付けて帰るがよいでや」
「はっ!」
親子そろって悪だくみの利いた顔をしておる。何やら嫌な予感がぬぐえぬまま儂は家路につくのだった。
そして数日後、晴れ間の続く日和を選んで、殿より鷹狩りの誘いを告げる使者がやってきた。
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