不穏の影
「はいよおおおおお!」
鞘を抜き放った素槍を掲げ、一路北へ向かう。
儂は殿より賜った馬に、前田の兄弟は二人乗りにて儂の後をついてくる。
「藤八、しっかりつかまっておるのだで!」
「合点じゃ、兄者」
孫四郎が手綱を握り、藤八は孫四郎にしがみつく。
疾駆する馬から転げ落ちれば最悪死ぬ。それでも足を緩めぬあたり、性根は筋金が入っておる。
館には事情を知らせる使者を走らせた。おっつけ久六殿が兵を率いてやってくるだろう。
この婚礼は武衛様肝いりとなる。美濃との和睦によって兵を東に向けられる、という筋書きだ。
もちろんそういった意図もあるが、実際は武衛様が最も信ずる家臣である織田弾正忠様への力添えだ。
此度の妨害は弾正忠様が力を増すことを恐れた織田伊勢守家による暴走の側面が強い。
現当主の信安殿は、武衛家への忠節を表明しておる。嫡子の信賢殿は若と御昵懇の間柄だ。
普通ならばこのような企てを起こす理由がない。そこに関わってくるのが、犬山の信清様だった。
おそらくだが、伊勢守家の家臣をそそのかし、何らかの援助を行って、ことを起こしたうえでこちらにその情報を流してきた。
このことが伊勢守家の策謀と言うことで露見すれば、彼の家はお取りつぶしもありうる。その後釜に自らが座るというわけだろうが。
「殿! まもなく国境でや!」
「うむ、伏奸に気をつけよ、どこから矢が飛んでくるかわからんでや」
「承知仕った、でや」
しばらく進むと、国境に織田の旗を掲げた一団が見えてきた。
数は百ほどで、槍を持っておる。
「止まれい! 何者じゃ!」
誰何の声をかけられる。ここにおるは伊勢守家の侍どもで、武衛様の命に従って花嫁の護衛を命じられたものであろう。
「わが名は柴田権六でや。平手様より、護衛に加勢に参れとの命を受け参ったものにて」
「怪しいでや。そのような話は聞いておらんず」
「弾正忠様の家臣、柴田権六に間違いなし、なにとぞ加勢をお許しくだされ」
そこに上役の侍が現れた。
「柴田権六殿を名乗るはおのしか」
「はっ」
じろじろと儂をねめつけたとにこう言い放った。
「嘘をつくでない、柴田権六と言えば今川の武者を単騎で打ち払った剛の者と聞く。身の丈は七尺、手には三間の金砕棒を持ち、常に真っ赤ないでたちをしておるそうじゃ」
その言われように前田の兄弟が吹き出す。
「……そんな鬼みたいな武者がどこにおるでや」
自らを評して、荒唐無稽なうわさが出回っておるとは聞いておったが、さすがにこれはあきれるほかなかった。
「鬼でもなくば弾正忠様が取り込められしときに三層倍の今川勢をどうやって蹴散らすのでや」
「うむ、あの時は前だけを見てひたすら駆けたでや」
「なんじゃ、本物のようにぬかすのう。おのしも立派な体つきじゃがのう」
「だから本物だと云うておるでや!」
もはや前田の兄弟は背後で笑い転げていた。一刻を争うというに、こやつらはあとで仕置きをせねばならぬな。
と押し問答をしておると、使い番と思われる騎馬武者が現れた。
「推参なり、美濃より参りし行列が狼藉者に取り囲まれておるでや!」
「なんだと!?」
泡を喰ったような顔できょろきょろと周囲を見渡し始める。こやつ、侍に有るまじき不覚悟じゃ。
「儂が助太刀に参る、案内せよ!」
使い番の武者はビシッと背筋を伸ばし、そのまま駆けだす。
「孫四郎、藤八、行くでや!」
「おう!」
再び馬にまたがると、馬腹を蹴って駆けそうとする。
あとに取り残された兵たちは互いの顔を見合わせるばかりで身動きが取れないようであった。
「おのしら! 美濃の姫に万が一があれば、皆詰め腹を切らさるるは必定だで、逆に狼藉者を討ち取れば武功でや!」
その一言に我に返る者が出てくる。
「儂は弾正忠様が直臣の柴田でや。手柄あれば儂が必ずや殿にお伝えいたす。立身したきものは儂に続くがよからあず」
「お、おおおおおおう!!」
一人の武者が儂の言葉に答えを返した。
「行くでや!」
走り出すと、背後から武者どもが駆けだす足音が聞こえる。上役の侍は慌てて、自らの下知に従うように喚いておる。
それでも半分ほどの武者が儂に続いてくれた。
「狼藉者の数はいかがであったかのん?」
「はっ、百以上はおりましたでなん」
「美濃衆の護衛はいかがか?」
「それが、一部の土豪の兵はすぐに逃げ散り、姫君ご縁の明智衆が輿を守って働いておりまするに」
「……明智が武者の数は?」
「二〇ほどにございまするに」
「急ぐぞ」
「はっ!」
背後を振り向き、付き従う武者どもに声をかける。
「今より儂ら騎馬の者は駆けるでや。徒士の者はそのまま我らの後を追い、敵とみらばそこに一斉に突き込むでや、わかりしか!」
「「おおおう!!!」」
「よし、なれば続け!」
馬を疾駆させ始めると、徒士の兵は置き去りになる。それでも今は一刻を争うときであった。
そのまましばらく進むと、嗅ぎなれた鉄さびのにおいと鉄を撃ち合わす火花が見える。
袈裟懸けに斬り込まれた武者が斬撃を受け損ね、肩口を大きく切り裂かれて断末魔の暇もなく倒れ伏す。
びしゃっと濡れた布を叩きつける音が響き、胴を割られた武者がはみ出す自らのはらわたを押さえようとし、その隙に首を突かれて倒れ伏す。
ぼろをまとった山賊とも見える襲撃者は、明らかに合戦稽古を積んだ武者どもであった。
「孫四郎、もし身体が動かぬならそこの草むらに隠れておれ」
カタカタと震え、槍を持つ手もおぼつかない姿に、まだこやつは十を過ぎたばかりの小童であることを思い出す。
「いくでや! ここで功名たてられなば、幾歳過ぎても儂は一家を立てられぬだわ」
「そうじゃ、儂は兄者を助けるでなん」
二人そろっていくさ場の雰囲気に怖気るばかりか、武者震いだと言い張る。
「胆太き言葉じゃ。よかろうず、儂に続いて敵を突き伏せよ!」
「おうよ!」
斬り合いの趨勢は、やはり数に優る牢人衆が優勢であった。ひさしぶりにいくさ場の空気を胸に吸い込み、槍の握りを確かめる。
「すわ、かかれ、かかれ、かかれえええええええい!!」
大音声で下知をする。牢人衆がこちらを見て、一手をこちらに差し向けてきた。
先に立って走ろうとしたところ、下馬した孫四郎が素槍をもって先頭の武者を真一文字に突き伏せる。
突き三、引き七の力加減を間違うと、突いた穂先は死した敵兵の身体に食い込んで抜けないようになる。
得物を失えばいくさ場では死ぬしかない。
「一番槍は前田孫四郎でや!」
そのまま進もうとする孫四郎の前に二人の敵兵が立ちふさがる。助太刀をしようとすると、片方の武者の顔面に矢が突き立つ。
「もらったでや!」
下段に構えた槍先は敵兵の草刷りを断ち割り、倒れ伏すところを藤八が小太刀で首を斬り裂いた。
「二番槍は孫四郎の弟、藤八でや!」
こわっぱどもの見事な働きに血が騒ぐ。
「おのしらの働き、この柴田権六が見届けたでや!」
柴田の名乗りを聞いた一部の兵に恐怖がよぎる。こやつらは尾張者か。
「我が殿が手を下すまでもなき雑魚どもが。前田が兄弟が皆討ち取ってくれるだわ!」
我らは三人でしかないが、気合で完全に上回った。敵は腰が引けておりいかに逃げ出すかという算段に入っておる。
「撃てえええい!」
聞きなれた破裂音が響き、煙硝の煙が吹き付けてくる。
見えぬ何かに貫かれ、敵兵が血煙を上げて倒れ伏す。
「なんじゃ!? 妖術か!」
自らが理解できぬ技によって倒された兵どもは慌てふためき、後方の兵は士気が崩壊して散り散りに逃げ始めた。
「逃がさぬでや!」
いつもの傾いた(かぶいた)いでたちで、小姓衆がいつぞやの鷹野のごとく広がり、敵兵を討ち取っていく。
手傷を負い倒れ伏した明智衆はここぞと輿を守らんとして奮闘する。
「はあっ!」
若の手から放たれた手槍は牢人衆の頭役を見事貫いた。
そこに伊勢守家の侍衆が到着し、形勢は完全に傾く。
「手傷を負ったものの手当てをせよ! 数人はひっとらえたで、あとで山狩りをすればよい!」
若が小姓衆に下知をする。自ら討ち取った頭役の顔を検めると、附子をかんだような苦々しい顔をした。
「若、こやつは何者にて?」
「うむ、おそらくであるが、坂井大膳の家来衆の一人でや」
「……犬山の関与はいかがにて?」
「信清はそこまで愚かものにはあらずか。乗ったふりをして自らの益をかすめ取ろうとしたのであろうが」
「助太刀、ありがたく」
そこに輿を守って戦っていた武者の頭がやってくる。
「なに、我が妻を守るは当然であるがのん」
若が平然とした顔で告げると、頭役は目を見開いた。
「わが名は明智十兵衛と申しまするに」
「で、あるか。役目大儀。おのしが奮闘なくば我も間に合わなんだに違いなし」
「ははっ!」
明智十兵衛、今まで見も知らぬ名前だが、胸がざわついた。もしや前世などで何やらの因縁があったのかもしれぬ。
「して、那古野の殿。先ほどのあの音はいったい何でございまするに?」
「うむ、種子島でや」
何やら意気投合して話し出す。そこに輿から降りた姫君がやってきた。
「お助けいただき、誠にありがたきことにて」
「う、うむ」
姫の顔を見るやいなや、若の顔が真っ赤に染まった。
「後程お礼を使わせます程に、お名前を頂戴いたしたく存じまするに」
「礼は不要じゃ。我は織田三郎にて」
「……まあ」
姫の顔にも朱がさす。お互い呆けたような顔を見合わせていた。
「柴田権六殿?」
「ああ、うむ。明智十兵衛殿と申さるるか」
「はっ、いろいろと気がかりな婚礼ではありましたが、うまく行きそうで何よりにございまするな」
「うむ、あれは互いに一目惚れでや。お子が生まれるもそう遠くないに違いなし」
互いに真っ赤になった顔を飽きずに見つめ合うお二人を見て、安堵の念が胸に満ちる。
若はそのまま姫を抱きかかえ、自らの馬にまたがった。
「帰るでや!」
普段は鞭のように鋭き声音が、今日はどことなく緩んでいたようであった。
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