美濃の姫と前田の兄弟

 若殿の婚礼の日が近づいていた。先年の大垣のいくさにて斎藤山城守道三と、殿が和を結ぶ際に、若に姫を嫁がせるとの約定が盛り込まれた。

 その後、加納口の戦いで殿が大敗を喫し、その折に婚約の話も宙に浮いた形になっていたが、平手様が様々につてをたどり、なんとか婚約の話をまとめたそうじゃ。


 美濃でも内乱があり、先の守護土岐頼芸の嫡子頼純が越前朝倉家の後援を受け、大桑の城で挙兵した。

 道三は素早く兵を挙げ、兵の集まりの悪い土岐の若君を急襲し、討ち取ったのだという。

 さて、ここに織田と斎藤が縁を結ぶきっかけができた。守護家たる土岐家を滅ぼしたゆえに、道三に背く土豪や国人は後を絶たず、外からの侵攻にかまっておられない。

 朝倉との和睦の際に、頼純との間に縁を結ぶことが求められ、道三は息女を彼に嫁がせた。

 その時の姫が、実家に出戻っており、その立場が宙に浮いているというわけであった。


 小豆坂のいくさよりすでに一年が過ぎ、その間、尾張は平穏に日を過ごすことができている。

 殿の権威はいや増し、尾張一の弓取りとして武衛様の信頼も厚い。

 無論、二つの守護代家もただただその情勢を見送るわけもなく、暗闘が繰り広げられていた。

 織田弾正忠家の同盟相手として、美濃一国が後ろ盾となれば、敵う者はいなくなる。

 もっとも単純な手としては、美濃の姫を襲撃し、攫うか仕物にかければよい。それだけで、弾正忠家の威信は地に落ちる。

 同盟関係には亀裂が発生し、その力は弱体化する。


 ただし、この手はもし下手人が露見した場合、斎藤と弾正忠家の双方を敵に回すこととなる。

 そこまでの危険を冒してまで手を下すものが居るかはわからぬまでも、儂自身も婚礼の準備に駆り出されていた。


「権六よーい。ちと手伝ってくださらんかなも」

「おう、よからあず。この幕をここに張るのだな?」

「おう。頼むでや。儂は見張りの手配りを見てくるでなん」

「うむ、承知したでや」

 那古野の城は美濃の姫を迎えるにあたり、壁を塗りなおし襖を張り替えた。

 大手門より城内は掃き清められ、美濃から連なる街道には沿道の住民に祝い酒がふるまわれる替わりに、道を綺麗に清めることを命じられる。

 

 平手様が居館をそれこそ走り回り、準備に手抜かりがないかと皿のように見開いた目で見渡す。

「権六やい。あちらの幕が少しはすかいでや。ちといざらかしてちょ」

「はっ、これにて?」

「うむ、おのしは身の丈たかく、よく働くゆえに助かるだわ」

「いくさ場になくば無用の長物と言うものでありまするに」

「ふむ、伝家の宝刀は抜かれぬがよいというでなん」

 いくさなどない方が良い。平手様はそうおっしゃる。しかし、いざとならば、老齢の身を押して陣頭に立たれる勇猛さも持ち合わせておる。


「殿、この長持はどこにおけばよからあず?」

 そこに、儂がわずかに見上げるほどの身の丈をした小姓がやってきた。両手には並みの男が二人掛かりで持ち上げる長持を抱えている。

「孫四郎、あれなる方でや。慎重に取り扱うでや。おのしの給金では弁償は無理でや」

「おおう、殿はおそがいことをいわっしゃる。合点承知だわ」

 その後ろに藤八が従い、兄が二つ持っている長持をやはり一人で抱えておる。


「前田が兄弟はいまだ骨も固まらぬ歳とは思えぬ強力でや」

「うむ。あれは末恐ろしき武者となるに違いなかろうに」

 那古野の侍衆からも、前田兄弟をほめそやす声が聞こえる。先行き楽しみな若者と見てもらえておるようだ。

 あの二人を召し抱えることになった日を思い出す。

 若との鷹狩りを終え、屋敷にて眠りについたあくる日、屋敷の門をたたく二人連れがあった。


「たのもう! 柴田権六殿のお屋敷と見受けまするに!」

 家人が出て、腰を抜かした。見上げんばかりの大男が立っていた。


「ひい、命だけはお助けを!?」

「いえ、我ら兄弟は物取りにあらず。那古野の三郎様より書状を預かってきており参りますに」

「ふぇ? ご使者でしたか。これは失礼をば致しましてございまする」


 評定の間に二人を通す。

「朝も早いうちにお尋ね参らせまして、まことに申し訳ございませぬ」

「朝駆けは武士の心得でや。殊勝なりだがや」

「はっ、ありがたきお言葉にございまする」

 年のころは十ほどで、声も童子のままに甲高い。しかし、体躯は並みの大人よりも大きく、手足も太く盛上がっている。


 書状を見た。そこにはこう記されていた。


「前田の兄弟を貴殿に預ける故に、いっぱしの武士として教え参らせますよう頼む のぶ」

 思わず頭を抱えた。

「前田家の子息であったかや」

「はい、儂は四男、藤八はすぐ下の弟にございまする。家は兄者が継ぐゆえ儂自身で食い扶持を稼ぎたく」

「若のもとであればくいっぱぐれはなかろうず」

「おっしゃる通りにございまするが、我らは柴田殿のもとで武者修行を積みたく」

「儂に教えるほどのものはないでや、そもそも自らが若輩者ゆえに」

「元服を済ませてすぐに大殿の目に留まるほどの武辺を見せるのみならず、雪斎坊主の策を見破ったと聞いておりまする」

「……その話、誰に聞いた?」

「大殿が自慢げに話したと、殿が」

「そのことは他言無用じゃ、よいな?」

「なれば我らを家来にしてくださるので?」

「若より借り受けたとしておこうでや」

「ははっ、これより殿と呼ばせていただきまする!」

 前田の兄弟はよく働いた。そしてよく食った。仕事は三人前、飯は十人前だ。しかし、豪放磊落な性格で、朋輩ともうまくやってくれている。

 若の威を借りて傲慢な振る舞いが出るようならば、仕置きせねばならんと思っていたが、杞憂であったことに胸をなでおろす。

 こやつらを召し抱えた次の日、前田家当主の蔵人殿が泡を喰って駆けこんできた。

「うちのバカ息子が何をやらかしたか、若の扶持を解かれたと聞き及び、柴田様に召し抱えていただいたと聞き及んでおりまするに」

「若より預かりし有望なる武者にてござる」

「……相分かったでや。息子どものこと、よろしく頼み申すでや」

「しかと、いっぱしの武者にして若のもとにお返し申す」

 いつも小言ばかり言う父が、己のために頭を下げている。その重みがわからぬほど孫四郎は愚かではなかった。

 次の朝からは、自ら鍛錬に励み、弟を引きずり回していたのである。


 もの想いから意識が戻ると、儂を呼ぶ声が聞こえた。

「……権六よ、こちらに」

 ふと声のする方を見ると平手様が儂を手招きしておる。


「何用にございまするか?」

「……岩倉のたわけがしでかしたでや。牢人者を雇い入れて美濃の国境に伏せておるとの注進が入ったでや」

「大和守さまは滅びたいのでござろうかのん? 少なくともこのように露見しておるのであれば、相当に浅きはかりごとにしか見せませぬが」

「うむ、注進してまいったは犬山殿でのう」

「なるほど。弾正忠家が守護代になるならば、彼の家も大和守家を追いやって自らが守護代にならんとのたくらみでございまするに」

「当家に恩を売る狙いもあろうず」

「なれば儂の役目はその牢人どもを蹴散らせばよろしいでや?」

「うむ、若にバレぬように頼むでや。彼の御気性なれば自ら槍をもって駆けだすに違いなし」

「で、ありますなあ。承知仕った」

「うむ、着替えを用意しておくでや」

「着替え?」

「おのしが戦場に立たば、血の雨が降るであろうがや」

 思わず笑いかけたが、平手様の目つきは冗談を言っている風情ではなかった。

 ともに連れてきた下働きの老女はたまに儂の着物を繕ってくれていることを伝えておく。

 いざとなれば一色の館より取り寄せることもできるであろうが。


「殿、お供仕る」

「……おのしらは初陣もまだだろうがや」

「なれば此度が初陣にござりまするな」

 孫四郎はバサラ者の本性をむき出しに、ニイッと笑みを浮かべた。

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