鷹野
「権六、鷹狩りに行こうでや!」
だんだんだんと特徴的な足音を立てて若がやってきた。
最近は数日に一度、我が一色の居館にやってくる。
「若、儂は鷹狩りの勢子はしたことがありまするが、鷹をやしのうてもおりませぬに」
「そうか、なれば供をせよ。作法を教えてやろうず」
若の言葉に従うべきなのであろうが、今日は兵の鍛錬を行う予定となっていた。義兄上が儂の方を見て苦笑いを浮かべる。
「殿、儂が兵の鍛錬を差配するでや。行ってまいるがよからあず」
「すまぬ、久六殿」
「儂は殿の家来でや。呼び捨てで結構だで」
「うむ、形はそうであろうがなん。まだ慣れぬでや」
「追々でよからあず。それが殿の良きところでや」
盛次義兄上、改め久六がニヤリと笑う。稽古用の槍をもって武者だまりへと向かっていった。
「若、お待たせして申し訳ありませぬ」
「なに、権六を待つもよき時間でや」
若は鍛え抜かれた乗馬にまたがり駆けだす。馬の扱いも見事で、一度遠駆けのお供を勤めたときなどはえらい目にあった。
だが、大将たるものとして馬の扱いはできてしかるべき故に、馬術の稽古も積まねばならぬ。
若の所領である篠木村の近郊には開けた野原がある。
本陣たる座所を整えると、矢継ぎ早に小姓らを差配していった。
「五郎左(丹羽長秀)、勢子を率いよ。拍子木は持たせたか?」
「ははっ、万事抜かりなく」
「勝三郎(池田恒興)」
「はっ、胡乱なるものは近寄らせぬよう手配りしておりまするに」
「内蔵助(佐々成政)」
「鉄砲衆、種子島の火縄は抜かりなく」
あれは佐々の三男坊で、若のおそばに小姓として上がったと聞いておるが、先日の種子島を持った小姓が一〇名も控えておる。
「いざとなりゃあ、獲物を撃つのに使うでや」
どこからこれだけの銭が出てくるのか。ふと風物を思い出す。
「若は津島のまつりで舞を披露されたとか」
「うむ、あれは面白きときであったなん」
津島の商人におそらく独自の伝手があると見える。なんというか、油断の無きお方であった。
小姓衆の動きを見るに、歴戦の侍もかくやと言う姿であった。手槍を持った屈強の侍が油断なく左右に目を配り、段取りをしっかりと理解した小姓衆の動きにはよどみがない。
ある程度長く奉公している小姓の頭役はひときわ見事な働きを見せる。
「お見事にございまするに。これほどの采配、なしうる主は東海にもおりませぬでや」
「なんじゃ、権六は世辞もうまいのか。なれば出世して当たり前であらあず」
「儂は世辞など申しませぬ」
「カカカ、わかっておる。世辞だけがうまい卑怯者を親父はそばに置いたりせぬでや」
快活な笑みを見せるこの方の笑みをずっと見ておりたい。人に力を与えるなにかをこの方も持っておられた。
盛夏の日差しが照り付けるなか、勢子が横一列に並び、獲物となる動物を追い立てる。一斉に声を上げ、一つと思われるほどそろった拍子木の音が聞こえてきた。
池田勝三郎が手槍を掲げると、丹羽五郎左が号令を下し、勢子の列が動いて、たちまち鶴翼の構えの中に獲物が取り込められていく。
「若様」
「うむ」
鷹匠の呼びかけに一言応えを返すと、鷹匠の手から解き放たれた鷹は天へと飛翔し、一文字に獲物となる野兎の首根っこをつかむ。
若は獲物を捕らえて参ったる鷹をほめ、頬にすり寄るしぐさに相好を崩しておった。
その様子に、野良猫になつかれ笑みをこぼすという殿の姿が思い起こされ、自分でもわからぬうちに笑っておったようだ。
「権六、どうだがや」
「はっ、若のお小姓衆は尾張に並び泣き精兵にございまするに」
「カッカッカ、街中で遊び歩くも楽しいものであるがのう。合戦稽古に汗を絞りつくしたる後の行水もよきものでなん」
若の言葉に小姓衆も楽し気に応じる。
「精も根も尽き果てた後の飯がうまいのでや」
「普段は泥団子のような握り飯がうまいのは殿のおかげであらあず」
小姓衆がカラッとした笑みを浮かべつつ口々に言いあうさまは朋輩としてしっかりとした信が結ばれている様であった。
「殿、清水を汲んでまいったでや」
そこに背格好は変わらぬが、明らかに面差しが幼い小姓がやってくる。
「孫四郎。大儀でや」
「はっ!」
孫四郎と呼ばれた少年の傍に、一回り小柄な少年がいる。
「藤八、手拭いでや」
「おう、兄者」
腰に付けた袋から手拭いを取り出し、竹筒から水をかけぎゅっと絞る。
「殿」
「うむ、良き心地でや。褒美じゃ」
若君は小さな握り飯を兄弟に与える。
小休止を命じられると、小姓衆は若の四方に散り、それぞれの組でまとまって腰兵糧を使う。
その有様は本陣を守る備えのようで、鷹狩りはいくさの稽古にほかならぬ中身であった。
若の傍には小姓衆の中でも頭役の三人のみ付き従っている。
「ここなるは我の股肱でや。こやつらが裏切りしときは我の首が胴より切り落とされるときにほかならずでや」
何やら物騒なことを言い放つが、小姓たちはニヤッと古強者のような胆太き笑みを浮かべる。
「我ら殿が行く先が地獄であろうと付き従う覚悟を決めておりまするに」
五郎左は武衛様の家臣筋の丹羽家の出であるという。池田勝三郎は摂津より流れてきたそうで、母君は若の乳母となった方じゃ。
佐々の家は譜代で、兄二人もすでに武辺のほどを顕している名門であった。
「権六、我は常々思うのじゃ。どうしたらよいでや」
「……それはこの尾張のことにて?」
「本来は武衛様を頭に一致団結するものであろうが。しかし、守護代が相争い、さらにその家来どもも各々の凌ぎをたつるに相争うておる」
「口にするも恐れ多いことなれど、幕府が世をまとめる力を持ちませぬ。タガが緩めばひとは好き放題にふるまいまする」
意を得たりと頷く若。そして五郎左はやや呆然としておる。
「殿と阿吽で話ができるとは……なんとおそぎゃあ……」
「なればどうする?」
「幕府に力を取り戻させるか、それがかなわぬ時は主上の権威を取り戻させ、日ノ本にあまねく行き渡らせることでしょうがなも」
「……権六よ、我がそれを言うてもよきものか?」
「お志は立派にございまするが、若には足りぬものが多くございまする」
「……申せ」
「名が足りませぬ。織田弾正忠家の嫡男と言う肩書は、若の力にて勝ち取ったものにあらず、生まれ持ってのものにございまするに」
「うむ」
「たとえを申しますれば、若は儂がただの名もない庄屋であったならこのようにお話をさせていただけたでありましょうや?」
その一言に若は目を見開いた。
「その方の申しよう、誠にもっともだでや」
「平手様をこの鷹狩りにお招きいたしませ。さすれば一つ、ご懸念は晴れましょう程に」
「我は風評などは何の意味もないと思うておったが、そうではないということじゃな?」
「儂は槍をひと振るいするだけで五〇騎の武者を討ち取ったと言われておりますがなも」
「なるほど、いかさまじゃ」
すると、若は立ち上がって天を仰ぎ笑い始めた。
「おのしら、銭をあたうる故に津島へ赴き身なりを整えてまいれ。おのしらが我が子飼いにて比類なき精兵であるは、ここなる柴田が見たでや」
「貴殿らのはたらき。まさに天下に通じるちからなり」
若の言葉にうなずいて見せると、一部の小姓らは目に涙を浮かべている。己の主がすばらしき器量を持つことは知っておるが世評は唯の大うつけであった。
だが海道一の武辺者として名前を知られた柴田権六が、主の器量を見て取り、その配下も評価した。
なれば、これよりは胸を張って織田三郎が小姓衆を名乗れると思うたのであろうか。
「権六、まずは尾張を取る。頼りにしておるでや」
「お任せくださいませ。粉骨砕身の覚悟をきめておるだぎゃ」
それから数日後、殿が嫡男を紹介すると武衛様のもとに参った若は、見目麗しきいでたちと完ぺきな作法に周囲を驚かしたそうじゃ。
「平手の爺が我に教えてくれた通りにふるまっただけのことじゃ」
その一言に、平手様は物陰にうずくまり肩を震わせていたと聞く。
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