三郎信長
「お殿様、若がお渡りです」
小姓の一人が足早にやってきてそう告げた。
「うむ、ここに通すがよからあず」
「殿、我らはご遠慮いたしまするに」
「いや、よき頃合いにあらあず。権六は儂が股肱でや」
「ははっ!」
「儂があとは三郎に継がす。その方らはあのがんさいの面倒を見てほしいでや」
だんだんだんと大きな足音が聞こえる。
「親父、おるかや! 面白き土産を持ってきたでなん」
「三郎よ、お前はもっと武士としての嗜みをだな……」
「平手の爺に耳の穴がもう一つできそうなほど説教されておるいら。もうたくさんだでよ」
噂によれば、落ち着きなくたしなみなく、粗暴な振る舞いが多いと聞いていた。
歌舞を好み、日々遊興に耽るとも聞いている。
いでたちは髷を茶筅に結い、腰には袋を吊るして火打石や干飯が入っている。ひょうたんには水が満たされていた。
だんだら模様の狩衣に短い袴をはく。動きやすさを重んじる実用本位の姿に見える。
「三郎様にございまするか。儂は……」
「柴田権六であるか」
「恐れ入ってまいりまするに」
「うむ、見慣れぬ顔であったゆえのう」
顔で判断したということは、この若は殿の側近の顔全てをそらんじておるのか。
「親父、この武者を儂によこせ」
「うむ、そなたの良き手本となるであろうがのん」
「ならば!」
「だが断るでや」
「親父!」
「こやつは儂が懐刀故な。それにいずれはそなたが家来になるでなん」
「ふん、なればよい」
ぷいと顔を横に向け、口をひん曲げて不興を示すすがたが、世に言われるうつけ殿に見えなくもなかった。
しかし、いでたちを見るに実に油断の無き方であると思われる。ふと目が合うと、左の頬にえくぼができた。
それは殿と同じ笑うときのしぐさであった。
「若殿、改めてご挨拶させていただきまするに。柴田権六勝家と申しまする。以後お引き回しのほど、よろしくお願いいたしまするに」
「うむ、大儀。親父を助けてやってくれ。虎とか言われておるがのう、野良猫相手に相好を崩す愉快なところもあるでや」
「おい! 三郎!」
「親父も三郎であるがや」
「儂にも威厳と言うものがあるでや!」
「ふん、そこな権六はうちの婿になるのであろうが。なれば身内でや」
「……三郎よ。そなた何を考えておる? 家臣がほしいなど今まで一度も言わなんだであろうがなも」
「こやつは儂のことを分かった」
「ほう? 権六よ、どういうことでや。ちと聞かせよ」
「は、はは!?」
「権六がのん、我を見たときにその目には嘲りがなかったでや。して、いでたちを見てなにかわかったような顔をしておったにあらあず」
「どういうことじゃ?」
ああ、この二人は親子じゃ。そろって鋭き頭をしておらっしゃる。
「されば……若殿の持ち物にござる。火打石に干飯とひょうたんには飲み水が入っておらるるに、不測のことが出来せなば、城に帰らずとも数日は持ちこたえられるようにございましょうや」
殿が目を見開いて若を見る。若はいまさらであろうがと言った風情で顔を横に向ける。
「それだけか?」
「……申し上げてよろしゅうに?」
「申せ」
「相当に馬を責めらるると勘考いたしまする。また、手には刀を振るい続けた「たこ」ができてございまする。相当に武芸をたしなまばそのようにななり申さぬ」
「……見事にあらあず」
顔を背けてはいるが、首や耳まで紅潮する姿は、なにやら可愛げがある。弟がいたらこのような感じなのだろうか?
「いえ、失礼仕った」
「よい。権六を率いていくさに臨む日を楽しみにしておるぞ」
「ははっ! 粉骨の覚悟にておりまする」
「殊勝でや」
そこに殿が割り込んできた。なにやらご機嫌よろしく無き様で、口元をひん曲げておらるる。
「三郎よ、最初にいうておった土産とは何じゃ?」
「ぐぬ、親父には見せてやらん。権六、的場にいこうず」
「ははっ、お供仕る」
城の武者だまりの近くに合戦稽古を行う広場がある。的場は弓衆が満月のように弓を引き絞り、気合の声と共に矢を放っていた。
「うむ、皆の者大儀」
そこに殿が唐突に現れた故に場は一時騒然とした。慌てて膝をつく侍。槍合わせをしていた足軽がよそ見をして横面をタンポ槍にはたかれる。
「おのしらの日々の稽古がいくさ場で儂を支えおるのじゃ。励め! 儂のことは気にするな。普段通りでよからあず」
目線を感じるが、いちいち気にしていても仕方ない。
若は細長い包みを手に的場の一角に入った。
稽古をしていた弓衆が集まり、何事かと見物にやってくる。
「これなるは種子島じゃ」
袋から取り出されたのは細長いくろがねの筒であった。
腰の火打石で慣れた手つきで種火を起こすと、別の袋からいくつかの粉を混ぜ合わせる。
厠のようなにおいに少し顔をしかめると、してやったりといった顔で若が笑みをこぼす。
「なにがあったでや!? 若がわろうておるぞ!」
常に厳めしい表情を浮かべ、供の若衆に寄り掛かって町を練り歩く姿はよく見られていた。
周囲のざわめきを一切なりとも意に介さず、真剣な表情で粉を調合していく。
「よし」
粉を筒先から流し込み、さらに鉛の球っころを軽く指先で拭い、ぽとりと落とし込む。
「これはのう、カルカと言うのじゃ」
見るとはなしに儂に目線を向け、カルカと呼んだ棒で筒の中身を数回突く。
種火から縄に火を移し、筒上部の金具に挟み込んだ。その真下にあるふたを開けると右手で筒の手元を握り、左手で筒先を支える。人差し指を針状の金具に添える。
「行くでや」
一言告げると、人差し指で金具を引き絞り、刹那、パーーーーンと破裂音がする。
ぶわっと煙が立ち込め、焦げた臭いが鼻を突く。その中に、先ほどの粉と同じ匂いがした。これは煙硝か。
初めての光景であったはずだが、なぜか儂の脳裏には、足軽たちが横に並んで種子島を構える姿が浮かんでいた。
「あれを見るでや」
的の真ん中より一寸ほど右下に穴が開いていた。
儂は一言周囲に告げると、的を検めに向かう。声をかけておかねば、狙いを外した流れ矢に射られる恐れがあった。
「先ほどの球はこれでございまするか!」
「うむ、胴丸を撃ってみたが、一町先ならばほぼ当てあれるだわ」
「的のかなり奥まで球がめり込んでございまするな」
「うむ、並みの甲冑なら貫けるでや」
弓衆は唖然としている。飛び道具を得意とする者たちは新たな得物に興味を引かれていた。
「三郎、その種子島であるが、一度放つまでにあれほど時がかかるか」
「うむ、さすが親父にてあらあず。我もかなり稽古を積んだが、なかなか放つまでの時が縮まらぬでなん」
「弓衆ならばその時があれば数回は矢を放てるであろうが。騎馬武者も即座に突っ込んでくるるでや」
「馬は臆病だでなん。あの音で驚かすことはできようでや」
「うむ、面白き得物にあらあず。して、いくらかかったでや?」
その一言に若の身体がぎくりと震えた。
「……二百貫でや」
「その銭で足軽が何人雇えるでや!」
「一〇人は行けるでなん」
「吉法師! うちは銭周りが良いと言えどもさすがにそれは無茶だでや!」
「我は三郎信長じゃ! 幼名でよばるるな!」
「銭の使いどころをわきまえんガキは幼名で十分じゃ! このうつけが!」
親子喧嘩を始める姿に、武者だまりの兵たちが再び集まってくる。
「殿!」
思わず呼びかけると周囲を見て殿も羞恥に顔を赤らめる。
「ええい、散れ散れい! 見世物ではないでや!」
その一言にわっと人垣が霧散する。
怒鳴り散らしたせいで少し息が上がっている殿はそれでも楽しそうではあった。
「殿、この種子島なる得物にござりまするが、一丁では伏奸(ふせかまり、待ち伏せの意)くらいの役には立ち申さぬ。しかし数をそろえ一斉に放たば敵の先陣を突き崩す威力を顕しましょう程に」
「そうだでや! 権六はわかっておる。我の家老にならぬかや? 平手の爺はわからずやだで」
「平手様なりに若のことを思うておるに違いなし。そのようなことは申さるるはいけませぬ」
「礼法だの教養だのとろくせえでや。それに一通りは身に着けたでや」
その一言に殿が目を見開く。それは若の言葉に対するものと思うたが、実は違っていた。
若の背後に現れた人影が口を開く。
「なるほど、なれば次の武衛様へのお目通りは大丈夫にございますな。あとは、嫁御をもらう故に、相応の作法も覚えていただかねばならんだで」
いつの間にか現れていた平手中務様が、若の首根っこをつかんでいた。
儂も相応の武芸をたしなんでおるが、その儂に気づかれずに若をとっ捕まえる手腕、並みではない。
若自身の武芸の腕を見積もるに、並みの武者くらいはあしらえるほどの身ごなしで、それを赤子のようにあしらうなど相当に腕の差がないと不可能だ。
「爺、放せ、放すでや!」
「漢籍の講義の時間でありまするぞ」
「なんじゃ、孫子か? 呉氏か?」
つかまれた首根っこを振りほどこうと体をよじるが、その動きに合わせて力を入れたり流すことで完全にからめとっている。
「平手は組み打ちさせれば、下手をすると儂でもかなわんでや」
殿がぶるりと身を震わせ、若は平手様に引きずられていった。的場の台に置かれた種子島が梅雨明けの日差しを受け、きらりと輝いていた。
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