論功行賞
「皆の者大儀!」
評定の間には武衛様の声が響く。
常ならば無味乾燥というか、どこか浮世離れした風情であったのが、此度はご機嫌斜めならずと言ったご様子じゃ。
先日の出陣前の評定においては儂はその他大勢の土豪の一人であった。いや、土豪の嫡男などそこらに掃いて捨てるほどいる立場であった。
それが今は戦奉行である弾正忠信秀様の傍に仕える身である。ひと月ほど前からは考えも使ぬ栄達ぶりじゃ。
首実験は先日執り行われた。初夏の候ゆえに、死体の腐敗が激しくなるゆえに、首の身許がわからなくなることを防ぐためであった。
捻り首帳に従い名が呼ばれ、褒美があてがわれる。それは当座の銭であったり新領地であったり、物品であったりしていた。
身分が上がり新たに屋敷を賜った者もいる。
「織田弾正忠殿!」
「はっ!」
「此度のいくさの功により、その方を守護又代に任ずる。愛知郡をあてがい一職支配を命ず」
「ははっ、ありがたき申し定なれど、此度のいくさにおいて新たに城を落としたりはしておりませぬ。又代の職責のみ拝領いたし、さらなる働きをお見せしたく存じまするに」
「ふむ、なればその方の功ありし家来どもに愛知郡より宛がうがよい。その方の忠勤誠に殊勝でや」
「はっ、なればお言葉に甘えたく。我が家来の内にて出色の働きをした者に新領宛がい致しまするに」
そのやり取りを聞いて背中に汗が流れた。
「柴田権六殿!」
「応!」
やはりか! と思いつつ、なるべく重々しい声で応える。
城についてから当座の褒美としていただいた布地から大急ぎで仕立てた衣装をまとい、重代の家宝であった刀も使いつぶしたゆえに殿より拝領の長谷部国重を佩く。
出仕の前には姉上が髪を整えてくれた。
膝行して武衛様と殿に一礼する。
「面を上げよ」
「ははっ!」
「此度の功績、誠に殊勝にて抜群の働きである」
奇襲より本陣を救い、主君の危地を救ったこと。
殿軍において敵の追撃を防ぎ、敵先陣を粉砕したこと。
敵の重包囲下に在った味方を救い、敵大将の太原雪斎を負傷せしめ、敗北しつつあった形勢を逆転せしめ、斯波家の武威称揚に大いに功績があったこと。
儂の武功をまとめるとこんな感じだ。
「殿の危機に頭に血が上り、狂い立ったように敵に槍をつけしゆえのこと。主君を守るは家来として当然の働きにござる」
「うむ、その方の働きによって儂は討ち死にせんで済んだのだわ。無論その方一人の武功に在らず。だが功ありし武者の筆頭となるほどの働きをしたのであるゆえ、褒美をやらずばおさまらんのだわ」
「ははっ、ありがたきおおせにて」
「これが目録である。さらなる働き、期待しておるでや」
「ははっ!」
そもそも、守護代までは正式な役職ではあるが、又代はほぼ通称である。守護代の奉行を勤める弾正忠家はほぼ又代の職責であるといえよう。
所領についても、那古野の城を分捕るまでは、いいところ居館ほど規模の館を構えるのみであった。
勝幡、那古野、末森、鳴海が主要な拠点である。また甥御の信清様が犬山に入っておらるるが、半ば伊勢守家に付き、弾正忠家とは縁遠くなっている。
此度の報奨で、儂は愛知郡の一色の土地を賜った。父祖の土地を安堵されたと聞いた親父殿は涙をこぼしておった。
「権六、おのしゃあ孝行息子だで。ありがたい、ありがたいことだでなん」
褒美を頂いた次の日には村上村の寺に出向き、亡き母の墓前に参った。
「わしゃあ仕合せなる男だで。この日のために生まれてきたような気がしてならんでや。権六よ」
普段は飲まない酒杯を手に、機嫌よく語る親父を見て儂も少し目じりが熱くなった気がしていた。
それから一月ほどの間に新領の受け取りと引継ぎを済ませ、一色の居館への引っ越しを済ませた。村上村は親父殿がこれまで通り治める。
梅雨時に差し掛かり、立ち込める湿気に手拭いで汗をぬぐう。新たな領地を治めるにあたって儂は困り果てておった。
「とりあえず殿に相談じゃのう」
先ぶれを走らせ、儂は古渡の城へと向かった。
「おう、権六よ。いかがしくさった?」
本来お忙しい身であったろうが、殿はすぐにお会いしてくださった。
「はっ、実は困った仕儀になっておりましてなん」
尾張に流れてくる者のうち、牢人衆が仕官を求めて門の前に列を作っていたのだ。
「柴田権六殿にお頼み申す。我は某国の出にて云々」
といった風情である。
「勝手に召し抱えると風聞に差し支え、かといって当家は庄屋であったが故に伝手もなく……」
「がはははははは、左様であるか」
殿は大笑いしておられるが、こちらはそれどころではない。
「なれば、その方の家の家老を紹介してやろうず。あやつを呼んでまいれ!」
殿の声に控えていた小姓が走り出す。
待つ間、たわいもない世間話をする。
「先のいくさでは危いところであったなん」
「お殿様の武運が弥栄なるゆえにございまするに」
「世事はいらんでや。雪斎坊主の罠に気づいたはその方のみであったがや」
「それこそ偶然にございまするに」
「その方が武運が我が武運と合わさって、儂は命を永らえた。そういうことじゃ。運の強きは武人にとってよきことでや」
と言うあたりで足音が聞こえてきた。
「殿、お召しにてございまするか?」
「おう、久六。おのしよりあった話のことだでや」
名前を聞いて慌てて振り向くと盛次義兄上がおった。
「義兄上!?」
「おう、権六殿。儂は佐久間の名跡を半介に譲ったでや。あやつは此度の取り合いで孫三郎様の陣前で見事なる働きをしおったでや。故に那古野詰めの武者に任じられたでな」
「三郎様が旗本かや!」
「うむ。すばらしき立身にてあらあず」
「それと佐久間の名跡と何の関係があるでや?」
「儂は別家を立てるでや」
佐久間の家は嫡流が安房に在り、尾張佐久間氏として別家の流れになる。
これまでは盛次義兄上が一族の最年長として取りまとめておったが、半介信盛が此度の手柄で出世したので、頭領の地位を譲ったという話だ。
「別家……じゃと?」
「うむ、妻の実家に厄介になろうと思うてのん」
「儂の家来になるという戯言はまことでござったかや……」
「もともと尾張においてもそこまで重き家柄ではなかった故でなん。織田の家には半介が奉公いたす。儂は斯波家の傍流の家に仕えるのでや」
あまりの展開に目がくらみそうになる。
「うむ、権六よ。その方は斯波一門として遇される見込みでや。当家も大和守家の臣下から、武衛様の直臣となる話が出ておる。此度の戦功を盾にのう」
くくくと含み笑いする殿は実に悪人じみた表情であった。
「武衛様が一門、柴田家当主の家老なれば、守護陪臣のそのまた家来よりも格は上がるでや」
「いや、そもそも弾正忠家が守護代と同格にならばその家来たる我らも相応になろうでや」
「理屈はどうでもいいのでや。柴田の家はこれから大きくなるに決まっとろうがのん。そこで愚直に目鼻を付けて手足を生やしたがごとくのおのしが世渡りをするにゃ厳しきこともあらあず」
「しかし……」
なおも言いつのろうとする儂を殿が遮った。
「権六、その方は自らの立つ足場をわきまえんといかんでや。ただの庄屋であらばよいが、いまは城主でや。武家の柴田家はおのしが再興した、いわば初代でや。槍働きだけでは面目を保てんこともある。弟を守らんとする兄の心意気を汲んでやるがよからあず」
「……そういうことでや」
儂はひとに恵まれた。その思いが目じりを熱くする。思わず目を閉じ、零れ落ちそうになる水をこらえんとすれば肩が震える。
そのような情けなき姿を、殿と義兄上は仕方のない奴だ、と言わんばかりの温かき目で見守ってくれていた。
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