織田弾正忠家

 目を覚ますと安祥の城の陣屋だった。

 和議はすぐにでも成って、今川方は退き陣していった。垓下の項羽のごとく、すぐに背後を襲われてはかなわぬと、人質を交換し小豆坂まで行軍する。


 今川方は岡崎に入らずにさらに東の吉田まで行ってそこで人質を解放してきたため、こちらも当方の人質を解放する。

 直後、岡崎より使者が来た。織田とよしみを通じたいとの申し出で、今川との縁を切るわけではないが、場合によっては斯波武衛様に従うことも苦しからずとの話であった。

 此度、我が方に倍する今川方と戦い、互角以上にわたりあったことで三河表における織田方の武辺を大いに示した。

 同時に雪斎坊主の武名はやや陰った。西三河に割拠する松平一族が動揺を始めている。少なくとも織田方の勢力に接している境目の城は今後、織田に通じるところも出てくるであろう。

 そして松平次郎三郎もそのことを感じ、あえて此方によしみを通じることで生き残りを図ろうとしているに違いなし、とは殿の申しようだ。

 今川も松平宗の離反があり得ると考えており、岡崎の城に立ち寄らなかったのは士物(だまし討ち)を恐れたのではないか。


 さて、なぜ儂がそのような機密を知りえることとなったか。それは側近に抜擢され、殿のすぐそばに侍るようにとのお達しが出たからだ。

 朝比奈備中の一言で儂の立場がやや微妙なものとなった。手柄は立てたが、譜代歴々の衆ではなく、今川によしみを通じていると讒言を申すものが早くも出た。

 その言葉を否定するために、殿はあえて儂をそばに置き信を示してくれているのであろう。

 

「権六がそばにおるは魏武の傍に虎痴がおるのと同じでや」

 この時代においても三国志はよく知られている。唐の国が乱れし中でもっとも強かった魏の国の初代になぞらえられるのはちと面映ゆかった。

 

「権六は武辺のみならず、知略にも通じておるだわ。しかし今はそのことは伏せておくがよからあず。此度の武功にもやっかむ者が出ておるでなん」

「はっ。しばらくは猪を演じておるようにいたしまする」

 儂の返答がよほど面白かったのか、殿は呵々大笑する。

「その方の返しは実に頓智が聞いておるでや。ただ唯々諾々と儂の命に従う武者がいらぬとは言わんが、時には諫言をなしうるものもおらねばな。

 良薬口に苦しと言うであらあず」

「儂が良薬かどうかはわかりかねます程に」

「それでよい。その方は自身が善きとなすことをせよ。それを儂の利に換えるは儂の仕事でや」

 

 鳴海を過ぎ、熱田神宮に戦勝の報告をする。宮司の千秋加賀殿が挨拶にやってくる。熱田の市は織田弾正忠家が保護をしており、神社の大旦那として名を連ねる。

 いまだ少年の面差しを残した加賀守季忠殿は吉法師様と同年の生まれだ。

 

「お殿様には此度の戦勝、まことにめでたきことにございまするに」

「勝ったというておるが、四分六分でこちらの負けよ。良くて痛み分けにてあらあず」

「しかし、雪斎坊主に手傷を負わせたとのこと」

「うむ、佐久間が手の者がよく働いたでなん」

「家来の手柄はすなわち主君の手柄にて」

「うむ、此度はよき拾い物をしたでなん」

 がはっと破顔する殿に、千秋殿も笑みを返す。熱田の市の運上は津島の市と並んで織田弾正忠家を支える屋台骨である。


 先代信定様は津島に居館を構え、のち勝幡に移った。守護代家の政務を補佐する奉行職にあったが、銭を得るため津島の商家と婚姻を結ぶなど、現在の弾正忠家の開運の礎となった。


 当代の信秀様は知勇に優れた大将で、那古野の城を今川氏豊から計略をもって奪い取った。

 風雅に優れたる者として教養人の名を売り、連歌会に招かれると、その中で急病を装い兵を城に呼び込んだ。

 そのまま深夜に騒ぎを起こし氏豊を追い出して那古野の城を分捕ったのである。

 今川に敗れて遠州を失い、さらに尾張にまで浸食されていた斯波武衛家の武威を示したとして、先代の武衛様は非常に喜び、また朝廷ともつながりを持っていた殿は尾張の第一人者として認められるようになった。


 その飛躍を支えたのが津島と熱田から上がる運上(税)で、銭によって兵を養い、様々につながりを広げていったのである。


「此度のいくさでは新たな城は獲れなんだが、安祥の地は安堵となったがや。知多の佐治衆が刈谷のつながりで味方になったは良きことにてあらあず」

 佐治水軍との盟約を結ぶことができたことが収穫だった。伊勢湾の荷は大きな運上をもたらす。

 殿は伊勢神宮の遷宮に銭を出したこともあるが、同じく交易の利を得るためだった。

 

「もうすぐ清須でや」

「はっ! ご無事の帰着、まことに祝着にござる」

 清須の城下の民が出迎えに群れを成している。


「戦奉行様じゃ!」「此度は今川の雪斎坊主を破ったそうじゃ」「弾正忠様がおれば尾張は安泰だがや」

 口々に安堵の声を上げる。いくさとなれば焼き討ちを受け、乱暴狼藉にさらされる民衆は常に強い支配者を求めている。

 彼の殿は手ごわいとなれば、容易にいくさは仕掛けられぬ。武名はすなわち家と領民を守る盾となる。

 田畑薙ぎにあい、一年の苦労のすべてを焼かれれば村そのものが散逸することもよくあった。

 流民となった彼らは生きるために野盗となり、行商人を襲う。

 治安が乱れれば多くの人々が迷惑をこうむり、先行きは悪くなる。

 民衆の歓呼の声に、いろいろと考えていると……。


「あれなるが赤鬼様じゃ!」「鐘馗様のようじゃのう!」「一振りで五〇騎を討ち取ったと聞くぞ」「なんともすさまじき武辺じゃのう」

 武名と言うのは様々に法螺が混じる。噂には尾ひれがつきどんどんと訳が分からん話になっていくのはよくあることである。


「……殿、さすがに五〇騎をなで斬りは無理があらあず」

「唐の国の関雲長も同じことを言うに違いなし」

「それはそれで大法螺が過ぎまするに」

「カカカ、まあよかろうず。ほれ、手を振り返してやるがよい」

 儂が馬上でこぶしを突き上げると、わっと声が上がる。

「その方の武辺は当家の力となる。すまんが利用させてもらうでや」

「儂は殿の家来にござれば、お役に立てるは本望にございまするに」

「うむ、まだまだ先行きには苦難が待ち構えておるに違いなし。その方の知勇を恃みとするでなん」


 城の大手門をくぐると、武衛様が出迎えてくださった。


「今川の衆を見事破ったと聞いておるいら! 弾正忠よ! 働き殊勝なるぞ!」

「はっ、武衛様の武威によって勝ちを拾うておりまする。武衛の家の武運は末広がりにて」

「して、今川衆を撫で切りにした赤鬼はおるか?」

「はっ! これなるは柴田権六にて」

 門をくぐる前に、武衛様のお召しがあるに違いなしと殿から聞いて居らねば、緊張のあまり受け答えができなかったであろう。

 

「柴田権六勝家と申しまする」

 膝をつき、挨拶をする。

「しばた……? もしやその方は斯波の家につながる者かや?」

「はっ、越後の新発田より起こり、修理太夫を名乗る一族にございます」

「ふむ、こじつけでもよかろう。その方の名に箔をつけてやろうず」

「は? え?」

 隣で殿が今にも笑いだしそうな顔をしている。

「我が氏族たる柴田家の者が手柄を立てたはまことに祝着である!」

 武衛様は日ごろないほどに機嫌よくおられたそうじゃ。

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