暗闘

 額を打ち抜かれた曲者は断末魔を上げる間もなく、倒れ伏す。

 

「曲者でや! 出会え、出会え!」

 殿の周辺を旗本衆が固め、すらりと白刃を抜き放つ音が聞こえる。

 草むらの中から手槍を持った足軽が現れた。具足をまとっており、鷹狩りのことを知ったうえでの待ち伏せであることがわかる。


「孫四郎!」

「応!」

 殿の前に出るにあたって武具の持ち合わせは最小限で、儂は刀を抜き放つ。孫四郎は杖代わりにしていた樫の棒を槍のごとく構えた。

 先端は鉄で覆いをしてあり、孫四郎の強力で振り回せば下手な槍よりも威力を発揮するであろう。

 藤八も同じく杖を構え儂の背後を守っている。


「儂が切り込むでや。おのしらは姫を守るのじゃ!」

「はっ! 奥方様には指一本触れさせませぬでや」

 孫四郎のからかいを含んだ声色に思わず顔に血が上りかける。

「まあ……孫四郎と申すか。あとで褒美をやりますゆえ励むがよいぞ」

 姫は満面の笑みを浮かべ、孫四郎をほめている。

「はっ! 殿! 後ろのことはお任せあれ!」

 何やら釈然とはしなかったが、孫四郎ならば不覚はあるまいとすでに敵と切り結んでいる旗本衆の加勢に赴く。


「おおおおおおおおおおああああああああああああああああああああ!!!」

 腹の底から雄たけびを上げ突進する。矢が飛んでくるが、真正面から来るものでなければそうそう当たるものではない。

 

 当たるを幸いに敵兵をなぎ倒していく。

「儂に続け!」

「「応!!」」

 弾正忠家の精兵は突然の襲撃にもひるまず立ち向かう。


「槍を恐れるな! 最初の一突きをなんとしてでも躱すでや! さすれば懐に入れるだで、あとは思うがままにあらあず!」

 槍を攻めあぐねていた武者どもは儂の叱咤にこたえ、不利な流れを押し戻す。


「曲者どもめ! 儂は弾正忠信秀でや! おのれらごときにこの首獲れると思うならばとって見せよ!」

 馬上で手槍を携え気勢を上げる。

 周囲を固める小姓衆が弓を構え、切り結ぶ旗本衆の頭上を越えるかたちで矢を放ち、射抜かれた敵兵が苦痛の声を上げた。


「続け!」

 姫が小姓衆を叱咤激励する。なんとも心地よき声であろうかと、聞きほれかけ言葉の意味を理解すると、切り結んでいた敵の武者を蹴り倒して声の方に振り向くと……、なぎなたを構えた姫が孫四郎と藤八に脇を固められ、小姓たちを率いて敵の右側から側面を突いていた。

 歴戦の武者もかくやと見える武辺で最初に切り結んだ足軽は横薙ぎに首を飛ばされる。頬に飛び散る返り血が紅を差したように見え、凄惨な美しさを際立たせた。


「のう、藤八よ。我らの出番、在るのかのう?」

「兄者、それを言うては…‥」

 縦横になぎなたを振るう姿は巴御前とはこのようなものであったかと彷彿とさせる働きぶりで、儂も目の前の敵を叩き伏せながら見入る次第であった。


「そこか!」 

 敵中深く切り入り、頭役を見つけたようだ。


「我らにお任せを!」

 藤八が振るった杖は過たず敵将の刀を叩き折り、孫四郎の放った突きは敵将の腹にめり込んで、血反吐を吐きながら地面に倒れ伏した。


「敵将! 柴田家中、前田孫四郎がひっ捕えたでや!」

 孫四郎の名乗りに敵は動揺した。


「坂井さまが捕らえられたとな」「これではかなわぬ」「逃げようず。無理じゃ」

 兵たちは逃げ腰になり、一番後ろの方では踵を返して四散しはじめる。

 敵将の郎党と思われる小頭が兵を叱咤して、殿を取り返せと兵たちにわめきたてる。自らも逃げ腰にある中で勇ましき物言いであった。

「なれば儂を倒してから行けばよいでや」

「げえっ! 権六!」

「ほう、儂を見知っておるかや。なれば尾張者に在ろうず」

「うわあああああああああああ!」

 よくわからぬ喚き声をあげて突きかかってくるが、藤八の方がまだましじゃ。腰が入っておらん。

 身体を横に捌き、穂先の根元をつかむ。それだけで突くも退くもできなくなった相手はその場に座り込んだ。


「権六殿、あちらを!」

 旗本衆の一人が指さす先で小競り合いが起きていた。


「あれは若の旗印でや!」

「おお、なんと見事な采配じゃ!」

 頭役が捕らわれて、さらに逃げ道をふさがれたとしった曲者どもはその場で座り込んだ。


「親父、無事か!」

 若が一人で駆け寄ってきた。具足はおろか湯帷子だけを羽織ったありさまで、襲撃の知らせを聞いてすぐに駆け付けたものとわかる。

「おう、三郎。加勢大儀。儂がこの程度の曲者に後れを取るわけがないでや」

「であるか。無事ならばよい……でや」

 若は見た目以上に力強き方で、多少の遠乗りでも息一つ乱さぬが、此度は気のせくままに走られたのであろうか。


「殿! こやつは坂井大膳が郎党にござりまするに」

 旗本衆の一人が顔を見知っていたのであろう。剛勇をうたわれる清須衆の一人であった。


「くっ、殺せ」

 縛り上げられたその侍は開口一番殿をにらみつけてそう言い放った。

「死にたくば舌でも噛むがよいでや。そのあとは清須に送り届けてやろうず」

 その一言で侍は下を向いて震えだした。

「……斬れ」

「その前にいろいろと聞くことがあろうが、おのしの身は儂が預かろうでや」

 その一言に顔を上げ驚きの表情を見せる。

「なにも仏心ではないでや。おのしは生き証人だで。儂はこのことをもって大和守家の非を鳴らすでのん。武衛様をないがしろにし、専横を振るう奸臣を討つのでや」

「そんなことできるわけが……ない、でや」

「であるか? 人のすることなれば絶対はなかろうがのん」

「……降参いたしまするに」

「殊勝なり。こののちは儂が被官としてはたらくがよからあず」

「はっ!」

「縄を解いてやるでや」

 殿が儂の方に目配せをしてきた。


「かしこまりましてございまする」

 すっと太刀を抜き放つ。返り血を浴び、凄まじい有様になっておる儂を見て、騙されたとでも思うたか、座り込んでいた腰を上げそうになっておった。

「動くでない」

 一言告げると、観念したのか再び座り込み、首をこちらに差し出してくる。

「はっ!」

 太刀を一閃させると、はらりと縄が落ちた。こやつの肌には毛筋一つの傷もついておらぬ。

 

「見事でや!」

 殿が楽しそうに笑っており、侍は腰を抜かしていた。

「さて、その方の最初の仕事じゃ。弾正忠信秀は流れ矢に当たり重い傷を負ったと旧主、大膳に伝えよ。三郎は……落馬して首でも折ったとしておくかのん?」

「親父、それはあんまりでや……」

「まだお前をうつけと信じたいようであったからのん。自らを知恵者と思うやからは、自分の思う絵図通りに事が進まぬことを考えもせんでや」

「ふむ、なればあやつめ、一気に兵を出して那古野を取り抱えようとするに違いなし」

「うむ、お前は籠城するでや。孫三郎にも書状を送りあ奴らに降ったことにさせようず」

「清須の城に入らせるか」

「あとはお前ならばわかるであろうでや」

「うむ。後詰戦で敵を蹴散らし、清須の城は叔父上が乗っ取るというわけであるな」

「お前も城取がわかってきたであらあず」

「ふん、生まれてこのかた、親父のやりようを見て参ったでなん」

 

 目の前で編み上げられる謀略に、儂は半ば呆然と見ていた。

「これが今の世のまことの有様ですわなも」

 隣に姫がやってきて気遣わしげに儂を見ていた。

「はっ、つや殿。お怪我はありませぬか?」

「そっちですか……わっちは傷一つありませぬわな」

「よかった」

 へなへなとへたり込みそうになる膝に力を入れる。

 孫四郎と藤八は必死に気を張って周囲を見渡している。ここは本陣の真ん中で、最も安全な場所といえよう。その中でも一切油断の無き有様に、これはひとかどの武者となると確信した。


「孫四郎よ。夏には元服の支度じゃ」

「はあっ!?」

 驚いて手に持っていた杖を取り落とす。

「棒切れ一本で歴戦の清須衆を叩き伏せる武辺は見事なり」

「は、ははっ!」

 孫四郎は儂の前に膝を突き、肩を震わせる。

 その光景を周囲の侍たちがうなずきながら見守っていた。


 ふと袖を引かれる。

「ところで権六様。わっちが声を上げてお言葉を遮っておいてこれを言うもはばかられますが……」

 姫が白皙の顔に血をのぼらせつつこちらを見ている。そのしぐさでわかった。わかってしまった。先ほど殿に言いかけた言葉をここで言えと言われておるのだ。


「おう、権六。先ほどの働き、大儀でや……ぶふっ?」

 姫に袖を引かれ、二人そろって真っ赤な顔をしている有様に殿が吹き出す。

「わははははは、今弁慶に巴御前かや。似合いの二人だでや!」

 若がやってきて大笑いを始める。

 いささか血なまぐさき仕儀になったが、儂の嫁取りが決まった。


「で、続きは?」

 姫……つや殿の言葉に、改めて殿に申し入れを伝えた。顔から火が出るような心地であった。

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