希望と期待
ギルドナと別れたアルドは、青年に指定された住居に向かう。
乗りかかった船だという気持ちも抱えつつ、先ほどのギルドナの言葉が胸に残る。
アルドは難しいことを考えるのが苦手なきらいがあり、それがいい方向に進むときと悪い方向に進むときがある。ここまでの流れからすると、今回は間違いなく後者寄りだろう。
「よし、ギルドナの分だけでもちゃんと断らないとな。」
そんな妙な決意のもと、青年の待つ家屋の前に到着する。
人一人分ほどの大きさのガラス張りの筒に入り暫くすると、身体が浮き上がりそのまま筒の中を上昇していった。
ここエルジオンの都市の構造は変わっている。まず都市自体が階層を持ち、先ほどアルドが入った不思議なカラクリを利用して各階層を行き来する。商業セクターや居住セクターなどの階層が存在するが、利用者レベルにより往来できる区間が決まっているため、セキュリティ面でいうとかなり堅牢だろう。
家屋の多くは高床式住居のようになっており、各居室まで続くこのカラクリだけが出入り口となっている。
アルドも初めてここに来た時はこの仕組みに驚いたが、今ではもう慣れたものである。
ふた呼吸の間に上階のフロアへ到着する。
部屋にいた青年が部屋の入り口に目をやると、先ほど彼が声を掛けた黒髪の中世コスプレの男が立っていた。
「早速来てくれたね。…おや、あの魔獣のコスプレの彼は?」
原稿らしきものを持った青年は魔獣のコスプレの男がいないことに気づいた。
そして今しがた部屋に上がってきた男の後ろをのぞき込み、やはりもう一人が見当たらないことに若干戸惑いを見せた。
そんな青年の姿を見て良心の呵責に苛まれながらも、先ほどの決意を胸にアルドは
「あ、ああ…あいつはあんまり興味ないみたいだから…」
と断る方向で話を切り出した。
すると青年の戸惑いの表情が一変、この世の終わりのような顔になり
「なん……だと…?これは…ぜひ、彼に…出てほしい作品なんだ…」
と呟きそのまま床に崩れ落ちた。
あまりにも露骨すぎる落ち込みに動揺したアルドだが、ここで折れてはギルドナに申し訳が立たないと思い諭すように青年に言う。
「…うーん、とは言っても出たくないのを無理強いするわけにはいかないだろ?」
ギルドナは相当頑固だ。自身が納得しない限りは決して意見を曲げることはないだろう。それにここで引き受けて帰ろうものなら何を言われれるか。
そんなアルドの考えなど露ほども知らない青年は、失意に満ちた声で
「…彼は、どうすれば乗り気になってくれるだろうか…」
と零した。
絶対にギルドナを勧誘するという意志が折れないことに対し危機感を覚えたアルドは、今の言葉を聞かなかったことにして早々にこの場を立ち去ることにした。
「というわけだからさ、俺で力になれることなら協力するけどこればっかりは…」
そう言い終わる直前、勢いよく顔を上げた青年はアルドの言葉を遮り詰め寄る。
「なあ、君!彼とは仲がいいんだろう!?何とか彼を説得してもらえないだろうか!!」
そこでアルドは先ほど自分の発した言葉に「しまった」と思った。
ちなみに2人の仲が良いかと言われると微妙なところである。そもそもギルドナは人間に対しあまりいい感情がないどころか憎悪すら抱いているのだから。
アルドに敵意を抱いていないのは確かだが、それ以上の感情を彼から読み取ることはできない。
それでもアルドがここで否定しなかったのは、彼の純粋さと仲間を信じる強さからだ。
引くに引けなくなったアルドは青年に対して諦め交じりに言った。
「困ったな…とりあえずストーリーを見せてくれないか?もしかしたら内容によっては交渉の余地が…」
その言葉を聞いた青年はまた一変、最後まで聞かないうちに希望に満ち満ちた顔でアルドに言う。
「本当か!?僕の作品の命運は君にかかっているよ!」
苦肉の末に出した折衷案に対する青年の過剰な期待にますます引けなくなったアルドは、その大袈裟なリアクションとギルドナに対する言い訳を考えなければならないプレッシャーの中、渡された原稿を読み始めた。
「どれどれ…」
【決戦の刻】
『時は中世、まだ人間と魔獣が地上で暮らしていた頃のお話―
魔獣と人間は、かつて種族の隔てなく仲良く暮らしていた。
ところがある日、人間は魔獣たちの住む村を突然丸ごと焼き払い魔獣たちを僻地へと追いやった。その上魔獣を根絶やしにせんと彼らに対し暴動を起こすようになった。
そんな人間に対して業を煮やした魔獣たちはついに人間との全面戦争を決意する…』
読み進めるうちに、想像していた内容と違うことを疑問に思ったアルドは青年に聞いた。
「これって、史実の本とやらに書いてあったことなのか?」
未来に生きている人は魔獣たちを人間より劣った生物であると認識していることが多い。きっと史実の本にもそのような内容のことが書いてあると思っていた。
その質問に青年は少し思案した様子を見せ
「いや…、本には凶悪な魔獣たちが人間の文明に脅威を感じ根絶やしにするために侵攻したと書いてあった」
と言い、さらにこう続ける。
「でも、中世の歴史を調べるうちにそれは間違いなんじゃないかと思ってね。戦い以前の歴史が記された資料のひとつに、人間が居住区を広げていった資料があるんだ。知性のある魔獣が文明を恐れながらも、人間の発展をみすみす見逃すわけがないと思わないか?」
「…言われてみればそうだな。」
確かに魔獣は強い。人間を滅ぼす、という目的だけなら自分が生まれるずっと前に勝敗は決していたはずだ。
「だから僕はこう考えた。『魔獣たちは人間に奪われた自分たちの土地を取り返したかっただけ』なんじゃないかって」
青年の言うことも尤もだった。しかし歴史の魔獣王は間違いなく人間を滅ぼそうとしていた。その背景には魔獣なりの理由があったのかもしれないが、自分たちも生き残るために戦った。
当事者として複雑な心境を抱きながらもアルドは青年の言葉に耳を傾け続けた。
「……この考えが万人に受け入れられないのはわかっている。僕の考えたストーリーじゃ人間の方が悪者だ。でも、だからこそあんなクオリティのコスプレをするほど魔獣を愛する彼にこれを見て、そして演じてもらいたかった…」
シナリオを読み青年の思いの丈を聞いたアルドは、一抹の可能性を抱き彼にこう告げる。
「なあ、この原稿ちょっと借りてもいいか?」
その言葉に少し沈んだ表情の青年は顔を上げ
「彼に見せてくれるのか…?」
とアルドを見つめた。
青年は正直意外だった。大体の人はこれを見たら神妙な面持ちになり苦言を呈する。
もしかしたら彼ならば本当に僕の夢を実現させてくれるかもしれない、青年はそう思った。
対してアルドもこう感じていた。
彼は他の人間と違い、魔獣を好意的に見ている。このシナリオならギルドナも青年の想いを理解してくれるのではないか。
「出てくれるかはわからないけど、見せるだけ見せてみるよ」
そう言うと青年の考えた映画の原稿を懐にしまった。
先ほど上ってきた筒の入り口に向かい歩くアルドの後ろ姿に、青年は少し大きめに声を掛けた。
「ありがとう!その…」
言葉に詰まる青年。そういえば自分の名前を伝えてなかったなと思い
「俺はアルドだ」
と遅めの自己紹介をした。
「ありがとう!アルドくん!」
また断れなかったアルドだが、心なしか先ほどよりは足取りは軽かった。
「とは言ったものの、ギルドナにはなんて言うかな…」
なにか良い言い訳がないかと考えながら、無機質な街並みを歩くアルド。
普段であれば呑気に深呼吸でもしながら歩くのだが、あいにくそう言った気分にはなれない。かといって考えたところで自分より頭の切れるギルドナを相手に納得のいく説明ができるとも到底思えなかったのだが。
考えながら過ぎる時間とは短いもので、言い訳と心の準備が整わないままにギルドナのもとへと帰り着いてしまった。
「戻ったか。ちゃんと断れたのか?」
ギルドナの問いに言葉を濁すアルド。
「いや…それが、」
「まさか、引き受けたんじゃないだろうな?」
アルドの煮え切らない返答にギルドナの眼光が鋭くなる。ここで引き受けたなどと言おうものなら今にも斬りかかられそうなほどの威圧感は、さすが魔獣王となる宿命を背負いし者といったところだ。
このままではまずいと思ったアルドは、彼にしては珍しく慎重に言葉を選びながら青年の願いを伝える。
「引き受けたわけじゃなくてだな、その引き受けるとかそういう以前にだな、このシナリオをお前に読んでほしいって」
煮え切らない返答をし続けるアルドに呆れたような声でギルドナは再度問う。
「…つまり、断ってもいないわけだな?」
「うっ…」
痛いところを突かれ言葉が出ないアルド。
「いや、話を最後まで…」
聞けよ、そう言い切る前にその言葉は遮られた。
「貴様は学習能力という言葉を知らんのか」
こういったことは今回が初めてではない。
ギルドナもアルドと行動を共にしてしばらく経つが何かと面倒ごとに自ら巻き込まれに行った挙句、さらに面倒なことになる光景を何度も見てきた。最終的にはうまく収まるものの、その行動がギルドナには理解できなかった。
そんな棘のあるギルドナの言い方にさすがにアルドも少し腹が立ち
「…あのな、相手の事情も聞かずにそうやって何でもかんでも突き放すのはよくないと思うぞ」
そう言い返すと、ギルドナは少し考えた様子を見せて
「ならば読んでやろう。貸してみろ。」
と、アルドの手から原稿を半ば強引に取った。
ちなみに彼、ギルドナに突き放している意識はない。彼はアルドより幾分か空気は読めるものの、寡黙な上思ったこと以外の言葉は言わないため、側から見ると突き放しているようにも捉えられる。
そして今回のこの突然とも見える転換は、先のアルドの発言に対し彼なりに何か思うところがあったのだろう。
今しがたアルドから奪い取ったそれに目を通すギルドナは表情一つ変えないまま読み進める。
お互い無言のまま数分が経過した頃、アルドはちらとギルドナの方を見ると、ちょうど読み終えた風のその人と目が合ったので「どうだった?」と感想を聞いた。
「人間が考えたにしては悪くない。…最後は気に入らんがな。」
彼は不愛想だが嘘は言わない男だ。きっと本心からこの作品の感想を述べたのだろう。
この作品を書いた青年の思いが届いたことを嬉しく思いつつ、アルドはギルドナに言った。
「そうだろ?これだったらお前も…」
するとそんな会話を遮るように近くから男の声が聞こえてきた。
「本当か!?じゃあ、出てくれるか!?」
周囲にある生垣と花壇の草花を揺らしながら建屋の影からどこかで見たような男が現れ、ギルドナに迫る。
その男の姿を見て、この原稿の持ち主であることを確認したアルドは「うわっ!ついてきたのか!」と驚きの声を上げた。
そんなアルドにお構いなしに青年はギルドナに更に詰め寄っていく。
「ところで僕もラストはしっくり来ていないんだ!もし君だったらどういう終わりにするだろうか?」
彼がかつての魔獣王だと知っていたらここまで不遜な行動はできないだろう。アルドはどうせ冷たく突き返すのではないかと肝を冷やしながらギルドナを見ていたのだが、彼の口から出たのは意外な言葉だった。
「そうだな、俺ならばここは…」
「え!?乗るのか?」
そう思わず声に出そうになったが、アルドはこらえて飲み込んだ。かなり意外だけど、その気になってくれるのに越したことはない。
いまいち感情は読めないが青年の問いかけにはちゃんと応えるギルドナの姿に
「なんだ。ギルドナのやつ、ああは言っていたけど、結構乗り気なんじゃないか」
などと思うのであった。
さっきの沈みようからは想像できないような表情でギルドナに相対する青年。
そんな姿とやり取りを見て
「この様子だと少しかかりそうだな」
そう感じたアルドは二人を後にエルジオンの街を散策することにした。
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