10話 りん

 「おねーちゃん、ただいまー」と少し離れたところから声をかけられる。視線をやると、りんがとことこと小走りでこちらに向かってきていた。腕には紙袋を抱えている。


「だいじなはなしおわった?」と僕と藍を見比べながら聞いてくる。


「えっと……まあ」藍は言葉を濁す。


「うん、おわったよ。ごめんね、お姉さん借りちゃって」僕はこれ以上食い下がる気はなかった。


「べつにいいよー。おいしいものかえたし!」にこにこと笑顔で紙袋を持ち上げる。


 僕は藍に「二人で少し話したい」と伝えたところ、りんにお小遣いを渡し、「大事な話があるから、屋台で何でも好きなもの買ってきていいよ」と送り出してくれた。


 りん。僕が告白を失敗し、藍を恋人にできなかった原因。しかし、憎むことなどできなかった。彼女自身は何も悪くないのだから。


 九才の彼女の顔立ちは藍にかなり似ている。藍をそのまま幼くしたようだった。しかし雰囲気は対照的で、藍は冷たさを秘め、りんは暖かさを秘めていた。ぽかぽかしている、という表現がぴったりだった。

 

 今日初めて会ったのにとても人懐っこく、たくさん話しかけてきて、いつの間にか手を繋いできた。終始にこにこと楽しそうにしていた。


「おにいさん、なんかつらいことあったの? なんかかなしそう」と少し心配そうに僕を見上げてくる。


「うん、ちょっとね」本当はちょっとどころじゃないけれども。


「じゃ、これあげる」と紙袋をごそごそし、「はい!」と僕に差し出してくる。それはベビーカステラだった。出来たてのようでほかほかと湯気が上がっている。


「ありがとう。……うん。おいしいね」僕は受け取り、食べる。


「でしょ! おじいさんのベビーカステラ、いつもおいしいの!」にっこりと笑顔でりんは言う。その笑顔を見てると、心の苦しみが少しやわらいだ気がした。


「はい、おねえちゃんも!」とカステラを差し出した。


「……ありがとう」藍も受け取り、すっと口に入れる。

目を閉じて味わう。「できたてはいいわね」と感想をもらす。


「おねえちゃんのおてて、またつめたくなってるー」とりんは藍の右手をとった。


「冷え性だからしかたないのよ」


「ひえっひえだよー。あたためてあげるね」そういってりんは自分のほっぺに手をくっつけた。


「ふふ。暖かいね、りんは」そう言いつつ藍はかすかに笑った。


「でしょ! いつもぽっかぽっかだもん」


 僕は藍が笑うのをはじめて目にした。それと同時にすっと心が軽くなるのを感じた。


 ……ああ、そうか。藍に惹かれた理由がわかった。心を溶かしたかったのだ。彼女を笑顔にし、瞳の奥の悲しみを消したいと無意識に感じていたのだ。


 でも、その必要はなかった。すでに藍の横にはりんという、心を溶かし、笑顔にさせる存在がいたのだから。

 

「おにーさんもぽかぽかする?」と僕に向かって言う。


「いや、大丈夫。……カステラの袋、持ってあげるよ」りんは紙袋を抱えていたので藍の右手しかあたためられていなかった。


「ありがとう! もっと食べていいよー」とりんは紙袋を渡してきた。そして姉の両手をとり、自分の首筋にぴたりとくっつける。


「あったかい……。りんは、冷たくないの?」そう言う藍の顔は、ちょっと緩んでいた。


「つめたいけど、わたしあったかだからへいき!」と屈託のない笑顔で返す。


 僕はカステラを一つつまみ、その様子を見つめていた。


 ……この二人の間に入ってはいけない。久氷の百合と、小さな暖憐の百合。寄り添う大小の百合の間を僕が引き裂くなんて、あっていいはずがない。


 そして、りんに彼女を奪われて良かったな、とも思った。もしこれが他に好きな人が、とかすでに彼氏がいる、だったら立ち直れなかったかもしれない。


 だけど、それでも。


「……くやしいな」ど二人に聞こえないようにぼそりともらす。


 くちゅん、とりんはくしゃみをした。


 神社の出口まで戻り、ここで二人と別れることにした。帰り道は同じだけれど、「寄りたい所がある」と言い訳をする。


「今日は、ありがとう」僕は藍に向かってすこし頭を下げながらいう。


「……ごめんなさい」と藍表情を曇らせる。


「あれ? なんでごめんなさいなの?」とりんは手を繋いでいる姉の方を見上げながら言う。


「……謝る必要はないよ。ちゃんと返事してくれたんだし」


 りんと僕にいわれて藍は少し戸惑う様子を見せた。


「……それなら。こちらこそ、ありがとう。初詣なんて久しぶりに行けたから。それと、りんと仲良くしてくれて嬉しかったわ」藍は頭を下げる。


「ありがと〜」りんも真似をして頭を大きく下げた。


「じゃあ、また学校で」藍は静かに告げる。きっと、もう学校以外では会わないということなのだろう。


「ばいば〜い! またね!」にこにこしながら元気よくりんは手を振る。


「うん。またね」と僕も振り返す。またりんちゃんには会いたいな、なんて思ってしまう。彼女の裏表のない雰囲気や性格、笑顔を見ているとこちらまで幸せになる気がしてくる。……もう会えないだろうけど。


 帰路に着く足取りは重かった。フラれた、という結果がゆっくりとのしかかってくる。


 ……どこかのお店でご飯を食べて帰るか。勇気を出して告白できた自分にご褒美として。そんなことを考えていると、スマートフォンの通知音がなった。琴音からのメッセージが来ていた。


「センパイ、初詣もぼっちです?」メッセージにはそう書かれていた。


「いや、藍と行ったけどふられたよ」そう書きかけて、やめる。現実を文字にして残したくない。


「うん、ぼっちになった」前の文を削除して、そう送信する。嘘は言ってないし、うまくいかなかったと琴音は察してくれるはずだ。たぶん。


「そっすか。じゃ優しいコトネが一緒に行ってあげますよ!」文字越しにドヤ顔をしている彼女の姿が目に浮かぶ。でも今はそんな言葉でも嬉しかった。


「ありがとう」と返す。


「え……どういたしまして? なんか素直っすね。早速明日とかいきます?」


「うんいいよ。お昼前とか?」


「そっすね。センパイ行きたいとこあります?」


「別にどこでも」


「私浅草寺行きたいんスけどどうっすか?」


「いいよ」


「よっしゃ! じゃ十一時に最寄りの駅集合にしましょ」


 そうして、今年二回目の初詣に行くことになった。

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