消えない陽炎
単色
第1話
『──というわけで、突如消息を絶ってしまった竪堀愛花さんですが、未だ手がかりは掴めておりません。○○区では以前から児童の行方不明が相次いでいましたが、専門家の高橋さん、この時間をどう見て──』
薬局の待合の小さな液晶テレビから、ニュースが流れる。
また一人子供がこの街から居なくなったらしい。
もう何年か前から、一年、あるいは数ヶ月おきに子供が居なくなっている。
児童の背景もまばらで共通項もなく、理由はわからない。
ただ、もしも誰かによるもの、人為的なものであるならば。
安直だが、犯人は
──僕のような。
「
呼ばれたのでカウンターに向かうと、紙袋を渡された。
この中に僕を
僕は一人暮らしだ。おかげで、こうやって定期的に病院にかかり、薬を処方されてる事は親には伏せられている。
ただでさえ多感な齢17の少年が
どうして僕はこんなものを飲まなければならなくなってしまったのだろう。
以前まではきっと、僕の病理は生まれつきだったのだろうと思っていたが、数週間ほど前からだろうか。
いやに、やけに思い出すことがある。
まだ小学6年生の頃に良く遊んでいた、女の子の友達だ。
きっと、好きだったんだと思う。しかし思い出は全て霞んでいる。
名前はなんだっただろうか。
当たり障りは無かったと思う。
どんな声だっただろうか。
蝉の音ばかり聞こえる。
どんな顔だっただろうか。
夕立がかかってよく見えない。
こんなにも何も思い出せないのに、その事ばかりを、ここ数週間思い出してばかりいる。
そうして思い出すたび、心が夏の陽射しに炙られる様に苦しくなり、どうしようもなく彼女を求めてしまう。
そうして思うのだ、これが始まりだったのだと。
もっとも、そうだとしても、それを思い出す前から僕は小さな女の子を執拗に目で追ってしまうのだから、それが原因だとしても、忘れたってどうにもならないのだが。
夏の夕焼けに照らされ、長く伸びた影に示されるまま、僕は帰路についていた。
──そういえば、最後に彼女について思い出せるのは、こんな夕暮れの景色だ。
百日紅の花ように笑う彼女と、ランドセルを背負って、途中まで一緒の帰り道を歩いて……。
……それからどうしたんだっけ?
特に意味もない、なのに急かされるように回顧に浸りながら歩いていると、影のコンパスが何かに遮られた。
細い、足だ。
「……っと。」
ぼーっと考え事をしながら下を向いて歩いていたせいで、このままだとぶつかっていたかもしれない。
そう思い、顔を上げ、ちゃんと前を向くと。
足から上、胴体に。
異様に指の長い腕が、四本付いている
背丈は2メートルほどはあろうか。服なんか身に纏っていない肌は気味が悪いほど白く、耳まで裂けた口についた唇は血のように紅く、眼孔は眼球が抜け落ちたように、暗がりだけのある伽藍堂だ。
「□□□□□□□□。」
それは、口を開いて悍ましい音を立てて何かを言ったようだが、僕には全く理解できなかった。
頭はすくんで言うことを聞かない身体に、逃げろと命令する事で精一杯だった。
そうしてもたもたとしていると、それはこちらに歩み寄り、ガシりと僕の腕を掴んだ。
「っ──!」
声にもならず、悲鳴をあげる事も出来ず、息を呑む。
そして直後に、掴まれた腕から違和感を感じた。
夏だと言うのに、掴まれた箇所のみならず、腕が全体的、凍えるように冷たい。
「───っあ、あぁあああ!?」
そうして腕を見れば、掴まれた箇所から、肌がそれと同じくらい、ゆっくりと白く染まっていっている。
そしてその白さが手のひらまで届くと、指がみるみると長く伸び、爪が鋭く尖り始めた。
そうして僕は思い出した。
こいつだ。
あの夕暮れの帰り道で、僕たちはこいつに遭って、そうして彼女は──
「あ、ああ──。」
僕は直感的に理解した。
僕もそうなるのだ。
彼女が恐らくそうなったように、僕もこいつと同じように真っ白な化物になって、そうして彼女のように、こいつと一緒に消えるのだ。
そう理解すると──突然、先ほどまで胸を覆っていた恐怖が解け、安堵にも似た感情が湧き上がる。
そうか、僕は終われるのか。
病理を隠し、明るみに出れば世界から否定されるリスクを負いながら、どうか自分が見つからないようにと暗がりを這うような人生は、もうこの先は無いんだ。
そう思えば、何も恐れる事はなかった。
むしろ、彼女と同じ場所にいけるかも知れないのだから、願ったりかもしれない。
そうして僕は、既に常識の世界から外れてなおしがみついていた僕は、本当にそこから引き剥がされることを、甘んじて受け入れ──
「□□□ッ──!?」
──受け入れていた最中、それは胸にあたるであろう部分が、何かに貫かれ、恐らく悲鳴であろう声をあげていた。
貫いたそれは、ちょうど、今の自分の指とそっくりだった。
「□□□、□□□□□──ッ。」
それは、苦悶の声と思しきものを上げながら、アイスクリームが溶けるみたいに、そして溶けた端から揮発するみたいに、消えていく。
そうしてそれの背後から現れたのは──白いワンピースを纏った、真っ白な肌に真っ白な髪の、小さな背丈の、人型の何かだった。骨格から、小学校高学年くらいの女児を思わせた。
しかし、人ではないのはすぐにわかった。
大きな目は、白目と黒目が反転している。
指は僕のように長いし、背中──肩甲骨のあたりからは、翼が生えている。
いや、良く見ればそれは、人の掌の形をしている。
明らかなる、異形。
そして僕は、今日初めて──恐らく、初めて──見たその異形に、何故か見覚えを感じていた。
「──君、は──。」
「おおおおおおおおおおお!!!!」
思い出そうとしていると、少女のようなそれの背後から、随分と威勢よく喧しい声が聞こえてきた。
見れば、スーツを纏った大人が二人、こちらに向かって走っている。一人はタイトスカートを履いているから、女だろうか。
そして二人が僕の前にやってくると、女性は前屈みになって膝に手を置いて、はあはあと荒い息を吐きながら僕の全身を一瞥し、僕の腕白くなったを取り、じっと見つめた。
「……よし、まだ浄化間に合う。ギリセーフっすね。」
「そう言う問題じゃねえだろ、アウトだ馬鹿。」
男が女の頭を容赦なく叩いた。
男は一緒に走ってきたというのに、息一つ乱れていない。
「あ、あの……。」
さっきから展開が急すぎて何も飲み込めていない。とりあえず貴方達は誰なのかと尋ねようと口を開くと
「あ、すんません申し遅れました。うちら公安のもんです。私は
と、喰い気味に自己紹介を済まされた。
──公安?警察が僕になんの用事なのだろうか。
今度こそ全く安堵の隙のない不安が押し寄せる。
「……あの、僕に何か……?」
「すみません、うちらが色々ミスって大変な目に遭いましたね。いやーユカちゃんの足が早くて助かりましたよ。」
「──ユカちゃん?」
「この馬鹿。」
一真と紹介された男が、紗耶香と名乗った女の頭をまたも叩く傍らで、僕はそのありふれま、しかし聞き覚えのある名前に引っ掛かりを覚えた。
ユカとは、恐らくこの少女の形をした白い異形の事を指してるのだろう。
そして姿形からして、この異形は先に現れた異形と似ている。
僕の腕も、掴まれたところから先の異形の腕のようになっている。
背丈はちょうど彼女が居なくなった時と同じくらいだ。
確証はない、しかし、もしかして、彼女は──。
「さて、悪いっすけど事情は説明出来ないっす。つーか忘れてもらうんで意味ないっす。」
「え?忘れてもらうって……。」
「さっきのっすよ。さっき貴方が遭遇してしまったアレっす。」
「え……。」
またも急な勧告に置いてけぼりになっている僕をよそに、紗耶香は言葉を続ける。
「アレはこの世界にいちゃいけないんですよ。記憶の中にですらも。微かな記憶ですらもアレは自分の存在量を高める餌にして、こうして顕現してしまう。だからその腕の変化と一緒に、今日の事は貴方にとってなかった事にさせてもらいます。
ああ、腕はちゃんと治すんでご心配なく。」
「全く……それもこれも榊、お前が書類を散乱させてて、定期的な投薬のタイミングを逃したせいだろうが。」
「ま、待ってくださいよ!」
一方的な話に僕は堪らず待ったをかける。
「忘れるって、そんな、だってそれはその子の事も忘れるって事でしょう!?」
「……。」
僕の目の前に現れてから、ずっと押し黙っている、少女のような異形を指さす。
「嫌だ、ずっと探していたんだ、そんなのないよ、だって彼女は──!!」
「──それでも、もう貴方の世界に彼女は存在してはならないんです。もうこの子は、アレと結びついてしまった。」
紗耶香はきっぱりと言い切る。
その目からは、情は閉ざされている。
「嫌だ、嫌だよ、ずっと君の影を追っていたんだ、だから僕は生きていちゃいけなくなったし、だから君が居てくれたら生きていても良くなるんだ!お願いだよ、やっと会えたのに居なくならないでよ!!」
涙が勝手に溢れる。恥も外聞もなく泣き喚いてしまう。
「早く終わらせるぞ、榊。この人のためだ。」
一真はそんな僕を見て、険しい顔でそう言い放つ。
「そうっすね──ん?」
それに応じた紗耶香が、何事か、少女の方を向く。
「……?」
涙を拭いながら二人を見ていると、紗耶香は「ふむふむ。」「でもそれ意味ないっすよ。」「……んまぁそうしたいなら止めないっすけど。」「……ロマンチックですね、そりゃ。」などと、少女に一方的に言葉を投げかけていた。
それから、僕の方を向き。
「相沢さん、ユカちゃんから言いたい事があるそうです。」
と、言った。
「え……?」
僕の困惑をよそに、少女は一歩前に出て、僕の真正面に立ち、口を開く。
「……□□□□、□□□──aaAァアア、アー、アー、ンンッ。」
先に現れた異形と同じような、悍ましい音を数秒流し、それから少しすると、生き物の、人の声だとわかる音に変わった。今のはチューニングだったのだろうか。
「……しゃがんで、太一くん。」
少女は、僕の名を呼ぶ。
僕は困惑したまま、言われるがまま、その場にしゃがみ込む。
その声は、記憶の中の、蝉の音の向こうから聞こえるそれと、ぴたりと一致して。
「私、ずっと見てたよ。
太一くんは、ずっと優しいまま、人の顔を見てばかりのままだった。」
少女は真っ白な手を、僕の頭に乗せて、撫でた。
その手は、とても暖かくて。
「もういいんだよ、太一くん。太一くんは、何があっても生きてて良いの。
……ううん、生きていて欲しい。」
「ユカ、ちゃん……。」
心に、暖かいものが広がる。
さっきとは違う涙が溢れて、止まらない。
そうだ、そうだったんだ。
僕はずっと、そう言って欲しかったんだ。
「……さようなら、ごめんね、太一くん。
元気でね。」
別れを告げられる。
しかし僕は、その言葉は飲み込めなかった。
「……もう、僕の事は見ていないの?」
「……ううん、でももう、太一くんは私の事、忘れちゃうから……。」
「だったら、別れの挨拶はそうじゃないでしょ。」
僕は立ち上がった。
自分の足で、しっかりと。
そして手を挙げて、こう言った。
「──またね、優香ちゃん。」
「──ッ!うん、またね!」
彼女は、百日紅の花のように、可憐に笑った。
そうか、こんなふうに笑ってたんだっけな。
これを忘れるのは、悲しいけど。
でもきっと、思い出せなくても、世界にそれが在ると言うだけで今の僕には十分だった。
*────────────────
『──というわけで、女性の時田美沙さんが一般男性と結婚したわけですが、こちらの男性のプロフィール見ていきましょう──』
薬局の待合の小さな液晶テレビから、ニュースが流れる。
つい数日前まで、子供が一人失踪して騒ぎになっていたが、きっと市政の人は、こう言った新しい刺激に押し流されて、すぐ忘れてしまうだろう。
なんて考えながら、ぼんやりと眺め、呼ばれるのを待っていた。
「
呼ばれたのでカウンターに向かうと、紙袋を渡された。
この中に僕を
──たしか、僕はそんな事を思っていた。
だけどいつからだろう、そんな暗い考えは、幾分ならを潜めた。
代わりに、胸に広がる熱が、その考えを溶かしてゆく。
これは一体なんだろうか。
僕にはわからない。
けれどもこれがあれば、きっとどこまでも生きていけるだろう。
根拠なんかないけど、僕はそう、強く思えた。
消えない陽炎 単色 @hitoiro116
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。消えない陽炎の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます