番外編3 日にち藥(カガリ視点)

 カガリが猫又になって少し経ったころのお話。




 カガリはほぼ毎日を、猫又の世界の遊技場とお食事処で過ごしていた。どちらにも他の猫又がたくさんいるので、遊び相手に事欠かないからだ。


 人間の世界にも簡単に行けると聞いて、その方法も知っていたが、まだそんな気にはなれなかった。


 カガリは飼い主一家の父親に、川に放り込まれて生命を落としたわけだが、それで人間が嫌いになったわけでは無い。悲しかっただけだ。だが今でも恐怖心が残っていた。


 その父親も、優しくカガリを撫でてくれたこともあった。だがいきなり豹変ひょうへんしてカガリを川に放るという凶行を犯したのだ。


 全ての人間がそんな多面性を持つわけでは無い。現に母親と娘さんはいつでも穏やかだった。カガリを可愛がってくれた。楽な暮らしでも無かっただろうに、カガリにご飯を食べさせてくれた。


 カガリはしょっちゅう外に出ていて、他の人間に構われたりもした。そんな人々は皆優しかった。


 だからカガリは猫又になった今でも人間が好きなのだ。だからまた人間と触れ合いたいと思っている。


 だがまだ怖いことも事実。なのでカガリは今日もほこらの前に立ちながら、勇気が出ずにいた。




 お食事処の開店時間になり、遊技場を出たカガリはうきうきと向かう。今日は何の猫まんまにしてもらおうか。


 生前カガリは飼い主に、かりかりなどのペットフードをもらうことがほとんどだった。たまにその上にかつお節を乗せてくれた。だからなのかカガリは魚が好きだった。


 でも今日はお肉にしようかな。鶏肉だってとても美味しい。猫又になってから食べられる様になったおねぎもたっぷり入れてもらおう。


 開店間も無いお食事処は、すでにお腹を空かせた猫又たちが詰め掛けていた。カガリは1匹分空いていた隙間に入り込む。


「鶏肉の猫まんまをくださいニャ」


 この頃の猫まんまは、味付けしたお肉やお魚と、小口切りにしたおねぎをご飯に混ぜ込んだだけのシンプルなものだった。


 それでも猫又たちにとってはごちそうなのだ。生きている猫にはご法度のねぎ、それが美味しいものだと知ったのは猫又になってからだった。ほんの少しの辛みが甘い魚肉の良いアクセントになるのだ。


 カガリは出された猫まんまを、お腹が空いていたので最初はかっこみ、途中からはゆっくりと食べた。時間を掛けて食べ終えたらまたたび酒を頼む。


 まだ店内は賑わっていた。だが食べ終わったらとっとと出て行く猫がほとんどだ。またたび酒をゆっくりと飲みたいのなら、そのまま酒場に向かう猫又が多い。


 カガリはそう量を飲まないこともあるが、仄暗い酒場より明るいお食事処が好きだった。誘われれば酒場にも行って楽しむのだが。


 酒場はそれはそれで面白い。飲み過ぎて団子になって寝こけている猫又たちはなんとも微笑ましいと思う。警戒心も無くころんとできることは大切なのだと思う。


 カガリが1杯目のまたたび酒をゆっくりと楽しんでいると、空いたばかりの横にまた1匹の猫が座って、鮭の猫まんまを注文する。ふと見てみると白くて綺麗な猫だった。


「リンダさん。こんばんはニャ」


「あら、カガリ。こんばんは」


 リンダはこの猫又の世界の中でも美猫で知られていて、異性からの人気も高い。そしてお高くとまったところも無いので同性からも人気がある。


 普段はもっぱら人間の世界で野良をしていて、こちらの世界にはなかなか戻って来ないのだが。


「リンダさんがこっちにいるなんて、珍しいですニャ」


「たまにはね。ちゃんとしたご飯が食べたくなる時もあるのよ。向こうにいたらどうしてもごみを漁ることが多いから」


「そうしてご飯を探すのは大変そうなのですニャ」


「そう? 結構楽しいわよ。ろくにご飯にありつけない時もあるけど、それだけに見付けられた時は嬉しいものよ。お友だちもたくさんできるしね」


 リンダは楽しそうに言う。リンダの前にもできたてほかほかの猫まんまが置かれ、それをぺろりと一口食べて「うん、美味しいわ」と満足げに口角を上げた。


「人間さまとはどうなのですかニャ?」


「人間さま?」


 リンダは一瞬きょとんとした様な顔になり、次には「うーん」と考える仕草をする。


「野良でいると、あまり人間さまと関わることが無いのよね。たまに見付けられたら構いたいのか呼ばれたりするけど、基本どの猫も行かないわ。野良猫もねぇ、猫又じゃ無いけど人間不信が多かったりするから。人間に捨てられた猫もいるからね」


「それは悲しいことなのですニャ」


 カガリがしょんぼりすると、カガリは「あらあら」と目を丸くする。


「別にそう不幸なことでは無いわよ。あなただって人間さまの手で死んでしまったのだから、人間さまに不信感ぐらい持っているんじゃ無いかしら?」


「僕は……」


 カガリは切なそうに目を伏せる。


「人間さまをまだ少し怖いと思っているのですニャ。僕は生前は飼い猫だったのですニャ」


「あら、じゃあ良い飼い主じゃ無かったのかしら?」


「お母ちゃまと娘ちゃまは僕を可愛がってくれましたニャ。ですがお父ちゃまが少し怖いお人だったのですニャ。僕を手に掛けたのもお父ちゃまだったのですニャ」


「ひとつのお家なのに、そういうこともあるのね。でも可愛がってももらっていたのなら、カガリは人間さまに希望を捨ててはいないのかしら」


「リンダさんは捨ててしまっているのですかニャ?」


 カガリが少し焦ると、リンダは「ふふ」とからかう様に小さく笑う。


「そうじゃ無いわ。私はね、生前も野良だったの。野良の両親から生まれて野良のまま大人になったわ。で、保健所に捕まっちゃったの」


「それも、それも悲しいことなのですニャ」


 カガリはつい目を潤ませてしまう。するとリンダは「まぁ」とまなじりを下げた。


「私のことで悲しんでくれるのね。ありがとう。でも野良だったのだから仕方が無いわ。あの時の苦しさを忘れることはできそうに無いけどね。でもそれも年々薄れて来てる。時間が癒してくれているのね」


「少しでもリンダさんが辛く無くなれば良いと思いますニャ」


「ありがとう。だからカガリが怖いと思っていることも、そのうちきっと薄れるわ」


「そうだと嬉しいのですニャ。僕はまだ人間さまの世界に行く勇気が出ないのですニャ」


「それこそ焦ることなんて無いわよ。私たちが猫又になった理由は聞いているでしょう? 無理をしては逆効果よ。まずはお世話係の人間さまに可愛がってもらえば良いわ。あの人間さまたちは皆さま猫に好意的だもの。何もわざわざ人間さまの世界に行くことは無いわよ」


「でも僕は、また人間さまの世界に行ってみたいと思っているのですニャ」


「だからこそよ。人間さまが良い人ばかりで無いというのは、カガリも嫌と言うほど解っているでしょう? そこに飛び込みたいというのなら、まずは良い人間さまの目と雰囲気、気配をしっかりと覚えるの。本当に良い人なのか、本当に猫を可愛がってくれる人なのかを見極めなくてはならないわ。悪い人間さまと関わらない様にするためにはね」


「目と雰囲気と気配……」


 カガリはぽつりと反芻する。


「そうよ。あなたに優しくしてくれたお母さまと娘さんを思い出してごらんなさい、きっと優しい目をしていたと思うわ。変わってお父さまはどうだったかしら。お母さまや娘さんと目つきが全然違ったんじゃ無い?」


 カガリは思い出す。カガリを撫でてくれる母親と娘さんの、慈しみ輝いた眸、そしてカガリを乱暴に掴んだ父親の、あの忌々しそうに歪んだ赤い目。


 父親の目は今思い出しても身がすくむ。だが確かに母親と娘さんがカガリを見る目は好意に溢れて見えた。


「どれだけ上辺を取り繕っても、目は偽れるものでは無いわ。目を見る力を養いなさい。そして相手の気持ちを見極めなさい」


 リンダは簡単に言うが、カガリにはとても難しいことの様に思えた。そんなことが自分にできるだろうか。人間の気持ちの良し悪しを選び取れるだろうか。


 だが、きっとリンダはこういうことも織り込んで人間の世界で野良をしているのだ。良い人間ばかりでは無い、それはカガリよりもリンダの方がよほど承知している。


 だがカガリは夢を見る。また人間の世界で人間に撫でてもらう時を。あの優しい母親と娘さんの様に。


 まだ自信は無い。だがカガリは諦められない。


「ありがとうですニャ。僕、頑張ってみますニャ」


 カガリが笑顔で言うと、リンダは「ふふ」と小さく笑う。


「あなたが納得できる形で、良い方向に行けることを願っているわ。気負うことは無いんだからね」


「ありがとうですニャ。リンダさんも、ぜひぜひ楽しんでいただきたいのですニャ」


「ありがとう。じゃあ私は行くわね。また当分帰って来ないでしょうから、次会うまで元気でね」


「はいですニャ。リンダさんもお元気でいてくださいニャ。あの、ありがとうでしたニャ。お話嬉しかったのですニャ」


 リンダはにっこりと綺麗に笑うとすっと立ちあがり、お食事処を後にした。


 カガリはまだ少し皿に入っているまたたび酒をぺろりと舐める。カガリにも日にち薬は効くだろうか。いつか人間に対する恐怖心は消えるだろうか。


 きっとそうだと信じて、カガリはまたこの世界で日々を送ろう。そしてまた人間の世界に行ける様になる、その日を待とう。




 そしてカガリは祠の前に立ち、ほんの少し震える前足を1歩踏み出した。

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