番外編4 夢の入り口(薫視点)
大学在学中に、幸いにもいくつかもらえた内定先から選んだのは、
その会社はいくつものレトルト食品や冷凍食品を自社工場で製造し、スーパーなどで売り出していた。薫もコンビニで見掛けたことがある。
レトルトカレーやパスタソースなどは薫の母親も活用しているし、給食が無かった高校時代のお弁当には冷凍食品なども使われていただろう。
家の手伝いもほとんどしたことが無く、ひとり暮らし経験も無い薫にはパッケージは馴染みの無いものが多いが、中身は幼い頃から触れて来たものである。
母親は「最近は本当に冷凍食品もレトルトも美味しくなってるのよ」と言い、父親と弟の弁当に常温解凍ができる冷凍食品を保冷剤代わりに入れていた。
今の薫にお弁当は必要無い。会社が会社なだけに社員食堂の利用を
研修期間は3ヶ月。その間に仕事のいろはを教えてもらいつつ、各部署への挨拶を兼ねた見学へと案内される。
事務や営業、商品開発に公報など。ひとつの商品を作り上げて販売するのにたくさんの人の手が必要なのだと思い知らされ感心する。
その中でもやはり目を見張ったのは製品工場だ。きっちりと衛生管理がされた広い工場では、大きなドラム式の鍋で炒飯やチキンライスが炒められていたり、大きなフライヤーではコロッケや春巻きなどが挙げられている。
ほとんどがオートメーション化されており、人間はあまり手出しをしないで作れる様になっている。野菜の洗浄や皮剥き、調味料の投入などもマシンでできてしまうのだ。
ただ搬入された食材の傷みなどは人の目で見ていて、その辺りでは先輩従業員が数人並んで目を凝らしていた。たくさん流れて来る食材を優しく転がしながら該当の食品を見付け、素早く避けて行く。
その食材ももちろん無駄にはならない。専用の業者に預けて動物や家畜などの餌や畑の肥料になったりするのだ。
方々から美味しそうな香りが漂って来て、しっかり食べた朝食からそう間もないのに、うっかりするとお腹が鳴りそうだ。
「凄いね。圧巻だね」
薫の横で、目の前のマシンにきらきらした目を向けている同僚の女性が呟く様に言う。名は確か戸畑さん。薫の戸塚という苗字と似ているので覚えていたのだ。
「そうやな。凄いなぁ」
薫も小声で応える。テレビなどで見たことはあるのだが、こうして実際に見るとその迫力と面白さに圧倒された。
「私ひとり暮らしだから、ご飯作るのしんどい時とかに冷食とかレトルトとか食べてたの。こんな風に作ってるんだね〜」
「テレビとかで見たこと無かったんか?」
「私テレビほとんど見ないから。ピタゴラ系とか実験の番組とかはたまに見てたけど」
「ああ、戸畑さんってリケジョやったな」
「そうなの。だから商品開発の部署に行けたらなって」
「面白そうやな。行けたら良いな」
「うん。ありがとう。ええっと、確か戸塚くんだよね? 戸塚くんはあまり食べなかったの? 冷食とか」
「おかんが使うとったはずや。俺は実家から出たこと無いからな。あんまパッケージとか見たこと無いねん」
「あー、もしかしたらお手伝いとかもほとんどしなかった系か。男の子だったらそんなものなのかな」
戸畑さんが少し呆れた様に言い、薫は「面目ない」と苦笑する。
「戸畑さんはひとり暮らしなんやったら、自炊とかもしてるんか?」
「基本はそう。冷食とレトルトはピンチヒッターだよ。コンビニご飯とかお弁当の方が手軽だけど、どうしてもお金がね。実は自炊って別にそうお安く上がるわけじゃ無いんだけど、私料理するの好きなの」
「家庭的ってやつか?」
薫が深い意味も無く軽く言うと、戸畑さんは「あはは、違う違う」とおかしそうに笑う。
「私にとって料理は化学実験みたいなものなの。食材も調味料もちゃんと測って組み合わせて、きちんと工程を重ねたら美味しい料理ができあがる。これ必然。ねぇ戸塚くん、錬金術って知ってる?」
また思わぬ単語が出て来たと、薫は「へ?」と目を丸くする。
「詳しくは知らんけど、確か金属作ったりするんやっけ?」
「狭義ではそうだね。広義では色々な物質とか人の肉体とかの生成、錬成する試みなの。その錬金術、女性の錬金術師はキッチンで調理器具を使って実験をしたって言われていてね。それが錬金術の始まりだって説もあるし、だからなのかな、料理は化学だなんて言う識者もいるぐらい」
「へぇ」
「そう言う意味ではこの工場も実験場みたいなものだよね。ほぼ確実に失敗しない実験場。もちろんここに辿り着くまでもっと大変な実験があるんだけど。手ずから作ることを知ってると、この光景はますます面白いよ」
戸畑さんはそう言って、また輝く目をマシンに向けた。目の前ではベルトコンベアの上をふわふわに蒸された焼売が流れて行く。とても良い香りで食欲が刺激される。ついひとつつまんでしまいそうだ。
「料理って面白いんか?」
「私にとってはね。戸塚くん趣味とかはあるの?」
「いや、これっちゅうて無いなぁ」
「だったらこの会社に就職した縁だと思ってさ、料理やってみたら? これ見て面白いなぁって思わない?」
「そうやなぁ。家とかで作るんとは違うんやろうけど、料理って、旨いもんてこうやってできて行くんやなぁって興味深いわ」
それは本心だった。これまで特に熱中できるものに巡り会えなかった薫にとって、このわくわく感は初めてとも言えるものかも知れなかった。
この優秀なマシンたちに心が踊っているのも確かだが、次々と生み出されて行く美味しそうなものたちにも、食欲以外の部分で惹かれるのだ。
今まで食事作りは母親にすっかりと任せっきりになっていた。台所仕事をろくに見ることも無かった。
だがふと思い出す。そう言えば飲食店でカウンタに座りシェフの手元が見えた時には、結構面白かったなと感じたことを。その時は自分で作るということにまるで結び付かなかったのだが。
これまでずっとやってもらっていたからか、料理は作ってもらうものだと無意識に思っていたのかも知れない。なんとも
それに戸畑さんの言う通り、これまで薫は家の手伝いなどもろくにしたことが無かった。それは呆れられても仕方が無い。もう良い大人だと言うのに何をやっているのか。
だからと言うわけでは無いが、これを好機に料理というものを始めてみようか。
「じゃあやってみたら? 何も全部最初から作る必要は無いし、素とか使っても良いと思うよ。うちの商品だったら社割でスーパーよりもお安く買えるしね」
「せやな。そう言えば今日おかんに、麻婆豆腐の素買うて来てって頼まれとったんや。俺が作ってみよかな。教えてもらわなあかんけど」
「いいじゃ無い。麻婆豆腐は素を使ったら切るのお豆腐だけだから、初心者にもぴったりだよ。きっと親御さんも喜ばれると思うよ」
「そうやろか」
「そうだよ」
戸畑さんはそう言ってにっこりと笑う。口元はマスクで隠れていたが目元が優しく下がっていた。
そうしてその日の晩に薫が初挑戦した麻婆豆腐。たどたどしい手付きで切った木綿豆腐は大きさも不揃いで、大きかったり小さかったり薄かったりした。
それでも父親も母親も美味しい美味しいと言って食べてくれた。弟の優は「へぇ、兄ちゃんが」と驚きながら、それでも文句ひとつ言わず黙ってさじを動かしていた。
両親の喜びは薫の心を暖かくした。それと同時に今まで任せてきてしまったことを反省し、とてもありがたいと思った。
そしてこんなにも喜んでくれるのなら、平日はまだ慣れない仕事でそれどころでは無いかも知れないが、休日には家にいたら料理をしてみようか。
今日は素を使ったものだったが、料理というものは思った以上に楽しいものだった。素を使えば味は確実だと判っているいるとは言え、自分がしたことでこうした成果が出ることが嬉しかったのだ。
これからも続けて行けばスキルも上がって、もっと手の込んだものにも挑戦できる様になるかも知れない。
料理の才能云々と、そんなものが自分に備わっているかどうかは分からないが、何かを面白いと感じて頑張ってみようと思えたことが嬉しくて、薫はにこにこと手を動かす両親を前にふっと口元を綻ばせた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます