番外編2 やりたいことは、きっといつか(薫視点)

 かおるが高校生のころのお話。


 これと言って趣味なども無く、入学したころにはどの部活に入ろうかと考えあぐねていた。


 部活必須の学校では無かったが、大学受験をする時に部活をしていれば内申点が良くなり有利だと聞いたからだ。


 薫が入学した高校は、学力偏差値へんさちこそそこそこ高かったが、部活動はさほど盛んでは無かった。個人技なら地方大会まで進む生徒がいたりもしたが、団体となるとほとんどが地区予選止まりだった。


 その代わりと言って良いのかは判らないが、有名大学への進学率は高かった。薫も一応目指してはいる。就職に有利になるだろうと言う理由もあった。


 身体を動かすのは嫌いでは無い。なので部活必須だった中学時代はサッカー部に所属していた。楽しかったが特にこれと言った成果を出すことはできず、あまり充実感を感じることはできなかった。


 そういうのは個人の裁量でどうにでも変わる。それは薫にも判っていた。例え部活が弱小であっても、取り組み方ひとつで違って来るものだ。


 だが薫にはその熱量が無かった。結局周りに合わせながらそれなりに過ごしたのだ。


 そんなことだから高校に進んだ今、サッカーを続けるという意思をあまり持つことができなかった。


 入学して間の無い日の放課後、部活勧誘のちらしが所狭しと貼られている掲示板を前に「う〜ん」と小さく唸った時、誰かが薫の肩を軽く叩いた。


「かーおるっ」


 そう言って笑顔を寄越すのは、中学3年の時に同じクラスだったじゅんだ。席替えで隣になった時、妙に馬が合ったのである。なので志望高校が同じだと知った時はふたりで喜んだものだ。


「おう、潤か。クラス離れてもうたな」


「そうだね〜。でもたまには遊ぼうねぇ。何やってるの〜?」


「部活どうしようか思ってな」


「やりたいことが無かったら帰宅部でも良いんじゃ無ぁい〜?」


「一応内申点上げといた方がええかな思って」


「なかなか打算的だねぇ。でもそれだったら僕と一緒にクイズ研究会に入らない〜?」


「クイズ研究会?」


「うん、そう。雑学とか勉強できるよ。勉強の延長線上みたいな感じなんだ〜」


「部活でまで勉強した無いわ」


 薫がやや顔をしかめると、潤は「あはは」と笑う。


「学校の勉強とはまた違うけどねぇ。僕は資格取るのに役に立つかなぁと思って〜」


「ああ、高校行ったらバイトしていろんな資格取りたい言うとったもんな。それやのに部活できるんか?」


「毎日行かなくても良いって先輩言ってたし、部室で資格試験の勉強しても良いんだって〜。それも知識を取り入れることだからって」


「なんや、えらいゆるゆるな部活やなぁ」


「そんなもんなんだって。部室に雑学の本たくさんあるから、それを読むだけでも良いんだよ〜。僕は楽しそうだって思うんだけどな〜」


「雑学なぁ」


 家でクイズ番組を見ることもあって、その時にはテレビの中の回答者と一緒になって考えたりもする。正解したら嬉しいし、なかなか楽しい。


 だがそれはあくまでただの娯楽だ。たまたま見たテレビがクイズ番組を放送していたので、一時的に楽しんだに過ぎない。それを本格的にやろうなんて微塵も思わない。


「ちょっとうんちくみたいなのを読んだりして楽しむぐらいだよ〜。暇つぶしぐらいに考えても良いと思うなぁ」


「なんや、えらい熱心にすすめるやんか」


「また一緒に遊べたら楽しいなぁと思ってねぇ〜。あ、そんな部活だから図書館ばりに喋るのははばかられるけどね〜」


「まぁ「勉強」やもんな。どうしようかなぁ」


 薫は少しばかり考える。しかしすぐに「やめとくわ」と首を振った。


「なんやこんなんで入るん悪いわ。ちゃんとやってはる人もいるやろうしなぁ」


「そんな難しく考えることないと思うんだけどなぁ〜。本当に薫は真面目だねぇ」


「はは。そんなええもんちゃうって。まぁもうちょっと考えるわ。高校やしなんや変わった部活もあるかも知れんしな」


「そうだねぇ。期限とかあるわけじゃ無いしねぇ。決まったら教えてね〜」


「おう」


 潤はひらひらと手を振ってその場を去った。クイズ研究会の部室にでも行くのだろう。


 薫は帰ろうかと昇降口に向かった。




 家族揃って夕飯を食べ終え、洗い物などの片付けを終えた母親がソファに腰を降ろすと、スマートフォンに手を伸ばす。


「お母さんに電話しよう思って。あんたも話すか?」


 弟は部屋に入ってしまっていて、父親はこの後の晩酌に備えて一番風呂を楽しんでいる。


 母親がこうして気軽に電話をする「お母さん」は母親の実母、薫の祖母である。


 そう遠く無いところで暮らしているのだが、祖父が逝去せいきょしてから間も無く、まだ気落ちしていると思うので、母親はこうして頻繁に電話をしたり家に行ったりしている。


 実父をうしなって落ち込んでいるのは母親も同じだろうに、母親は薫たちの手前か気丈に振る舞っていた。


 薫はそんな母親もだが、祖母にも少しでも元気になって欲しいと思っていた。


 もちろん薫にとっては祖父だったのだから、悲しくなかったはずは無い。だが産まれた時から別居していたし、そう頻繁に会っていたわけでも無いから、母親や祖母とは比べられないと思っていた。


「おう」


 薫が見ていたタブレットを閉じてリビングテーブルに置くと、母親はスマートフォンを操作して耳に当てた。そして数秒後「もしもしお母さん、私や」と言うと通話をスピーカーにしてスマートフォンをテーブルに置いた。


祖母ばあちゃん、俺や、薫や」


 スマートフォンに向かって言うと『あらあらぁ』と祖母の少し驚いた様な声が聞こえて来た。


『薫まで。高校入ったばっかりで忙しいやろうに、ありがとうねぇ』


「ぜんぜん忙しないで。授業もまだ中学の復習やし、部活もしてへんからな」


『あらまぁ、中学でやっとったサッカー続けへんの?』


 中学の部活では一応それなりに大会の予選や練習試合などもあって、母親と祖母は揃って応援に来てくれていた。


「なんやもうええかなって思って」


「そうやねんお母さん。この子すっかりやる気無くしてもうて」


 母親が溜め息を吐きつつ言うと、祖母は『あらあらぁ』とほがらかに言う。


『やる気なんてねぇ、出る時も出えへん時もあるからねぇ。無理はせんかったらええと思うねぇ』


「まぁねぇ。一応大学受験に向けてなんや部活したい言うてるから、大丈夫やと思うんやけど、なんやこの子ほんまに大丈夫なんかと思う時あるわ。ゆうがサッカークラブ頑張ってるだけになぁ」


 弟の優は小学生になる前から地域のサッカークラブに通って、熱心に楽しそうにプレイしていた。薫も母親や祖母と一緒に弁当を持って応援に行ったことがある。薫が中学でサッカーを始めたのは優の影響があったのかも知れない。


『やりたないこと無理にやってもしんどいだけやからねぇ。クラブ活動もねぇ、やりたいものがないんやったら、やらんかったらええとお祖母ちゃんは思うんよ。大学はちゃんとお勉強してたら大丈夫なんやろ?』


「まぁ確かに内申点は底上げのためやからなぁ。でも放課後勉強以外なんもせんのも暇やから、なんか考えるわ」


「あんたそれやったらバイトでもしたらどうや。そしたら小遣いも増えるで。社会勉強にもなるし」


「そうやなぁ」


 それも今はなんとなく気が進まない。薫本人が「俺ほんまに大丈夫なんやろか」と思うほどだ。


『薫ちゃん、何かやりたいて思うタイミングはきっとあるからねぇ。お祖母ちゃんもねぇ、お祖父ちゃんが死んでしもうて、しばらくはぼんやりしてしもうたんやけど、引越しをねぇ、しようと思って』


「えっ、お母さん引っ越すん? なんで?」


 母親も驚いているが薫もびっくりした。今祖母がひとり暮らししている家は、母親が幼いころに両親が購入した分譲マンションだ。なので母親の実家である。祖父との思い出も詰まっているだろう。


『郊外に行きたい思って。ほら、恵奈えなちゃん(母親の名前)には言うとったけど、私田舎好きやからねぇ。でもお父さんは便利なんがええ言うて、今のマンション離れたがれへんかったから』


「それは確かにお母さん前から言うとったし、私も田舎は好きやけど」


 祖父が便利なものが好きなので、家を買う時に一戸建てでは無くマンションを選んだのも、それが理由だったと聞いている。


『もうお父さんもおらんし、このタイミングしか無いて思ってねぇ。田舎に好きな様に小さいお家建てよう思って』


「建てるん? 建て売りや無くて?」


『そうやねん。お金は年金やらお父さんの退職金やら保険金やら、ほら、このマンション売ってもいくらか入るやろうし、大丈夫やと思うんよ』


「いやお母さん、お金はそうやろうけど、ひとりで更にうちから離れるんは心配やわ」


 実は母親、祖父が亡くなってから祖母と同居できないものかと思案していたのだ。薫も相談をされたことがある。


 だが母親は戸塚とつか家に嫁いだ立場だ。父親方の祖父母は健在だが、先々は揃って高齢者施設への入居を希望していて、またその理由が「息子家族に迷惑を掛けたくない」なだけに、母親も父親に言い出しにくかった。


 老いた親との同居は、どうしても介護などが付いて来る。そのものは実子である母親がするにしても、どうしても父親に負担を掛けてしまうことになるだろうと躊躇ちゅうちょしていたのだ。


『大丈夫やでぇ。お母さんまだまだ元気やし、なんかあった時にはホームとかに行くしねぇ』


「お母さん……」


 母親はそう呟いてうなだれてしまう。しかし薫は理解した。祖母もまた母親に世話を掛けたく無いのだと。母親はもちろんそうとは思っていないから同居を希望しているのだが、それと祖母の思いは別である。


『もうねぇ、恵奈ちゃんも立派に家庭を持ったし、お父さんのお世話もしなくて良くなったからねぇ。残りの人生好きにさせてもらえたらと思ってねぇ。だから念願の田舎暮らしをしたい思うねん」


 そう言われてしまうと何も言えない。母親は寂しそうな表情で、それでも「うん、分かった」と言った。きっと母親も祖母の真意を汲み取っているのだろう。


「お母さんがしたい様にするんが1番やもんな。でもあんまり遠くには行かんとってな。せめて車で1時間とか2時間とかで行けるところにしてな」


『大丈夫やよぉ、そんな遠くには行かへんから。せやからいつでも遊びにおいでねぇ』


「うん」


「俺も行くわ」


『まぁまぁ薫ちゃんまで。嬉しいわぁ。美味しいもんいっぱい用意して待ってるからねぇ。あ、あのねぇ薫ちゃん』


「ん?」


 祖母は少し言葉を切る。薫は耳を傾けて待った。


『あのねぇ、やりたいことなんてねぇ、いくつになってもできるんよ。大事なんはねぇ、周りのいろんなことを見て、たくさんのことに触れることやとお祖母ちゃんは思うんよ。そうしたら自然にやりたいことなんて見つかるもんやと思うんよ』


 穏やかな祖母の言葉に、薫は「……うん」と頷いた。焦ったりしているつもりは無かったが、少し気が楽になった様な気がした。


『定年してからお蕎麦そば屋さんとか始めた人もおるんやからねぇ。ほなまたねぇ。お電話ありがとうねぇ』


「うん。また電話するわ。お母さん無理とかせんとってや」


『はいはい』


 そうして通話は切られた。引っ越しの話は驚いたが、祖母が元気そうだったのでなによりだ。


 母親は「まったくもう」と少し呆れた様な溜め息を吐く。


「お母さん元気なんは良かったけど、薫のこと呑気過ぎやで」


「俺はああ言うてもろて嬉しかったけどな。それよりも祖母ちゃんの引っ越しやで。家から建てる言うてたからまだ先やろうけど」


「せやな。不動産会社とか建築会社との話なんかは、私も一緒に行った方がええかも知れんな。お母さんのんびりしとるから。まぁ薫も、お母さんにああ言われたから言うてぼーっとしてたらあかんで」


「まぁ考えるわ」


 そして数ヶ月後、祖母のこだわりが詰まった可愛らしい平屋の一戸建てが完成し、薫たちの手伝いもあって祖母は無事引っ越して行った。




 その家にカガリが辿り着くのは、それから数年後のことである。

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