21話 夢の始まり

 薫と潤はそれぞれ手酌で缶ビールをグラスに注ぐ。とくとくとくと琥珀色の液体がグラスを埋め、丁寧に入れたので上には綺麗な泡ができた。


「乾杯!」


 カツの音頭で薫と潤はグラスを軽く掲げ、カガリとカツの器に軽く重ねた。そしてさっそくぐいと煽る。炭酸の刺激が喉を通り過ぎ、それがとても心地よい。薫と潤はそろって「ぷはぁっ」と気持ち良さげな息を吐いた。


「あ〜、やっぱり仕事の後のビールは最高やで!」


「そうだね!」


「ふふ。薫さんも潤さんも、昨日と同じことを言っていますのニャ」


 カガリがおかしそうに笑う。


「そりゃあしゃあないわ。ぐいぐい飲めるビールやからこそやな。日本酒とかやったらこんな飲み方したら瞬殺やで」


「僕でも日本酒をそんな飲み方しないもんねぇ」


「またたび酒みたいなものなのかな?」


「そうやな。日本酒もゆっくり飲むもんやな。味わうっちゅうかな。ビールは爽快感を楽しむもん、ちゅうんかな」


「羨ましいですニャ。僕たち猫はそういう飲み方はできないのですニャ」


「前足を器用に使てみるとか。でもまたたび酒も強そうやから、そんな飲み方はせん方が良いんかな」


「そうなのですニャ。1度にたくさん飲んだらきっと倒れてしまいますニャ」


「それは大げさかも知れないけどね。確かにまたたび酒は強いけどね」


 カツは言って苦笑し、「それよりも手はねぇ」と右前足をひょいと上げる。


「顔を繕うことぐらいはできるけど、さすがに物持ったりはできなかったなぁ」


「その言い方、もしかしたらカツさん試してみたことあるの〜?」


 潤の問い掛けにカツは少し照れた様に小首を傾げた。


「実はね。中身を入れていないコップで試してみたんだけど、重たくて駄目だったよ」


「あ、重いもんが持たれへんのか」


「みたいだよ。パンチとかはできるから力を入れられないわけじゃ無いんだけど、力の使い方が違うのかなぁ。両足を一度に使えないのかも。でもそれよりも、今は薫さんと潤さんのお疲れさま会だからね。そんな大したことはできないけど、少しでも疲れを癒して行ってよ」


「ありがとうな。俺はこの世界で過ごすんが結構癒しやけどな」


「僕も〜。猫たくさんだしねぇ」


「でもここでの出来事って夢なんやろ? 起きた時に覚えてるんやろか」


「あ、そうだよね。それは僕も気になる」


 潤は興味津々といった様子で身を乗り出した。薫の中で、きっと潤の中でもこの世界でのできごとは現実との認識になっている。だがカツもいるので夢ということにしておいた方が良いのだろう。


「覚えてる人と覚えてない人がいるみたいだよ。そんなことをたまに聞くなぁ」


「そうかぁ。俺はできたら覚えてたいけどなぁ」


「僕も〜。こんなおもしろいこと忘れちゃうなんてもったいないよねぇ〜」


 特に薫はこの世界で意識が変わりつつあった。やってみたいことを見付けようと思い始めていた。太一の話が聞きたいのもそのためだ。何気なく「覚えてたいけどなぁ」なんて言ったが、是が非でも覚えていたかった。


 薫が密かに拳を握った時、太一がグラスを片手ににこにこと近付いて来た。


「猫たち皆沈没したよ〜。お邪魔しても良い?」


 見ると、確かに騒いでいた猫たちは皆おとなしくごろりと横たわっていた。寝息で身体はかすかに上下しているもののまるで屍である。


「おう。ありがとうな」


「ようこそ〜」


 薫たちは少しずれて、太一が座る場所を開けた。太一はそこに立膝で腰を下ろす。


「今日もウーロン茶か?」


「うん。そろそろオレンジジュースとかコーラとか入れたいなぁ。僕甘党なんだよ」


 太一はそう言って笑った。


「戸塚さん、俺に話があるって?」


 太一はさっそく薫に問い掛けて来る。時間がそうあるわけでは無く、必要な話は早いに越したことは無いので助かる。


「そやねん。太一くんはさ、バンドっちゅうか音楽やろうと思ったんはなんでかな思ってな」


 薫が聞くと太一は一瞬ぽかんとし、次には「ははは」とおかしそうな笑い声を上げる。


「凄っごい単純。女の子にもてたかったからだよ」


 確かにそういう動機で楽器やバンド活動を始めるという話は良く聞く。


「で、もてたの?」


 潤がからかう様に聞くと、太一は「いやぁ」と照れ臭そうに頭を掻いた。


「バンドって、もてるのって結局ボーカルとかギターのフロントなんだよね。ベースもフロントだけど地味なイメージだからなかなか。俺はドラムだからバックでさ、あんまり目立たないんだよねぇ」


「そりゃあ残念やったな。俺なんかはドラム格好ええなぁ思うけどなぁ」


「ありがとう。そうそう、男性ファンは増えたなぁ。複雑な気持ちだったよ。でももてないから止めるなんてもっと格好悪いからね。でも意地で続けてたら本当にドラムが好きになったんだよ。いやね、楽器決める時は好き嫌いより、いかにもてるポジションに行くかだったからね。もう最初から煩悩爆発だよ。馬鹿だよねー」


 太一はそう言ってあっけらかんと笑う。薫もおかしそうに「くくっ」と笑った。


「なんや若気の至りって感じするなぁ」


「そうそうその通りその通り。僕は最終的にドラム好きになったから良かったけど、ギターのやつが途中から「ベースも良いな」って言い出したりね。もう今更コンバートしないけど、たまにベース教えてもらったりしてるみたいだよ」


「ギターとベースって、確か弦の数が違うんだよねぇ?」


「そうだよ。だから運指も全然変わって来るんだ。まぁ両方弾けて損は無いしね」


「でも始めた理由がなんであれ、今でも続いとってプロ目指すまでになったんやな」


「そう。なかなか報われなくてしんどいって思うこともあるよ。でも今はそれよりも楽しさとかが増すかなぁ。コピーバンドから始めたってのと、対バンもあったから最初からそこそこお客さん来てくれてさ。小さなライブハウスだったけど、スポットライト浴びて、楽しそうに跳ねてるお客さん見たら、もう止められないよね! 快感っていうのかな、それもあるんだけど、俺らのパフォーマンスで皆こんなに喜んでくれるんだって。あれはねぇ、もう癖になるよ。俺が目立ちたがりだからっていうのもあるんだろうけどね。綺麗事じゃ無いけど、皆が楽しんでくれるっていうのは大きい。ミュージシャン冥利に尽きるんだと思うよ」


 太一は心底楽しそうに、幸せそうにそう話す。眩しい笑顔。そうだ、薫が羨んだもの。そして憧れたもの。


 太一が踏ん張れる源が分かった気がした。そして薫が進む道も。


「そうか。そりゃあ凄いええな」


 薫が言うと、太一は「でしょう?」と満面の笑みを浮かべた。

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