20話 これは夢だから

 お食事処の店内から猫たちはすっかりいなくなって静かになった。本日のお食事処閉店である。


「さーてと、片付けるかぁ」


「そうだね。立つ鳥跡を濁さず、だね」


「悪いね。よろしくお願いね」


 薫がコンロなどに飛んでしまった油汚れなどを掃除し、潤は食器の洗い物から始める。


 ここの片付けが終わったら、薫と潤はこの世界を去ることになる。それは名残惜しいと思うが、カガリがこれまで通り祖母の家に来てくれるのなら、繋がりが断たれるわけでは無いはずだ。


 ここに来る他の人間たちの様に、夢の延長上に来ることだってできるかも知れない。全てはカガリ次第なのだろうが。


 キッチンを磨いたら調理台を拭き、フロアに出たらほうきで床を掃く。潤は食器を洗い終わったらひとつひとつ丁寧に水滴を拭って行く。


 そうして真剣にせっせと手を動かした。昨日今日と無事に営業を終えることができたことに感謝して。


 やがてすっかり片付けが終わる。これなら明日から復帰する予定のいつもの調理人に受け渡しできるだろう。物の場所なども最初から変えていないはずだ。


「ありがとうね。お疲れさま」


 カツに労われて、薫と潤は「おう」「うん」を笑みを浮かべる。


「今日も夕飯の後は酒場に寄ろうか」


 カツは言うが、薫と潤は顔を見合わせて「あ〜」と消沈した声を漏らす。


「今日は家に帰るつもりやから、あんまり遅くなられへんねん」


「明日からまた仕事だしねぇ。本当に残念だけど」


「せやな。残念や」


 するとカガリが「大丈夫ですニャ」と。


「これは、夢なのですニャ」


 そう言ってにっこりと笑う。薫と潤はまた顔を見合わせた。


「夢だったら大丈夫なのかな?」


「いや潤しっかりせぇ。これほんまに夢なんか?」


 能天気に言う潤に薫はやや焦って突っ込む。


「夢だよ」


 カツも笑顔で言う。


「大丈夫。夢なんだから少しぐらい遅くなっても大丈夫だよ。昨日と今日頑張ってもらったし、少しは労わせてよ」


 薫は「ん〜」と弱った様に唸る。行きたいのは山々だ。少しでも長くこの世界にいたいと思い始めている。このまさに夢の様な場所にもう少しだけ浸っていたい。


 さっきミキオを送って帰って来た時に感じたことももう少し整理したいし。それに……。


 そこで薫は「あ」とふと気付く。


「今日も酒場に太一さんおるか?」


「うん。太一さんは毎日呼んでるよ」


「俺、太一さんにもう少し話聞きたいわ」


「じゃあ決まりだ。大丈夫、そう長くは引き止めないから。なんてね、もう少し薫さんと潤さんと話をしたいだけなんだ」


「僕も薫さんと潤さんとご一緒したいですニャ」


 カツとカガリの嬉しい言葉に、薫も潤も表情を綻ばす。


「せやな。ほなまずは飯にしよか。何が残っとったやろか」


 薫はカウンタに入って行った。




 酒屋に入ると、今日もカウンタに立つ太一が元気に「いらっしゃい」と迎えてくれる。そして昨日と同様に、まるで積み重なる様に酔い潰れている猫たちと、後にその団子に加わるであろう賑やかな猫たちがいた。


「今日も皆相変わらずだねぇ」


 カツがおかしそうに笑いながら、空いているスペースに腰を下ろす。カガリもちょこんと座り、薫と潤もあぐらをかいた。


「やぁ、いらっしゃいませ」


 店長のサムが近付いて来る。薫たちは「こんばんは」と頭を下げた。


「また来てくれて嬉しいですよ。この世界にはいつまでいる予定なんです?」


「この後には戻る予定や。せやからここに来るんも最後やな」


 薫が言うと、サムは大げさに目を見開いた。


「おや、それは残念ですねぇ。せっかく仲良くなれたと言いますのに」


 昨日の今日でそう言ってもらえるのは嬉しいことだ。薫にとってもこの世界は楽しいので、もう少しの滞在はやぶさかでは無いのだが。


「明日から仕事やからな」


 薫が言うと、サムは「おや?」と首を傾げる。


「今までそんなことを気にされる人間さまはいなかったですね。ふむ、これはどういうことですかな?」


 しまった。ここにいる全ての人間はここでのことは夢だと思っているのだから、翌日からの予定を気にする必要は無い。薫には現実味があるのでこの発言だったが、それを他の猫に知られるのは良くないのかも知れない。見るとカツも不思議そうな顔をしていた。


 どうごまかそうかと薫が困っていると、カガリが「サム店長サム店長」と声を掛ける。


「それよりも注文をお願いしますニャ」


「ああ、そうですね。今日はこの私がご注文をお伺いたしましょうか。何にいたしましょうか」


 話が逸れてくれて薫はほっと胸を撫で下ろす。発言には注意をしなくては。


「僕はまたたび酒ですニャ」


「俺もだ」


「俺はビール頼むわ」


「僕もビールで」


「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」


 サムが恭しく頭を下げ、ゆっくりとカウンタへと向かって行く。


「ありがとうな、カガリ」


 薫がそっと耳打ちすると、カガリはにこっと笑って「とんでも無いのですニャ」と言ってくれた。


「やっぱり俺らが他の人間と少し状況が違うっちゅうんは、他の猫に知られるんはまずいか?」


「……説明が長くなってしまって面倒ですニャ」


「そりゃあ確かにな。俺も気ぃ付けんとな」


 カガリが作った溜めが少し気になるが、薫はあっさりとそう応えた。きっとこれも深追いしてはいけないことなのだろう。


「でもあまり気にすることは無いですニャ」


 薫とカガリがひそひそ声で話していると、カツが「どうかしたの?」と声を掛けて来る。


「また機会があればお話ししますニャ。それよりも今は薫さんと潤さんを労う時ですニャ」


「そうだな」


 カツは特に追求もせず引き下がってくれる。そのタイミングで太一が酒を運んで来た。量があるので全てトレイに乗せられていた。


「はーい、お待たせしました!」


 カガリとカツの前に器を置いてまたたび酒を注ぎ、薫と潤の前には冷えた缶ビールとグラスを置いてくれた。


「ありがとう。太一くん、あとで時間があったらでええんやけど、また少し話できへんかな」


 すると太一は猫たちが騒いでいる一角に目線をやった。


「ああ、あの猫たちが沈没したら大丈夫だと思うよ。それまで少し待っててくれる?」


「ああ。もちろんや」


「じゃああとでねー」


 その騒々しい一団から「おーい、またたび酒追加!」と注文が入ったので、太一は「はいはい〜」と応えながらカウンタに戻って行った。

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