9話 猫たちの宴

 使い終わった食器を片付け、薫と潤はカガリとカツに案内されて酒場に向かう。酒場はお食事処の道を挟んだほぼ正面にあった。お食事処に負けず劣らずの大きさの建物だ。


 そこも出入り口は開け放たれていて、中からは賑やかな声が漏れて来ている。この世界の騒音問題は大丈夫なのだろうかと薫はふと思う。だがこれがこの世界の日常なのだろう。


「こんばんは」


「こんばんはですニャ」


 酒場に入って行くカガリとカツに続いて中に入ると、少し薄暗い店内のあちらこちらに猫が転がっていた。「にゃふ〜ん」という声も聞こえて来てなんとも気持ち良さそうだ。


 そして一角では楽しげな話し声と笑い声が上がっている。まるで踊る様にゆらゆらと動いている猫もちらほらといた。酩酊というものか。


「いらっしゃい」


 そう言って迎えてくれたのは、カウンタの向こうに立つ人間だった。この世界に来て初めて見る、薫と潤以外の人間である。


「あ、人間だ。カツさんと一緒に来たってことは、話に聞いてたお食事処の助っ人さんかな?」


 長い金髪を襟足でひとつに縛った青年が笑顔で言う。薫と潤は「こんばんは」と小さく頭を下げた。


「こんばんは、お疲れさま。ゆっくりして行ってね」


 両耳にはいくつかピアスも付いていて派手な見た目の青年だが、とても人当たりが良い。薫と潤は「どうも」とすでに腰を下ろしているカガリとカツの近くにあぐらをかいた。


 青年がサラダボウルの様な器と瓶を手に、カウンタから出て来てこちらに来る。器をカガリとカツの前に置くと「2匹はまたたび酒で?」と聞く。


「うん」


「はいですニャ」


 カガリとカツが応えると、青年は「了解」とボトルを開けて中身をそれぞれの器に注いだ。


「良い香りですニャ」


 カガリが鼻をひくつかせると、カツも「そうだね」と嬉しそうに言う。


「あんたたちはどうする? 人間の酒は缶ビール、赤と白のワイン、焼酎、日本酒、ウイスキー、ウオッカがあるよ。割り物は水と炭酸と烏龍茶。少なくてごめんね」


「いやいや。じゃあ俺は缶ビールお願いします」


「僕も最初は缶ビールでお願いします」


「了解。ああ、そんなかしこまらなくて大丈夫だから。ラフに話してくれた方が俺も楽だしさ」


 青年はそう言って人懐っこい笑顔を浮かべる。なので薫と潤は「そりゃ俺らも助かるわ」「うん」と安心して言葉を崩した。


「うんうん。すぐに持って来るから待っててね」


 青年は満足げに頷いてまたカウンタに戻って行く。薫と潤はその背を「はー」と感心しながら見送った。


「なんやええ感じの兄ちゃんやな」


「そうだねぇ。多分僕たちより年下なんだろうけど、タメ語使われても全然嫌じゃ無いよねぇ」


「そうやな。それは得難い才能やで」


「そうなのですニャ?」


「そうだよ。こういうお店で店員さんをするのにぴったりだよねぇ」


「そうやな。見習いたいもんや」


「そう言っていただけて嬉しいですねぇ」


 絶妙なタイミングで薫たちの会話にするりと入って来たのは、はちわれ猫だった。


「ようこそお越しくださいました。私がここの店主でございます。サムと申します」


 サムと名乗ったはちわれ猫店主は丁寧な物腰で頭を下げた。


「サムさん、お邪魔してるよ」


「こんばんはですニャ」


「こんばんは」


「こんばんは」


 薫と潤もぺこりと頭を下げた。


「ご丁寧にありがとうございます。あの店員は私がお連れしたんですよ。とても良い子なんですよ」


「おう。ええ子なんやって解るで」


「ふふ」


 サムは嬉しそうに笑う。


「はーい、缶ビールお待たせ!」


「お、ありがとう」


「ありがと〜」


 青年が運んでくれた缶ビールとグラスを受け取る。缶ビールは薫も潤も人間世界で良く飲む馴染みのブランドのものだった。


「ごゆっくりどうぞ。サム店長もさぼってないで」


「ははは」


 サムはごまかす様に笑うと「ごゆっくり〜」と言い残してその場を去って行った。青年は半ば呆れた様に息を吐く。


「まったくもう。あ、騒がせてごめんな。ごゆっくり」


 青年もにこやかに去って言った。


「おもろいなぁ」


 薫が「くくっ」と笑うと、潤も「本当にねぇ」と楽しそうだ。


「じゃあ飲もか。働いた後のビール絶対に旨いで」


 缶ビールを手酌でグラスに注いだら。


「かんぱーい!」


 景気の良い声を上げ、薫と潤はカガリとカツの器に軽くグラスを当て、ふたりもグラスを重ね合わせた。


 カガリとカツは器のまたたび酒をぺろりと舐め、薫と潤はグラスのビールをぐいと煽った。爽快な炭酸がしゅわしゅわと喉を通り過ぎて行くのが、なんとも気持ちが良い。


「あー旨い!」


 薫も潤も「ぷはぁ!」と盛大に息を吐いた。身体に溜まった疲れが一気に抜けて行く様だ。


「本当に美味しい! お仕事の後のビールってなんでこんなに美味しいんだろうねぇ」


「本当だね。俺たちはまたたび酒だけどね」


「はいですニャ。とても美味しいですニャ」


「カガリも今日はお客への伝言ありがとうね。助かったよ」


「とんでも無いのですニャ。ここに来たばかりの薫さんと潤さんに大役をお任せしてしまって、むしろあんなことぐらいしかできなくて申し訳が無いのですニャ」


 カガリは言うと少ししょんぼりしてしまう。


「何言うてんねやカガリ。カガリが言うといてくれたから、お客さんらみんなすんなりと俺らを受け入れてくれたんやないか」


「そうだよ〜。じゃ無かったらいちいち説明しなきゃいけなくて、それは大変だっただろうしねぇ」


「そうだよカガリ。カガリがやってくれたから俺は店に専念できたからね」


 そう労られたカガリは嬉しそうにふわりと笑う。


「皆さまにそう言っていただけたら嬉しいですニャ。ありがとうございますニャ」


 にこにこするカガリに薫たちはほっこりする。今日は皆ができることを頑張った。そして無事に乗り切った。それで良いのだ。


 そして潤の缶ビールがあっという間に無くなった。


「お前相変わらず早いなぁ」


「1杯目っていっつもこうなんだよねぇ僕。喉も乾いてたのかな」


「ああ、ろくに水分も取らずに頑張ってくれたもんね。本当にありがとう」


「ううん、そんな気にならなかったから大丈夫だよ〜。すいませーん」


 潤が金髪の青年を呼ぶと「はいっ!」と元気な返事が帰って来た。


「焼酎の芋あるー?」


「芋焼酎? あるよ!」


「ロックで!」


「了解!」


 青年と潤には少しばかり距離があるので大声での応酬である。猫たちも騒いでいるのでこれぐらいで無ければ聞こえないだろう。


「ロックって氷だけで飲むのですニャ? 潤さんはもしかしてお酒お強いのですかニャ?」


「おう。こいつは強いで。うわばみや」


 薫が自分のことでも無いのに得意げに言うと、潤は「あはは」と照れた様な笑いを上げる。


「さすがにそこまでじゃ無いよぉ。でもお酒は大好き。毎日ってほどじゃ無いけど家でも飲むなぁ。ひとりでもお笑い番組とか見ながら飲むの楽しいよ」


 潤はそう言うが、薫のせりふはあながち間違いでは無い。少なくとも薫は潤がみっともなく酔っ払っているのを見たことが無い。


「俺も酒は好きやけど家では飲まんからなぁ。誰かと飲むんが楽しいわ」


「でもお風呂上がりのビールすっごく美味しく無い?」


「う、それは解る」


 薫が唸ると、カガリとカツは「へぇ」と感心した様に声を上げる。


「僕たち猫はお風呂とか入らないので、その気持ちが判らないのですニャ」


「そうだよね。俺たちは舌で毛づくろいするからね。水は怖いしね」


「猫又になっても水って怖いもんなん?」


「それはもう。本能だからね」


「ですニャ。祖先の猫が砂漠で生活していたのですニャ。なのでそれに適した毛並みになっているのですニャ。濡れたらとても乾きにくくて、すぐに乾かさなければ体温が下がって危険なのですニャ」


「ああ、そりゃ危ないな」


「もちろん水というかお風呂が平気な猫もいるよ。でも少ないねぇ」


「でも本能だったら仕方が無いよね。汚したりしない様に気を付けないとね」


「そうなのですニャ。死活問題なのですニャ」


 カガリが水浸しを想像したのかふるりと身体を震わせる。その時、青年がグラスを片手にやって来た。


「はーい、芋焼酎ロックお待たせ」


「ありがとう」


 笑顔で受け取る潤。青年も笑みを浮かべて頷く。


「ねぇ太一さん、太一さんも何か飲まない? 少し一緒に話そうよ」


 カツが誘うと、太一と呼ばれた少年は「お」と嬉しそうな顔をするが、「あーでも」とすぐに申し訳無さげに苦笑する。


「これでも一応仕事中なんで」


 すると、カウンタから店長であるサムの声が響く。


「太一さん、構わないよ。そこの飲み助どももすっかり沈没さ。しばらくは大丈夫うそうだよ」


 見ると、つい先ほどまで騒いでいた猫たちが屍の様になっていた。皆ごろんと床に横になって寝入っている。


「うわ、いつの間に」


 薫が言うと、太一は「あはは」と笑う。


「またたび酒は強いみたいでね。結構皆ここで潰れてそのまま寝てっちゃうんだ。まったく可愛いよねぇ」


 太一はそう言って相貌を崩す。この人も相当の猫好きなのだろう。


「でもそういうことなら少しお邪魔しようかな。飲み物持って来るね」


 そう言ってカウンタに戻った太一。飲み物を用意して持って来たのは烏龍茶だった。


「やっぱり仕事中は酒はあかんか?」


「ううん、サム店長はそんな固いこと言わないよ。俺下戸なんだ」


「こんな店手伝ってるのに?」


 意外だと言う様に潤が目をぱちくりさせる。


「そうなんだよ〜」


 太一はそう言ってからからと笑った。


「じゃああらためて乾杯しよか」


「うん。かんぱーい!」


 そうして皆は各々グラスを重ねた。

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