8話 カガリの後悔
突然泣き出したカガリに薫たちはぎょっとする。薫はスプーンを置いてはらはらと涙を流すカガリを胸に抱き上げた。あやす様に背中を優しくさする。
「どうしたんや、カガリ」
そう穏やかに言うと、カガリは「ひくっ」としゃくり上げる。薫の胸に顔を埋めて小さく震えた。
「カガリ」
また優しく言うと、カガリは「ぼ、僕は」とかすれる声を上げた。
「薫さんのお婆ちゃま、万智子お婆ちゃまともこうして一緒に猫まんまを食べたかったのですニャ。毎日ご飯を食べさせてくれるお礼をしたかったのですニャ。いつか、いつかこの世界に来て欲しかったのですニャ。でも怖がられたらどうしよう、気味悪がられたらどうしようってずるずるためらっていたのですニャ。そしたら、そしたら万智子お婆ちゃまは亡くなってしまったのですニャ」
「うん、そうか」
声を詰まらせながら必死に言うカガリの背に、薫は優しく触れた。
「僕はうっかり忘れていたのですニャ。人間さまの寿命は僕たち猫又とは違って短いのですニャ。次こそは、次こそはってそんなことを繰り返してしまったのですニャ。僕が万智子お婆ちゃまと出会った時には、もう万智子お婆ちゃまはご高齢でしたニャ。僕はもっと早く勇気を出さなきゃいけなかったのですニャ……」
「そうか、そうか」
ふるふると震えるカガリを薫はそっと撫でる。そして「そうやなぁ」と口を開く。
「俺もな、婆ちゃん死んでしもうた時は、もっと遊びに行ったれば良かったとか思うたもんや。婆ちゃんの家は母ちゃんが好きでな、落ち着く言うてなぁ。せやから弟ともできる限り遊びに行っとった。それでももっと行っとけばて思うたもんやわ。せやからカガリがそうやって後悔するんも解るつもりや」
「……はいですニャ」
「でもな、婆ちゃんはカガリが毎日来てくれて嬉しい言うとった。俺らができる限り遊びに行く言うても毎日や無い。毎週も難しい。前から願っとった田舎暮らしは叶うたけど、ひとり暮らしやったからやっぱり寂しい時もあったと思う。そんな時に毎日カガリが来てくれるんはほんまに嬉しかったんや。俺らがおる時にもカガリ来てくれたな。覚えとるか?」
「もちろんですニャ」
「婆ちゃんな、ほんまに楽しみにしとった。もうすぐ黒猫ちゃんが来る時間や、かりかり用意せな、今日はささみも茹でたろか、てな。で、カガリが飯食うとるのを見る婆ちゃんはほんまに嬉しそうやったわ。婆ちゃんのために悲しんでくれてありがとうな。カガリが毎日来てくれるだけで婆ちゃんには充分やったと思う。婆ちゃんを喜ばせてくれて、ほんまにありがとうな」
「ふぐ、はいですニャ……。僕も、僕も毎日万智子お婆ちゃまに会えるのが嬉しかったのですニャ」
「うん。ほんまにそれで充分やで。ありがとう。ほんまにありがとうな」
薫がカガリを撫でて労わると、カガリは心地よさげに静かに「にゃあ」と鳴いた。
ややあってようやく落ち着いたカガリを下ろしてやると、カガリは照れた様にそわそわと俯く。
「ご、ごめんなさいニャ。お恥ずかしいところをお見せしてしまいましたニャ」
「いや。婆ちゃんのことをそんなに思ててくれてほんまに嬉しいわ。でもそやからカガリは今日俺らをここに連れて来てくれたんか?」
「はいですニャ。万智子お婆ちゃまが亡くなってからも薫さんたちは時々お家に来られて、いつも僕にご飯をくれましたニャ。忘れないでいてくれたことがとても嬉しかったのですニャ。だからお礼をしたくて勇気を出したのですニャ。もう万智子お婆ちゃまの時の様な思いはしたく無かったのですニャ」
「そうか。ありがとうな。猫いっぱいで癒されるし、こうして話せてカガリの気持ちが知れたんは嬉しかったわ」
するとカガリはかすかに潤んだ目をきらきらと輝かせた。
「僕も薫さんとお話ができて嬉しいのですニャ! 潤さんは初めましてだったのですが、僕にも優しく接してくれましたのニャ」
「僕も猫好きだからね〜。猫好きにしてみたらこの世界は天国だよねぇ」
「せやな」
お食事処に詰め掛けていた猫いっぱいの景色は、猫好きにはたまらないだろう。薫は特別猫好きの自覚は無かったが、かなり癒された気はした。
「ここに世話しに来てくれる人間の人も皆そう言うよ。猫いっぱいで嬉しい、話せて楽しい、世話も楽しいって」
「俺も混ぜご飯、ここで言うたら猫まんまやな、作るん楽しかったわ。皆旨い旨い言うて食うてくれたしな。そんな機会もなかなか無いから新鮮やったし」
「そうだよねぇ。僕なんて普段ろくにお料理なんてしないのに、こんなことさせてもらえて楽しかったよ〜」
「これを機に潤も料理してみたらどうや」
「そうだねぇ。簡単なものから初めてみようかなぁ」
「潤さんそうなのですニャ? 猫まんまを作っている時、とても慣れた感じに見えましたニャ」
「混ぜるだけだったからねぇ。ねぎの小口切りなんてもう辿々しいのなんのって」
潤はおかしそうに「あはは」と笑う。
「そうやったな。でもあんまりやったこと無いにしたら上出来やったで」
「本当? 嬉しいなぁ」
「あの、ニャ、薫さん、潤さん」
「なんや?」
「なぁに?」
カガリは少し言いづらそうにもじもじしながらも口を開いた。
「あの、良かったらなのですが、今日はここに泊まってもらって、明日もお食事処を手伝ってもらえないですかニャ?」
その言葉にカツも「そりゃあ良い」と口角を上げる。
「いつもの人間の人、今日は病気で呼べなかったんだけど、明日どうなってるか判らないもんね。治ってたとしても病み上がりだから、夢でも無理して欲しく無いし。もし薫さんと潤さんが良ければ、そうしてもらえたら俺も助かるよ」
薫と潤は顔を見合わせ、どちらともなく「まぁ」「うん」と頷き合う。
「俺は今日そもそも婆ちゃん家に泊まるつもりやったから構わへんで」
「僕も大丈夫だよ〜」
「潤、お前試験勉強は」
「大丈夫大丈夫〜。後で追い込んだらどうにでもなるなる〜」
潤はそうあっけらかんと言った。なんとも呑気なものだ。
「ありがとうございますニャ! 明日になればお世話をしてくれている人間さまたちも来られますニャ」
「ああ、ちょっと話聞いてみたいもんやな」
「ね」
「寝てもらう場所は猫神さまのところね。隣に人間の人が泊まれる離れがあるから。さっき行った時に声掛けた猫がいるでしょ、灰とらの。あの猫がいつも玄関のところにいるから声を掛けてもらったら良いよ」
「あ、僕お見送りしますニャ」
「お、頼むわ」
「さ、猫まんま食べちゃおう。そしてそうだなぁ、ちょっとだけ酒場に顔を出すか」
「そうしましょうニャ」
「酒場にはまたたび酒だけじゃ無くて、人間の人が飲めるお酒も少しだけどあるから。いつもここの営業が終わったら、料理してくれる人間の人と少しだけ飲みに行くんだよ」
「へぇ、そりゃ楽しみや」
薫は言って、混ぜご飯を口に放り込んだ。
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