10話 夢のかけら

 やっと座れた〜なんて言いながら、太一はこくりと烏龍茶を傾けた。


「太一くん、でええんやんな?」


「うん。川崎太一。あらためてよろしくね」


「よろしゅう。俺は戸塚薫や」


「僕は真島潤。よろしくね〜」


「戸塚さんと真島さんは、今日初めてここに?」


「そうや。家におった時にカガリに付いて来い言われてる気がしてな。潤とふたりして林をくぐったらこの世界やったわ」


 すると太一は「へぇ?」と驚いた様な表情を浮かべる。


「俺とは違うなぁ。俺って言うか他の人とも多分違う」


「そうなの?」


「うん。だってこれは夢だからね。俺も他の人も普通に寝て、この世界の夢を見て、あー楽しかったって起きる。毎日じゃないけどね。見れた日は今日は良いことありそうって思うし、前の日の疲れとかストレスとかが抜けてる気がするんだ」


「ふぅん、なんか違いがあるんかなぁ、カガリ、どうや?」


 カガリに訊くと、カガリは小首を傾げて「どうでしょうかニャ」とはぐらかす様に言った。


「あ、こいつごまかす気や」


「気になるなぁ」


 潤も言うと、カガリは「それよりもニャ」と話を変えようとする。本当に言うつもりは無い様だ。ならとりあえずは追求しないでおこうか。


「太一さんも凄いのですニャ。音楽をされているのですニャ」


 カガリが興奮した様に言う。


「音楽? バンドかなんかか?」


「あはは、こんな見た目だからそう思うよね。でも実際そうなんだ。バンドやってるんだよ。バイトしながらね。だから職業はって聞かれるとフリーターになるのかな。戸塚さんと真島さんは?」


「俺は普通のサラリーマンや。食品会社に勤めとる」


「僕もサラリーマンだよ」


「そっかぁ。やっぱり堅実な仕事に就くのが親孝行なんだろうなぁ」


「んー、俺はそんなん特に考えたことはなかったけどな。大学ん時に就活して内定もろてって流れやし。そん時にやりたいことがあったらまた違ったかも知れんけど」


 特に何かになりたいわけでは無かった薫は、通り一遍の流れに乗ったのだ。それはもちろん悪いことでは無い。大勢の人が選ぶ道だ。


「そうだねぇ。僕は資格を取るために安定した仕事に就いたって感じだね。資格試験受けるのにお金掛かるしねぇ」


「でも戸塚さん今日お食事処でご飯作って大好評だったんでしょう? お客さん皆言ってたよ、今日の猫まんまは特に旨かったって」


「はは。そう言うてもらえるんは嬉しいなぁ。まぁ料理は趣味やな。仕事で食品扱うから興味が出て来たっちゅうか。実家におるから休みの日に作ったりしとる。片付けまでセットでな。せやから親は助かる言うてくれるわ」


「そういうのも親孝行だよね。俺は親不孝だからさ」


「何かあったの?」


 潤が尋ねると太一は「はは」と苦笑いを浮かべた。


「バンドは高校の時から続けてて、大学でも続けて。最初はコピーバンドだったんだけど、オリジナルも作る様になって。ライブとかやるとその手の人に「良かったよ」なんて声を掛けられることもあって。スカウトのために業界の人が来てたりするんだよ。最近だったらウェブで配信もしてるんだけど、それでたくさん見てもらえたりいいねとかコメントが付いたりね。そうなると欲が出て来ちゃってさ。もしかしたらプロになれるんじゃないか、なんて。だからメンバーとできるところまで頑張ってみようって相談して。オーディションとか受けたりね。バンド中心の生活にするために、就職せずにバイトするって言ったら親に怒られちゃってさ。「そんな馬鹿みたいなことやってないでちゃんとしなさい」って。でも俺らも真剣にやってたから、馬鹿みたいなことって言われちゃ黙ってられなくて。だったら家出て行けって言われたから今ひとり暮らし。ベタでしょ」


 確かにプロを目指すバンドマンとしてはありきたりな流れなのかも知れないが。


「そうなんだぁ。そういうのを聞くと、僕なんかは凄いなぁって思っちゃうけどなぁ」


「俺もそう思う。夢持って頑張っとるって凄いやんか」


 それは薫の本心だった。恐らく潤もそうだろう。感心している様な笑顔が浮かんでいる。


「そう言ってくれたら本当に救われるよ。親のことは気に掛かってる。でも俺は後悔とかしてないんだ。就職して趣味でバンド続けるって道もあったかも知れない。でも俺はこれを奇跡だって思ってて」


「奇跡?」


「そう。俺はドラムなんだけど、作詞はボーカルで作曲はギターのやつがやってるんだ。このふたりの音楽性っていうのが合ってて、俺はそのふたりが作る曲がいつも好きなんだよ。だから奇跡。長いことバンドやってたら横のつながりも結構あって、音楽性は合うのに仲が悪くて雰囲気険悪とか、仲良かったはずなのに音楽性が違って仲違いして解散とか。そんなのいくつも見て来たからね。うちは仲が良くで、でもなぁなぁじゃなくて、音楽性も同じ。だから長いことメンバーも変わらずにやれてる。これって奇跡だなって思うんだ。これは俺個人の考えなんだけど、そんな奇跡を趣味で終わらせるなんてもったいないってね。皆と進めるところまで行きたいって思ったんだ。どうなるか判らないけど、まだまだ諦めてたまるかーってね」


 太一はきらきらした顔で言うと、にかっと笑う。それは薫にはとても眩しく見えた。今の自分には何があるのだろうか。ふとそんなことを思ってしまう。


「もちろん良いことばかりじゃないよ。仲が良くても喧嘩が無いわけじゃ無いしね。バイトだってなかなか大変。金は常に無くて主食は特売の米ともやしだし。卵があれば贅沢なんだ。だからここでこうして猫と一緒に入れるのが1番の癒し。実家では猫飼ってたんだけど、今はそんな余裕無いからさ。動物って飼うには時間も金も要るからね」


「確かにそうやな」


 カガリは祖母の家に餌をもらいに来ていただけだから餌代だけで済んでいたが、飼うとなるとトイレ関係やらゲージやらおもちゃやら、いろいろと掛かって来てしまう。


 病気になれば人間と違って医療費は高くなってしまうし、でも診てもらわないわけには行かない。そして何より最期まで面倒を見る責任が生じるのだ。それらは動物を飼う最低限である。


「好きなことがあるなら突き詰めたいって、そんな格好付けるわけじゃ無いけど、やっぱり後悔はしたくないからさ。今できることをしてるって感じかな」


 太一は明るく言うが、夢を求めるというのは、踏ん張るというのは、やはり大変なことなのだろうと薫は思う。


 幼いころには作文などで「将来の夢」なんてテーマでパイロットになりたいなんて書いたかも知れない。けど堅実と言える人生を送って来た今、薫の中には何が生まれて何が残されたのか。


 空っぽとまでは言わない。だが今の薫は何を持っているのだろうか。料理は確かに好きで趣味と言えるものではあるが。


 猫たちに「美味しい」と言ってもらえたことは本当に嬉しかった。胸が熱くなった。だがまだまだ形がまとまらなかった。


「お、兄ちゃんたちじゃ無いか」


 薫がもやもやしていると、そう言いながらのそりとやって来たのはヤシだった。お食事処でもまたたび酒を飲んでいたヤシは、薫たちが酒場に来た時にはすでに酔い潰れていた。酒は抜けたのだろうか。声は平気そうだが。


「ヤシさん。目が覚めたか。迎え酒行くか?」


 太一が聞くと「聞くまでも無いだろう」とにかっと笑う。


「新しい器用意するね。ちょっと待ってて」


 太一は立ち上がるとカウンタに向かう。ヤシは薫の横にどかっと腰を下ろして薫を見上げた。


「どうした兄ちゃん、浮かない顔をしてるな」


「……いや、なんもあれへん。大丈夫や」


「そうか? 慣れない場所で疲れたんじゃ無いか? 無理するんじゃ無いぞ」


「おう。ありがとうな」


 薫はヤシの気遣いに感謝する。心優しい猫なのだ。薫も少しぼんやりしてしまっていたのかも知れない。気を引き締めるためにも薫はにっと笑顔を浮かべた。ヤシは「そうそう」と満足げに頷く。


「そうやって笑ってたら良いこともあるってもんだ」


「それよりヤシさん、いくら猫又だからって飲み過ぎは良く無いんじゃ無ぁい?」


 潤の心配をヤシは「はっはっはっ」と笑い飛ばす。


「俺ら猫又は病気知らずだから大丈夫だ。ありがとうな。お、来た来た」


 太一が新しい器とまたたび酒のボトルを手にやって来る。器をヤシの前に置いてまたたび酒を注いでやった。


「はい、ヤシさんお待たせ。カツさんとカガリくんのも追加しとくか?」


「あ、頼もうかな」


「僕もお願いしますニャ」


 太一はカガリとカツの器にまたたび酒を足した。


「さてと、ヤシさんが起きて来たってことはまた忙しくなるかな。俺カウンタに戻るね。戸塚さん真島さん、また話す機会があったらよろしくね」


「おう。ありがとうな」


「ありがとうね〜」


「こちらこそありがとうね」


 そうして太一はまたたび酒のボトル片手にカウンタに戻って行った。その頃には他の猫もぼちぼちと起き出していて「またたび酒お代わり」なんて声が上がり始めていた。


「兄ちゃんたち、太一の兄ちゃんと話はできたか?」


「おう。いろいろええ話聞かせてもろたわ。凄い頑張ってはんねんなって」


「ね。プロ目指して真剣にバンドやってるんだよね」


「俺とカガリは知ってたけど、話を聞くたびに感心するもんなぁ」


「ですニャ。凄いことだと思うのですニャ」


 そう。凄いことなのだ。そうだ、それを薫は羨ましいと思ったのだ。


 特に夢や目標も無く過ごす毎日。その平凡は確かに大切なものだろう。それすらもできない人だってこの世界にはごまんといる。


 これまで周りに具体的な夢を持って動いている人がいなかったこともあるだろう。だから太一の表情は薫にとってとても尊いものに思えたのだ。


 薫の中でひとつの焦りが生まれていた。自分はこのままで良いのだろうか。何か、何かを目指してみたい。そう思い始めていた。

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