君と明日を迎えたい

デトロイトのボブ

第1話

 01



「今日もまた私はひとりぼっち、……いつになったら死ねるのかしら」



 右手で握り潰された怪物を燃やしながら、私はふと独り言を零す。私はもうかれこれ、三百年以上生きている。好奇心で人ならざる者と契約をしてしまった私は人間性を失う代わりに血を飲まないと死んでしまう吸血鬼になった。


 吸血鬼になってしまった私は好きな人といっしょに歳を取ることも出来なくなり、人間を襲うことしかできない怪物の仲間入りをした。彼らと同じ化け物になった私は生きるために魑魅魍魎共の喉笛を掻っ切って、必死に地べたに這いずりながら血を飲んだ。

 怪物を襲うよりも、人間を襲ってしまえば簡単に血が飲めるのに同族に嫌味を言われたこともある。でも、それをしてしまえばもう二度と人としての道を歩めない気がした。



 怪物の血を啜りながら生きてきた私はいつしか、触れた者を燃やす「深紅の姫君」と呼ばれるようになっていた。深紅の姫君の血を飲めば不死身になると誰が噂をしたのか私を殺そうと、怪物を殺すことを生業としている人間たちに追われる身になった。怪物に襲われている人間を助けてあげているのに何故、こんな目に遭わなければいけないのか。必死に必死に抵抗をせずに殺されているのに人間たちは私の体から血を抜くことを辞めなかった。



 私から血を奪い去っていった人間は私と同じように不死身になったかと思えばそうでもない。皆、私の血を飲んだあと体が勢いよく燃えたらしい。情けない悲鳴を上げながら、私が知らないところで野垂れ死んだ。ああ、なんて惨めなのだろう、誰かを助けるためだと言いながら結局は自分の欲を優先したのか。私が必死に守ろうとした人の道は無駄だったんだと気付かされた。


 彼らに裏切られてからは醜い怪物共と同じように飽きもしないで襲ってくる人間を殺した。何度も何度も人間の体を燃やしていき、塵にさせていく。私の体は既に人の血に塗れていた。


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 どんな怪我を負っても数秒で治る不死性を持っていた私に物理ではなく、精神面でダメージを負わせる人間が二千年代になってようやく現れた。ソイツは私に「人を助けなければ死ぬ」という呪いをかけてきた。



「君は生きていた時代が悪かった。今、何不自由なく暮らせるこの現代では君を拒む者はいないさ」



 男は悪意がなく、穏やかな表情で私を見ていた。それから、呪いを解除する方法を考えながら私は人助けを始めた。初めは嫌で嫌で仕方なかった。だけど私を怖がらない女の子や私を好きになってくれる人たちが次第に集まってくるようになってきたことで、私は人を愛してもいいんじゃないかと思うようになっていた。吸血鬼の私のことを怖がらずにちゃんと向き合おうとしてくれる人々はこれが初めてだった。呪いの影響なのか、私はもっと人間と過ごしたいと考えた、だが化け物の私を心から受け入れてくれる人たちは私のように長く生きられない。正体を知ってもなお、愛を誓ってくれた人、親友になってくれた女の子はもう二度と現れない。あの呪いを授けた人間は私になにをして欲しかったのだろうか。これでは死んだ方がマシだ。



  02



 私はあの人間に呪いをかけられてから、壊れた人形のように人助けを二千二十年になってもずっと続けていた。一度、人を助けることを辞めて死ぬことも考えたが、私に助けられた人たちの顔が思い浮かぶせいで自殺は出来なかった。



「眠らない街、東京。怪物たちにとっては絶好のチャンスね」



 高層ビルの屋上から今日の獲物を探していると、一人の少女が目に入る。吸血鬼になってから、隣の県境にある街まで見える視力があるおかげで、私はこれまで獲物を逃がすことは無かった。

 人通りが無い場所は怪物たちにとっては良い狩り場でしかない、殺してしまえば簡単に猟奇犯のせいにできるからだ。でも私の目に入る範囲内では絶対に死なせるわけにはいかない、だから今日も人助けをしなくては。




「この時間に女子高生?」



 繁華街の裏通りに一人の女子高生が、怪物たちから逃げているのが見えた。一、二、三匹の怪物に追われているなんて運が悪い人間だ。私は人の目につかないように高層ビルからビルへと乗り移り、少女の元へ向かう。私が追いつくまでに生きていればいいんだけど……私が辿り着くと、既に女の子は退路を塞がれていた。人間の女の子を好んで食べそうな気色の悪い怪物たちが、獲物を前にして舌なめずりをしていた。




「誰の許可を取って人間を食べようとしているの?」



 三つ目の怪物は私を見た瞬間、真っ先に逃げ出したが他の化け物たちは私を前にしても逃げずにいた。殺意を剥き出しに私を見て睨んでいるが、痛くも痒くもなかった。所詮、彼らを塵以下の存在と思っている以上、いつものように私に向けられた殺意を無に返す。私に触れられた怪物は徐々に意志を持ち始めた炎によって体ごと丸飲みされていく。その光景はまるで肉食動物に捕食されている草食動物に見えた。私を見て叫んではいるが、何も聞こえない。



「……大丈夫だった?」




 煌びやかに燃えていく化け物を見て、女の子は尻もちをついていた。無理はない、人間が異質な存在の彼らを見たら何も言えなくなるのは分かりきっている。だけど違った。


「はい、ありがとうございます。あの……お強いんですね」



「これからは明るい道に行きなさいね、今日みたいにあんな奴らに襲われるかもしれないから」



 彼女とずっと一緒にいたら、昔の嫌なことを思い出すかもしれない。そう考えた私は立ち去ろうとするが、何故か後ろから引っ張られた。




「あの、もし良かったら……私の家に来ませんか?」


 私を見る彼女の目は優しさに満ち溢れていた。




  03





 私が吸血鬼ということを話しても、柊木葵という女の子は動じなかった。吸血鬼というと、血を飲むことが好きで十字架やニンニクが嫌いという何百年も語り尽くした質問を一切せずに「私」という個人に関して聞いてきた。彼女の部屋に案内された私はどういう反応していいかわからずに借りてきた猫のような状態になっていた。




「アリスさん、アリスさんはなにか食べたいものはありますか?」




 柊木葵は怪物に襲われたあとなのにエプロンをつけて、私に手料理を振舞おうとしてくれていた。ニコニコと笑ってはいるものの、少しぎこちない。



「私、食べなくても死なないもの。別に大丈夫よ」




 人が作った食べ物は吸血鬼になってから三百年間、何も食べていなかった。怪物の喉笛を掻っ切って、血を飲んでしまえば腹は膨れる。味なんてものは存在しない、本当は肉や魚を食べたいけど食べてしまえばまた人間に戻りたくなってしまう。だから私は彼女の提案を丁重にお断りする。




「私、誰かにお礼をしないと気が済まないタイプなんですよ。だから嫌だと言われても作っちゃいます」



 そうやって、柊木は私に構わず料理を作り始める。ゴムで結ばれた髪を揺らしながら、鼻歌を歌っている様は本当に楽しそうだった。私は何を考えてしまったのか、彼女に親はいないのかと聞いた。



「いませんよ。私が幼いころに死んじゃいましたから」




 やっぱり、そうだ。本当は泣きたいはずなのに他人に涙を見せずに作り笑いを浮かべ、悲しみを無理やり抑える。私はキッチンに立っていた柊木葵を抱きしめる。この子はこのまま一人でいたらきっと死んでしまう、私が守ってあげないといけない気がする。



「ア、アリスさん?」




「……いいの、そのままにして。私はこれから柊木さんの家に暮らしたいと思っているのだけどダメかしら?」



「いいですけど……私なんかといてもつまらないですよ?」



 彼女の体から死の香りが臭ってくる。……きっとさっきのヤツらが呪いでもかけたのだろう、心まで醜い奴らだ。私は彼女と違って人より長く生きる、でも呪いのせいで最期まで人間の生き様を見ないと気が済まなくなった。まだ若い柊木という少女が老いずに死ぬなんてことは絶対にあってはならないことだ。だから私は呪いの解呪方法について調べることにした。



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 柊木さんと生活を共にして約三ヶ月、彼女は徐々に死の呪いに侵されてきた。体の表面には現れてはいないが、魂は既にボロボロだった。いずれ体にも現れてしまえば、もう抗うことはできない。これから彼女が死ぬことを想定するなんて、なんて嫌な女なのだろう。三ヶ月経った今も呪いを解く方法はわからない。




「アリスさんの料理食べてみたいなぁ……」


 


 私と生活をするようになってから、柊木さんは出会った当初みたいなぎこちない笑い方はしなくなっていた。好きなテレビを見て笑ったり、美味しいご飯を食べたりなど人と暮らすことが久しぶりな私はつい、この短い生活を楽しんでいた。

 死の呪いに侵されているのを知らずに普通の女の子のように明るく可愛らしいような笑顔を私に振りまいてくれている。私はその姿を見ているだけで心が穏やかになっていた。彼女には呪いのことを言わない方がいい、きっと混乱してしまうはずだから。




「私、三百年料理なんてしてないのよ。絶対不味いに決まってる」




「大丈夫です。私が一から料理を教えるんでそんな暗い顔をしないでください」



 柊木さんはごく当たり前のように私の手を取った。私は彼女の手を早く払おうとしたが、炎は発生しなかった。



「あ、れ? 炎が出ない……」




「どうかしたんですか?」



「ううん、何でもない。それより早く家に帰ってケーキでも食べましょう」


 私は彼女が火に包まれている姿を想像してしまい、つい吐きそうになってしまう。良かった、本当に良かった……柊木さんは私が顔色が悪いのに気がつくと、近くにあったベンチに私を座らせた。いっしょに暮らしていても、自分を優先しないでいつも私に優しくしてくれる。嘘偽りないのはわかっていても、人に優しくされるのは久しぶりだったせいで私は思わず泣いてしまった。


 泣いている私を見た柊木さんは、まるで母親のような温かさを私に触れさせた。人を傷つけることのない彼女の細い手、透き通った白い肌、ぱっちりとした大きな目。死の呪いのせいで消えてしまうにはもったいないぐらい柊木葵は私にとって守らなくてはいけない存在になりかけていた。私は彼女になにかしてあげられることはないだろうか。




「ごめんね、ちょっと疲れちゃったみたい」





「……いいんですよ、泣いても。誰だって疲れてしまうことはあるんですから」





「どうして柊木さんはこんな化け物にも優しいの?」




「幼いころに亡くなったお父さんが言っていたんです。いつかお前の元にひねくれた寂しがり屋の女の子がやってくる、その時は優しく抱きしめてあげなさいと。……アリスさんのことだったんですね」



 柊木さんは私を強く抱きしめる。もう大丈夫です、私はずっと貴方の傍にいてあげますからと優しく囁いた。……その言葉は何回も聞いているのにどうしてなのか、安心してしまう自分がいた。




「そのお父さんってどんな人?」




 柊木さんは嬉しそうにしながら、スマートフォンに写っている父親を見せてきた。



「えっ……」



 液晶に写っていたのは私に「人を助けないと死ぬ」という呪いをかけた男だった。




  04



 柊木和也は優しい父親だったと彼女は話す。そう、確かに私に呪いをかけた男は見た目に似合わず優しい男だった。



「呪いで苦しんでいる娘のために君の血を分けてくれないか?」



 私は自分の血を飲んでしまった人間がどうなるかを知っている。だから私は断ったが、なにを考えたのか彼は……自分の命を削って私に呪いをかけた。最初のうちは何故、私にこんな酷い呪いをかけたのかと恨んだが自分を理解してくれる沢山の人と出会ったおかげで人間を好きになることができた。でも好きになった分、多くの人間の死をこの目で見てきた。人間は欲にまみれた顔を堂々と他人に見せつける醜い怪物だと思っていたが、それは私の勘違いだ。全ての人が醜いわけではない、私のような化け物でも人として丁重に扱ってくれる人間は少なからず存在した。




 今更、柊木和也の呪いによって勘違いに気づくとは思いもしなかった。私に気づかせるために敢えて自分の命を削るなんてバカげた男だ……部屋に戻った私は彼女に真実を告げる決心をする。真実を告げたあとは彼女に殺してもらおう、それが私が行う罪の清算だ。



「葵、ちょっと今大丈夫かしら」




 自室に戻った葵に声をかける。反応はない、二回目、三回目とノックはしたが一切反応が無かった。



「葵!?」



 急いで扉を開けると、葵は部屋の中で倒れていた。体には黒い痣が浮かんでいるのが目に見えた。まだ早いと思っていたのに……



「あ、アリス……」



 私が慌てている間にも黒い痣は侵攻を辞めなかった。このままいけば心臓にまで達してしまう、一体どうしたら……

 ふと私の脳にある考えが思い浮かぶ。私の血を飲めばどんな病でも治ると噂があった、でもそれはただの嘘で血を飲んだら体が燃えてしまう。でも、方法はこれしか存在しない。……私はこれ以上、誰かを死なせたくない。人を大量に殺した私が言える立場じゃないかもしれないが、私は自分を受け入れてくれた人を亡くすのは嫌だ。




「葵、私は貴方の父親を……」




 殺してしまったと言う前に葵は私の口に手を添えた。わかっていたと小声で話す。赤く潤っていた唇は徐々に薄くなっていき、光に満ち溢れていた目は暗くなりかけていた。私はキッチンにあったナイフで自分の手を切り、彼女の口に血を注ぎこむ。




「……伝承は本当だったのね」




 私の血を飲んだ葵の体から黒い痣が消え始めていた。体は炎に包まれずに、中に存在している呪いを燃やしたということか。



 「アリス……さん」




 顔に生気が戻った葵は体を起こして、周囲を見渡した。私は彼女がさっき抱きしめてくれたように、今度は自分が抱きしめた。


 「私は貴方の大事な人を殺してしまった……」




 「……父は私の元に必ずアリスさんが来ることをわかっていたみたいです、本当馬鹿な人ですよ、本当に」



 柊木和也が不老不死の人間の血には病を治すことができるということをどこで知ったのかはわからない。でも葵が幸せそうなら別に知らなくても構わない、彼女は私に優しさをくれた。今度は私が返していく番だ。




 「私に真実を告げたあと、どうするつもりだったんですか」


 葵はずっと私が来るまで一人だった、一人で生活をするのはどんなに寂しいことなのか私自身よく知っている。だからこそ、私は葵を二度と一人ぼっちにはさせない。彼女が私と共にいる姿はとても自然体だ、自惚れだと言われてもいい。私は葵と一緒に人生を過ごしていきたいと思うようになっていた。


 「もし、時間があったら言うわよ。絶対にね」




 君と明日を迎えるためにも私は今日も人を救う、それが私の罪の清算なのだから。

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