働く私と彼女の同棲
野水はた
1章
第1話 大人と子供
「
第一声は母親のものだった。
黒い服で身を包んでいて、つくづく大人というものは黒が好きだなと目を配らせる。きっとなにものにも染まらずに、汚れることもないからだろう。
不満をあらわにする私を見て、母親も困ったようにしわを伸ばした。
「お母さんも亡くなっちゃって、一人になった澄玲ちゃんは身寄りが預かるしかないでしょう?」
線香の香りもまだ新しい。一通りの行程を終えた火葬式は、あとは親戚を集めた夜食会だけとなった。人が死んだのに会合を楽しむのは、命の軽薄さを表している気がした。命の価値というものにはムラがあるのだろう。なかには久しぶりに会えたことを喜ぶ人もいたくらいだ。それくらい、他人の生き死に興味などないのだ。
私も正直のところどうだってよかった。会ったことはあるらしいけど、記憶にはないし。澄玲という女の子のことも、今日まで名前しか知らなかったのだ。ぼろぼろに砕けた骨に、同情は難しい。
「一人って・・・・・・お父さんは?」
「そんなの、あんただって分かるでしょ」
口先が小さく動く。刑務所だとか、服役だとか、不穏な単語が聞こえて自分の発言を悔やんだ。藪は突かないほうがいい。蛇は嫌いだ。
「私一人暮らしだし、誰かを養う余裕なんてないんだけど」
「そんなこと言ったってしょうがないでしょ。澄玲ちゃんはまだ、子供なんだから。誰かが助けてあげないと」
部屋の隅でひとり小さく座っている澄玲は、若干ダボダボの制服を着ている。確か高校生と言ったか。高校生は、子供なのか・・・・・・。
自分でバイトもできる。金も稼げる。電車の乗り方も知っているし、行き先を選ぶ権利も持っているのに、誰かに甘えなければ生きていけない。ひどく不安定な存在であることは確かなのかもしれない。
「他の誰かにお願いしてよ。八王子のおじさんなんて、いくらでも金持ってるでしょ。早稲田のおばちゃんだってあんな広い家に住んでるんだし、本間さんだって子供が欲しいって――」
「
射貫くような声色に、私の口は止まってしまう。というよりも、止められたのか。そういうのばかりだ、大人は。
「分かるでしょ」
「・・・・・・・・・・・・」
分かるものか。理解などできるものか。ただ無理やり、納得させているだけじゃないか。
母親の背後にいる親族は、揃って私を見ていた。腫れ物を押しつけようとしているのは明らかで、その標的が私だということは全員の同意のようだった。
どうして私なのだろう。世の中の経験も少なければ自分以外の誰かのために生きたこともないのに、これだけの大人の中からどうして私を選ぶのだろう。
母親も、なにか言ったらいいのに。うちの子なんて誰かを養えるほどできた人間じゃありません、とかなんとか。
昔からそうだ。柔らかいようで薄っぺらい笑顔を浮かべて、誰かに反発したことなど一度もない。波に揺れて逆らわないクラゲのようだ。透明で、スカスカの。
「やだ」
なら、そんな母親の元で育った私だってスカスカのはずだ。クラゲからはクラゲしか生まれない。冷たい海で、完全に冷え切った私は熱を持たない。
「私にだって私の生活があるし、仕事でいない日もある。アパートの大家さんにだって話をつけなくちゃいけないし、そもそも元の家はどうなの? 澄玲が暮らしている家は?」
「ばかね、澄玲ちゃんもアパート暮らしでしょ? もうすでに今月での立ち退きは決まっているわ。安心して、荷物はおばあちゃんの家に置いていいことになってるから」
「いや、荷物とかどうだってよくて」
「じゃあいいじゃない」
こちらの話が、一ミリたりとも通らない。網戸のように清涼な風を運ばない、完全に締め切った窓は淀んだ空気を宿すだけだ。
いつもいつも。
大人ってやつはよく分からない意地と理屈をつけてくる。相手の話なんて最初から聞く気などないように決まったことを押し通そうとする。柔軟性にかけたそれは、凝り固まったように剥がれない。
それこそ、大人の証なのだろうか。
それなら私は、まだ大人じゃない。澄玲と同じ、子供だ。
自分のことで精一杯。発展途上の肉体と精神は誰かのためになんてありはしない。
「茉莉、これは仕方ない事なのよ。分かるでしょ?」
渇いてひび割れた手が、私の肩に置かれる。
諦めたような、何かを手放したようなそんな表情で、私を覗き込む。
「あんたももう、大人なんだから」
・・・・・・・・・・・・大人ってなんなんだろう。
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