5-2 構築完了
「なんだか、物足りない感じがするなあ……」
中座敷に正座して、由希さんがつぶやいている。
「いつもここに布団が敷いてあったわけだし……」
「親父が動き回ってたわけでもないのに、静かに感じますね」
「まったく、静かになっちゃったね」
「おおい、とりあえず食べないか」
背中に声が飛んできた。
下座敷に長台が用意され、食事が並んでいた。
彩香さんと健作さん、私と由希さん、秀信さんと花乃、六人で夕食をとることになった。花乃は最初、「別の部屋でいい」と言ったのだが、夏見夫妻が敵意を見せなかった影響もあってか、同席してくれた。
「これからしばらくが大変だねえ」
口火を切ったのは健作さんだ。
台の上には、魚料理を中心にしたオードブルが並んでいる。
「仲良くしている税理士がいるから、必要なら言ってくれ。頼んであげるよ」
「ええ、必要ができたら」
数字が絡むことは面倒だ。早いうちに片づけてしまいたい。
「最後、ちゃんと竜吾君の名前呼んでくれたんだってね、兄さん」
「はい、はっきり呼んでくれました」
「どうだった?」
「すごく嬉しかったです。これまで、ぼくなんて親父の眼中にまったく入ってないと思ってました。いないも同然だって。それでも、目を見て名前を言ってもらえるとこんなに嬉しいんだなって」
「よかったなあ竜吾君。あたしゃ何もできなんで、もう情けないやら何やらで……」
「別に秀信さんが気に病むことじゃないわ。兄さんにも来るべき時が来たってだけ」
「そうですよ。もう過ぎたことです……って、ぼくもすぐ割り切れるかは微妙ですけど」
笑い声もなく、淡々と食事は進んでいった。
父は厄介者でもあったけれど、いなくなって清々する、と言われるほどの人間ではなかった。
私の胸に広がった空虚が、それを証明している。
誰も父の悪口を言わないところもまた、その証左と言えた。
「……それじゃ、あたしらはもう帰るわね。みんな、元気出さなきゃ駄目よ」
「色々とありがとうございました」
立ち上がった彩香さんと健作さんに、私は頭を下げた。
「またそのうち来させてもらうよ。すぐには無理かもしれないが、何事も前向きに行こうじゃないか、ね」
「努力します」
遠ざかっていく車のエンジン音に、私は一抹の寂しさを覚えた。
秋らしく冷たい夜だった。夜気はいつになくひんやりと、頬にこたえる。
今夜はとても、一人では眠れそうにない。
……由希さんと一緒に寝よう。
この人の母性に包まれて眠りたい。そんな、子供のようなことを思った。
「あっしも、今夜はもう寝させてください」
くたびれたように言って、秀信さんも席を離れた。
「わかりました、おやすみなさい」
座敷を出ていく秀信さんが、いつもよりさらに小さく見えた。ずっと同じ空間で暮らしてきた相手がいなくなったのだ。こたえるものも大きかったに違いない。
座敷は、私と由希さんと花乃の三人だけになった。
すぐには、誰も話し出さなかった。
虫のすだきは遠く、沈黙も深かった。
もはや、父に訊けることは何一つない。
高明がどうして死んだかを、父は本当に知っていたのか。
清吾の誘拐について、本当に片山刑事以上のことは知らないのか。
本当はもっと話すべきだった。
いや、この表現は的確ではない。
私は父と、もっと話したかったのだ。
避けるか怒鳴るかしかできない自分に嫌悪感があった。私はその感情を無視し続けていた。それではいけなかったのだ。正面から、きっちりと親子の対話をするべきだった。
もう、すべてが手遅れだ。
日守の名を持っているのは、私だけになってしまった。
「あの……」
小さな声で、花乃が言った。
同時に、きし、きし、きし……と音が近づいてくる。
「二人が、来ました」
私は花乃の顔を見た。由希さんの動きも同じだった。
花乃の顔が、縁側に向いていた。
「そこに座ったのか?」
「はい。並んで……たぶん、月を見ているんだと思います。足をぶらぶらさせて」
ああ、清吾がよくやっていた癖だ。
縁側で足を垂らすと、地面に届かない。だから清吾は、いつも足を振っていた。リズムを取りながら、飽きもせずずっとぶらぶらさせていた。
それを、今そこでやっているのか。
なぜ私には見ることが叶わないのだろう。
こんなにも会いたくて仕方がないというのに。
「いい月夜だもんねえ。二人にお刺身分けてあげようか?」
「由希さん、仏様に
「仏様、ねえ……」
「まあ、なんて呼べばいいのか微妙なところですけど」
「あ、向こうに行きます。走り出した……追いかけっこかな」
「清吾がやりそうなことだ」
「花乃ちゃん、二人は靴を履いてるの?」
「いえ、裸足です。でも気にしてないみたいで」
「感覚は残ってないのかもな」
「見てください、あっちの芝を」
花乃が東側の芝を指さした。
私達は縁側に顔を出し、そちらを見た。
すぐに、花乃の言いたいことがわかった。
芝が倒れたり起き上がったりしているのだ。清吾と高明が走り回って、踏まれたところがへこむ。そして起き上がる。
芝の動きが、清吾達の位置を教えてくれる。
「不思議だなあ」
由希さんがつぶやいた。
「こんなにはっきり存在がわかるのに、姿だけは見えないなんて」
私も同じ気持ちだった。
二人は木戸の方へ移動していったらしく、変化が見えなくなった。
私達はいったん座敷に戻った。
「退屈じゃないんでしょうか」
ジュースを口にして、花乃がこぼす。
「退屈とは?」
「二人とも、もう二十年以上ここにいるんですよね? それだけいたら飽きてくると思うんですけど」
「そういや、家からまったく出てないのかな?」
「きっと誠次さんの指示を馬鹿正直に守ってるんだよ」
空いた皿を重ねながら由希さんが言う。ありえる話だ。
「花乃ちゃん、飽きてるように見えた?」
「いえ、よくわかりませんでした」
「幽霊には時間の概念がないんじゃないですか」
すっかり幽霊の存在を信じている我々三人である。
「ところで花乃」
「はい」
「親父は見えないよね」
「……今のところ気配はしません。これから出てくるかもしれないですけど」
「小春さんがいないんなら、誠次さんも出てこない気がするなあ。竜吾君、やっぱり誠次さんと話し足りない?」
「正直、山ほど後悔してます」
「だろうね。でも、早めに帰ってこられて本当によかったよね。そうじゃなかったらもっと後悔してたんじゃないかな」
私は素直に頷いた。
ビールの缶を開けて、一息で半分ほど飲む。アルコールには強い方だが、大量には飲まない。今日も二本くらいでやめておこう。
「あの日……」
私がつぶやくと、二人が同時にこちらを見た。
「高明が死んだ日も、みんながこうやって集まって飲んでた。花乃の両親もいて、賑やかにやってたって聞いたよ。今日との違いは、誰かが死ぬ前か後かってことだけ」
「あの時、私はまだ二歳だったんだよなー。全然覚えてないけど、たぶん二階の部屋で寝てたのかな」
「わたしは、まだお母さまのお腹にもいなかった頃ですね」
「それ言ったらぼくだって同じだよ。親父だって、高明が元気でいたら次の子供なんて作らなかっただろう。そうならなかったから、ここにぼくがいる」
「わたし、お母さまに言われましたよ。二人はほしかったけど、お父さまが趣味の人だったから理想通りにいかなかったって」
「趣味ねえ」
「猟とか彫刻とか竹細工ですね。そういうのをやる時、子供が多すぎると困るって言われたそうです。時間が取られるし、邪魔されそうだし」
「はしゃぐ子供をなだめるのは大変だもんね」
由希さんが言い、私も頷く。
「そっか、花乃のお父さんは趣味の人だったか。確かうちにも、智人さんの作った竹細工が置いてあったな。高明もあれが好きだったみたいだね。智人さんと一緒に水鉄砲や竹とんぼで遊んでる写真があって……」
――言葉が、続かなかった。
今、私は何か重要なワードを発したような気がする。
なんだ?
必死で、いま消えてしまった言葉を思い返す。慌てるな。焦るとかえって、全部忘れてしまうものだ。落ち着いて。自分の言葉なのだ。ちゃんと思い出せるはずじゃないか。さあ。
「…………」
「竜吾さん?」
「竜吾君、どうしたの? 黙り込んじゃって――」
私は勢いよく顔を上げた。
そうか。
そうだったのか。
あくまでこれは推測だ。
正しいかどうかなんて検証できない。
しかし、私自身を納得させるには充分じゃないだろうか?
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