第5章 解決編

5-1 最後のピース

 葬儀に集まった人の数は少なかった。

 奇行の数々が、父の人望を奪い尽くしていたのだ。


 私は葬儀社のスタッフと相談し、小さめの会場を用意してもらった。大勢は来ないだろうと予想したわけだが、それが当たってしまったのは、やはりさびしかった。


 菩提寺の住職が上げるお経を聞きながら、私は焼香台の横に立っていた。お焼香してくれる方に深々頭を下げる。


 昨晩の通夜も、来てくれた人は同じく少数だった。


 やってきたほとんどの人間が、家を囲む狼に不気味そうな顔をした。さっさと片づけてもよかったが、葬儀を終えるまではこのままにしておこうと決めていた。


 よく聞き取れないお経が耳に入ってくる。私はそれを聞き流しながら、空席の多さに自らの心を重ね合わせる。頭の中では、父の顔が浮かんだり消えたりしている。


 父は父なりに、何かと戦い続けてきたのだろう。

 結果として、話せたのはこの数日だけになった。怒鳴りつけてもしまった。それでも、最後に目を見て私の名前を呼んでくれたことだけは、とても嬉しかった。


 たとえ、最期の言葉が『高明を頼む』だったとしても、だ。


 お焼香の列が切れた。

 これで全員かと思ったが、少し遅れて、新たな人影が現れた。


 喪服を纏った桃山花乃だった。


 桃山家に連絡はしていなかったが、昨日の新聞のお悔やみ欄に父の名前は出ていた。それを見たのだろう。


 花乃はおそるおそるといった足どりで進んできた。慣れない手つきで、時折こちらの顔を窺うようにしながら焼香を終えた。

 座席について落ち着かなそうにしている花乃に、私は微笑みを向けたくなった。


 ……親父、桃山家は忘れないでいてくれたぞ。


 両腕に、自然と力が入った。


 次第がすべて終わると、私は会館入り口の自販機で飲み物を買った。二つの自動ドアに挟まれた空間に、他に人はいない。缶コーヒーはいつも微糖だが、今日はレギュラータイプのものを選んだ。甘すぎるくらいの飲み物が、私には必要だった。


 背後の自動ドアが開き、スーツ姿の男が現れた。茶色に染めた髪がつやつやしている、三十半ばくらいの人物だ。


「日守竜吾君?」

「そうです」


 相手の名前がわからないので、それだけ返した。


「俺、シマキタツナリって言うんだ。君の親戚に当たるんだけど」


 漢字を教えてもらい、相手が島木達成という人物だと知った。


「あ、もしかして高明と仲がよかったという……?」

「おお、高明君のこと知ってるんだ」

「それはもちろん、聞きましたから」


 やはり目の前の人物が、あの島木少年なのだ。

 髪を染めているせいか、写真の面影はあまり残っていない。整えられた髭が顎を飾っていたので、余計に少年のイメージから離れているのだ。


 達成さんは花乃と同じく、式の途中から入ってきた。ずいぶんくたびれた顔をしていたので、強行軍でやってきたのだろうとは予想がついた。


「喪主にこんなこと言うのもなんだけど、うちの親は仕事が忙しくて、それとまあ……」

「親父にいい印象を持ってないから行きたがらなかった、とか?」


 達成さんは申し訳なさそうに首を縦に振った。


「本当にすまない」

「しょうがないですよ。達成さんが来てくださっただけでも嬉しいです。ありがとうございます」

「やめてくれ。俺は頭下げてもらうようなことはしてないんだ」


 達成さんも缶コーヒーを買った。


「達成さん、高明とは仲がよかったんですよね」

「うん、年に数回しか会えなかったけど、一緒に遊んだよ」

「今、昔のことを整理してるんです。達成さん、もし高明が焼却炉に落ちた時のこと、覚えていたら聞かせてもらえませんか」


 こんな時にする話でもないが、訊かずにはいられなかった。


「実はね、よく覚えていないんだ」


 達成さんは額にしわを作った。


「あの時、確かに一緒に遊んでたよ。でも途中で、俺はセントーをかまってやってたんだ。そしたら後ろで「あっ」って声がして、振り返ったら高明君が頭から焼却炉に落ちていた。俺が引っ張り出そうとしたんだけど、余計に体勢を悪くしてしまった。それで完全に混乱して……どのくらい経ったか記憶にないんだが、とにかく親を呼びに行った」


「じゃあ、落ちた瞬間とその直前は見ていない」

「……申し訳ない」

「いえいえ、気にしないでください。何か細かい点で覚えていることがあれば教えてほしいんですが」

「そうだな……高明君が足場に使ったのは、外に置いてあった日本酒の箱だった。プラスチックのケースのやつ、あるだろ?」

「あ、ビールケースじゃなかったんですね」

「背の高いケースだったから日本酒だったんじゃないかな。六本くらいしか入らないやつで、表面積が狭いだろ。だから覗き込むような体勢を作るとすぐ傾いちゃうんだ」

「それで一気に落ちちゃったんですね」

「そうだと思う」

「高明はどういう子供でしたか? ぼくは写真でしか見ていないのでわからないことだらけなんです」


「高明君ははしゃぐのが大好きだったね。俺が一つ上だったんだけど、駆けっこの速さを競おうって何度も走ったな。俺が勝つとすごく悔しそうな顔してさ、もう一回もう一回って勝つまでやろうとした。でもスタミナも俺の方が上だったから、俺の全勝だった。相撲もやったよ。これも俺が勝った。そしたら、お父さん怒るかなあって心配そうな顔してたんだ。よく覚えてるよ、人の怒った顔が苦手な子だったから」


 先日、由希さんと秀信さんに語った推測がより強固になっていく。

 やはり、高明はどうしても達成さんに勝ちたかったのだ。


「あの頃は誠次さんも明るい人だったな。中学生の頃、一回だけ屋敷に顔出したんだけど、竜吾君覚えてる?」

「いえ……」

「ああ、会ってなかったっけ。とにかく、その時の誠次さんがあんまり変わってたもんだからびっくりしちゃってね。こんな人だったっけ? って感じで。あれから、うちの親もこっちへ来なくなっちゃったわけだ」

「あれじゃ、人望なくすのもわかりますよ」

「でも、最期ぐらいいがみ合うのをやめてほしかったよ。そういう俺も仕事があって、どうしても今日しか来られなかったんだけど。このあとすぐ戻らなきゃいけないんだ」

「じゃあ、うちには寄っていかないんですか?」

「本当に申し訳ない」


 缶を持ったまま手を合わせてきた。


「体を壊さないようにしてくださいね」

「うん、ありがとう。竜吾君も、東北へ来る用事があったらぜひうちに来てくれ。歓迎するよ」

「その時はよろしくお願いします。お互い、頑張りましょう」

「ああ、そうだな」


 私達は握手を交わした。

 達成さんはコーヒーをゴミ箱に捨てると、そのままセレモニーホールを飛び出していった。


     †


「あの、竜吾さん」


 自動ドアが開き、今度は花乃がやってきた。


「この度は、ご愁傷様でした……」

「来てくれたんだね。ありがとう。親父もきっと喜んでるよ」

「新聞で見たんです。お母さまが、毎日気にしていろと言うので」

「あんまり迷惑かけたくなかったから、教えないつもりでいたんだけどな」

「それではお母さまが悲しみます。ショックで余計悪くなる可能性だってあるんですし……」


 そういえば私の母も、父が清吾を諦めていると知ってから体調を崩したのだった。

 人間の体は精神に左右される部分が大きい。

 父を責め立てて、それを思い知らされたばかりではないか。浅はかな考えだった、と少々の後悔を覚えた。


「お母さんの具合はどうなんだい」

「変わらないです。今朝は喪服の着方とお焼香のやり方を教えてくれただけで、長話はしませんでした」

「そうか……。それだけショックだったのかな」

「わたしはよく知らないんですけど、お母さまが誠次さんから受けた恩はとても大きかったみたいなんです。きっと、ここに来られないことが悔しいんですよ」


 せっかくだ、この前の話をしておこう。


「君は、お母さんが霊視できる人間だって知ってた?」

「……本人はそう言ってましたけど、わたしはあまり信じてませんでした。でも、わたしにこんな力があるなら、お母さまもそうなんですよね」


 この口ぶりからするに、以前秋乃とした会話は、盗み聞きされていないようだ。


「実は君のお母さん、うちで霊視をやって親父から報酬を受け取っていたらしい」

「ええっ?」

「ぼくが君に頼んだのとほぼ同じことを、秋乃さんもやっていたんだ。高明の様子を伝えたり、清吾がいるかどうかも確認したりね。親父がどれくらい報酬を出していたのかは知らない。でも、あそこまで恩を感じているようだから、かなりの金額だったんだと思う」

「知りませんでした……」

「ぼくは一円も出してないんだけどね」

「いいんですよそんなの。それに、この前はいじめから助けてもらいました。それだけで充分なくらいです」


 花乃は、少し黙った。

 何かを言いたそうにしているが、なかなか口を開かない。


「一応言っとくけど、ぼくはもうしばらくあの家にいるよ。静岡の中学には休職願を出す予定だ」

「そうなんですか?」

「遺産相続とか、家の問題がたくさんあるんだ。無責任に逃げ出すわけにはいかないからさ」

「そうなんですね。また、お邪魔してもいいですか?」


 すっかり懐かれてしまったようだ。


「いいとも。いつでもおいで」


 明るい顔を意識すると、花乃も表情を柔らかくした。


「それじゃあ、このあとでもいいですか?」

「はい?」


 さすがに急ではないだろうか。


「お母さまに言われたんです。高明君と清吾君にも伝えなきゃいけないって」

「なるほどね」


 あの母親らしい。


「お母さんは夜まで一人で大丈夫なのか?」

「平気です。まったく動けないわけではないので。お昼と夜の食事も作ってきましたし」

「それならいいか。帰りのバスに一緒に乗っていくといいよ」

「ありがとうございます」


 花乃が頭を下げた。

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