4-4 高明の死、その仮説

 夜、私は自室で横になっていた。


 まだ帰省して四日目だというのに、ものすごく長い時間を過ごしたような気がする。


 やつれた父に会い、桃山花乃に会い、幽霊の実在を確信し、由希さんと恋人同士にまでなって……。


 携帯を見ても、誰からの連絡も来ていない。

 私一人いなくても、学校は円滑に回る。年の近い同僚もいるが、私が帰郷した理由を考えれば、メッセージも送りづらいかもしれない。

 斉藤からも、その後は音沙汰がない。まあ、そんなに連続で会ってもやることがないけれど。


 この数日、何度も清吾の顔を思い出した。


 丸くて愛嬌があり、運動能力の高さを予感させた弟……。


 清吾は自慢したがりなところがあった。

 保育園で、私がとろとろジャングルジムを登っていると、後ろから現れて一気に登ってみせた。鉄棒も、組で一番早く前回りができるようになって、みんなに何度も見せつけていたっけ。


 調子に乗って危ない動きを始めると、いつも先生に怒られた。怒られると、すぐ物陰や人の後ろに隠れるのが常だった。


 夏見夫妻の話を聞く限り、高明も清吾に近い子供のようだった。

 きっと清吾と同じように、周りができないことをやってのけ、自慢げな顔を見せていたに違いない。


 保育園児からすれば、ジャングルジムから飛び降りるのには大変な勇気が必要だ。清吾は、


「ぜーんぜんこわくないよ!」


 と叫びながら飛び降りていた。よく転んだけれど、必ずすぐ起き上がって、ピースした手を掲げた。


 他人ができないことをやる。


 清吾はそうした時に目を輝かせていた。できないことからはさっさと逃げようとしていた私とは正反対だ。


 やはり高明も同じだったのだろうか。

 他人が――、…………。


……」


 急に、ある考えが浮上した。


「これはありうるぞ」


 私は部屋を出て居間に駆け込んだ。秀信さんがこたつで寝転がっているのが見えた。由希さんは台所で食器を洗っている。


「由希さん、ちょっと聞いてほしい話があるんですけど」

「え、突然なに? 清吾君の事件?」

「高明の事故死についてですよ。高明の性格がわかれば、あの事故に説明がつけられそうな気がするんです」

「それなら、お父さんに訊いた方がいいよ。高明君をずっと見てたんだし」

「わかりましたっ」


 私はいつになく興奮していた。

 居間に入ると、由希さんもついてきた。


「秀信さん、訊きたいことがあります」

「あん?――ああ、竜吾君だったか。どうしたね?」

「高明の事故について、もう一度訊かせてください」

「……おお」


 秀信さんがのっそり起き上がった。


「事故の日の話は、もうしたよねえ」

「はい、助かりました。今度は高明の性格を知りたいんです」

「性格かね」

「運動神経のいい子だったとは聞きました。清吾に近いタイプの子供だったんじゃないですか?」

「うんむ、その通りだ。あんた達双子は、高明君を二つに分けたような子供だった。性格や体の力は清吾君が、背格好は竜吾君が似てたんだ」

「知らない人がアルバム見たら、竜吾君と高明君が双子だと思っちゃうだろうね」

「んだなあ」


 由希さんと秀信さんが頷き合っている。


「清吾は、保育園でも自分の能力を自慢するのが好きでした。他人ができないことをやってのけることに喜びを感じていたというか」

「わかるなあ。あの子は競争心が強かったものねえ」

「高明はどうでしたか。やっぱり似たようなところがあったんじゃないですか」


 秀信さんは腕を組み、しばらく黙った。


「言われてみれば、そうかもしれんねえ。だが、それが事故に関係するのかいね」

「はい。あの日、秀信さんは焼却炉で火を使っていたんですね」

「おお」

「高明に、危ないから近づくなと警告しましたか?」

「そりゃもちろんだ。言ったよ、ちゃんと覚えとる」

「でも、危ないものほど、男の子は近づこうとします。高明もそうだったんじゃないかと思うんです」

「しかし、それまでも高明君の前で火を焚くことはあったんだよ。なんでまた、あの日に限って足場まで出して覗いちまったのかね?」

「島木少年がいたからです」

「誰だね、それは」

「事故の日、山形から島木さんの子供さんが来ていたんでしょう。名前がわからないので、とりあえず島木少年と呼びます」

「その子が遊びに来てたら、高明君が焼却炉に落ちるんかね?」


 私は頷いた。


「島木少年は高明より一つ上だった。その彼と高明は走り回っていたそうですが、競争をしたりはしませんでしたか」

「ううむ……どうだったかな。走り回ってたのは覚えてるんだが、駆けっこをしてたかどうかまではなあ……」

「とにかく、高明は島木少年に自分のすごさを見せつけようとしていた。けど子供の一歳差は大きい。思ったように勝てなかった」

「それは覚えとる。走るのも、高明君の方がちょいとばかし遅かった。……ああ、そうだそうだ! そんでひどく悔しがってた! 思い出したよ!」


 秀信さんが興奮したように大声を出した。私は、ますます自分の推測に手ごたえを得ていた。


「高明は、運動では島木少年に勝てないと悟った。そこで彼は、

「竜吾君、まさかそれって……」


 由希さんが眉根を寄せる。


「焼却炉からは煙がこんこんと出ている。あれに首を突っ込んでも平気で耐えられる。高明はそんなところを見せつけようとしたんじゃないでしょうか」


「そんで、覗き込み過ぎて頭から落ちたというのかね」

「可能性はありますよ。わざわざ足場を用意しているんです。目的を持って中を見ようとした証拠になるでしょう」

「自尊心を満足させるための行為だったと、竜吾君は言いたいわけか。それが不運な事故につながっちまったと」

「その通りです。夏見さんから聞きました。高明は、スポーツで活躍すると父が褒めてくれて、それがすごく嬉しそうだったと。だとしたら、例え庭の中の遊びだとしても、島木少年に勝てなかったことはショックだったはずです。だから、なんとしてでも父にいい報告をしなければと、高明なりに必死で頭を回転させたんでしょう。その結果、煙に耐えるという発想に至ってしまった」


 秀信さんの眉が歪んでいた。由希さんもうつむいている。


「その説明なら、誠次さんの変わりようもわかる気がするなあ。自分の期待に応えようとして、高明君は死んでしまった。きっと誠次さんは、その事実に気づいたんだろうねえ。高明君を死に追いやったのは自分だ。そうやって自分を責め続けているうちに、少しずつおかしくなっていっちまった」

「誰も悪いことをしていないのに、最悪の結果になるなんて……」


 由希さんの声が低くなった。


「でも、今のはあくまで想像です。ただ諸々の状況から、こんな可能性もありえるなって思っただけなので……」


 私はなぜか必死で言い訳していた。疲れている二人になんて話をしているのだろうと焦ったのだ。


「でも……私は竜吾君の言うことが正しいような気がする」

「うんむ、充分、考えられることだに」


 全員の視線が下がった。

 そのままうつむいていると、背後から、


 ――タンタンタンッ


 と籠もった音が連続して聞こえた。誰かが、廊下を足で叩いているような……。


「なんじゃ?」

「竜吾君、もしかして……」

「はい、あの二人かも」


 立ち上がろうとしたが、由希さんの方が早かった。


「まず私が見てくる」


 由希さんが戸を開けて廊下を見回す。


「あれ、誠次さん……?」


 予期していなかった言葉が、彼女の口から出た。

 由希さんが座敷へ入っていく。


 私と秀信さんはその場にとどまった。私の頭の中では、高明の死についての考えがぐるぐると渦を巻いていた。


 自尊心が起こした事故。

 そうとしか考えられなかった。


 自分で用意した、酒のケースの足場が重要な手がかりになっていたのだ。高明は父に褒められると喜んだそうだが、怒られるのを怖がってもいた。島木少年に負けたら父に怒られるかも、と不安になっていた可能性だってあるのだ。


 色々な推測が浮かんでは消えていく。

 そんな私を現実に引き戻したのは、由希さんの、悲鳴のような声だった。


「二人とも来てっ! ひどい痙攣してるのっ!」


 私は鞭打たれたように立ち上がり、中座敷へ駆け込んだ。


「かか……が、ぁか…………」


 由希さんに抱きかかえられた父が、激しく震えていた。汗が尋常じゃないくらい噴き出している。目が限界まで見開かれ、涙がぼろぼろ落ちている。


「親父、大丈夫か!」

「か、か……」

「返事はできないのか? どこが苦しい?」


 由希さんが懸命に背中をさすっているが、痙攣は治まる気配すらない。

 舌が唇より外に出た。ぶるぶるぶると小刻みに震える。


「あ、っか……」

「え? なんだって!?」


 私は父の腕を取って、声をかけ続ける。口のすぐそこまで顔を寄せた。一つも声を逃さない覚悟で。


「……、た、かあき……、……たか、あ……き……」


 吐き出した直後、父の目に宿った生気は、私が見た錯覚だろうか。

 父は震える手で、私の両腕をがっちりと掴んだ。

 とても冷たい手だった。


「竜吾」


 それは、一番はっきりとした言葉だった。


「りゅう、ご……」


 もう一度、呼んでくれた。


「親父、ぼくは頑張るぞ。親父が思ってるほど駄目な息子じゃないって、これから証明し続けてやる。だから安心してくれ」


 ああ、ああ、と父は何度も言った。頷くことすら、もはや叶わないようだった。

 由希さんの目が潤んでいる。

 秀信さんも、泣き出しそうな顔をして足元で見守っている。


 父は口をいっぱいに開けた。


「たか、あき、を、たの――」


 そして、次の一言を吐き出そうとして、静かになった。

 かくんと首が落ちることもなかった。

 由希さんと私の腕の中で、虚ろな目を布団に向けたままになった。


 父は、隣の部屋に移るかのような自然さで、スッと逝ってしまった。


 バタバタバタッ、と廊下から足音がして、すぐ遠ざかっていった……。

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