3-8 認識できない死

 桃山家の前に車を止める。降りた花乃に、

「お母さんと話してもいいかな」

 と訊いてみると、彼女は頷いてくれた。


 すぐには出られなくなるだろう。私は近くのスーパーまで戻って車を置き、歩いて家まで向かった。


「お邪魔します」


 どうぞ、と遠くから花乃の声がした。


 私は靴を脱ぎ、右手の部屋に入った。

 桃山秋乃は、今日もベッドの上にいた。

 カーテンは閉められていた。まぶしい日差しがピンクの幕に当たって、部屋に同色の光が滲み出している。


「あら、竜吾さん」

「どうも。お体の具合はどうですか?」


 秋乃はふっと笑みを浮かべた。


「今日は、そんなに悪くありません」

「それはよかった。早速、花乃さんをお借りしてきましたよ」

「お役に、立てましたか?」

「ええ、とても助かりました」

「よかった……」


 秋乃はホッとしたように目を閉じた。


「実は、お母さんに報告しなければならないことがあります」

「なんでございましょう」

「上天会で、花乃さんは霊を見る人として活動していたとか」

「……ええ。それが何か?」

「貴女は、花乃さんに本当にそんな力があると信じて、やらせていたんですか?」

「いいえ。あの子が見えないと言い張るので、そうなのだろうなと思って、見える振りだけさせておりました……。信者の方の家に行く日は、事前にわたくしが、台本を書いておきまして……」

「なるほど。報告とはそれなんです。花乃さん、どうも見えるみたいですよ」

「え?」


 秋乃は、何を言ってるんだろうこの人は、とでも言いたそうな顔をした。


「花乃さんには死んだ人間が見える。ただ、そういった存在が当たり前のようにそこにいるので、生きている人間と勘違いしていたんでしょう。実際にはそれが幽霊だったにも関わらず、です」

「……竜吾さんは、そのようなことを、言わない方だと思っておりました……」

「花乃さんがうちの屋敷で言ったんです。小さい子供を無視していてかわいそうだと。ところが、話を聞いてみると昔あの屋敷で死んだ子供にそっくりだったんです。それで今日、あらためて確認に来てもらったんですよ。彼女は見える人です。ぼくには見えませんでしたが、断言できます」

「そう、だったのですか……」


 秋乃は目をいっぱいまで開いた。それがいま彼女にできる、一番の驚きの反応なのだろう。


「あの子も、そうだったのですね」

「あの子、も?」

「ええ。わたくしも同じなのです」

「…………」


 この告白は予想外だった。

 特殊な力は遺伝するものなのか?


「わたくしが見えるので、花乃も受け継いでいるのではと、思ったのです……」


 確かに、先程の秋乃の言葉には引っかかるところがあった。

 ――あの子が見えないと言い張るので――

 ――見える振りだけさせておりました――

 まるで、見えて当然と言いたげな考え方ではないか。あれは秋乃が霊視できるからこその発言だったのだ。


「そう。辿る道も、やはり同じなのですね……」

「どういう意味です?」


 秋乃は、まっすぐに私の目を見つめてきた。今までの力のない目が嘘のようだった。


「高明君が死んでしまったあと、わたくしは誠次さんのお屋敷で、幽霊になったあの子を見つけたのです」

「な――」

「誠次さんに伝えると、ひどく驚かれました。それからあの方は興奮して、わたくしは何度もお屋敷に呼ばれました。そのたびに高明君を探し、何をしているのか、様子を事細かに伝えたのです」

「すると、親父が生活を援助したというのは……」

「ええ、それに対する報酬でした。様子を伝え終えると、誠次さんは必ず現金を封筒に入れて、渡して下さいました。わたくし、罪悪感を覚えましたが、苦しい生活から抜け出せるという誘惑には、とうとう一度も勝てなかったのです……」


 道理で、積極的に名前を出したがらないわけだ。

 幽霊の様子を伝える仕事。

 普通の人間が聞いたらひっくり返るだろう。そんな、真実をしゃべっているかもわからないような仕事に報酬を払うなど、周りは絶対に止めたはずだ。


「それは、屋敷に誰もいない時間を狙ってですか?」


 秋乃は頷いた。


「奥様が長時間出かけ、松谷のおじさまが田んぼに出て、その娘さんが保育園に行く。それがわかっている日の朝に電話が来ました。わたくしはバス賃だけを手に、あのお屋敷までひっそりと通っていたのです……」


 事件後、桃山家との関わりが薄れていったのはこれが原因だったのか。誰も秋乃に会わなくなり、桃山家の記憶は、皆の中からどんどん消えていった。加えて清吾の事件による衝撃もあり、ますます存在は忘れられていったはずである。


 ……そういえば。


「親父が高明に『屋敷の外に出るな』と伝えたことは?」

「ええ、ありました。わたくしが間に立ったのです。高明君にはお父さんの声が聞こえないようなので、口元をじっと見るようにと伝えて……。その上で、誠次さんに話してもらったのです」


 高明は父の言うことに忠実だった。死んでもなお、それは続いていた。だからこそ、いまだにあの屋敷にとどまり続けているのだ。


 高明のことはひとまずわかった。問題は次だ。


「うちで、そのあと誘拐事件が起きたのは知っていますか?」

「もちろんです。わたくし、清吾君も探しに行きましたから……」


 ある疑問が浮上した。そんな私の心を読んだかのように、


「誠次さんが、おっしゃったのです。もしお屋敷に、清吾君がいるようなら、もう死んだのだろうと……」


 秋乃が先回りして答えた。


「親父の理屈はよくわからないですね。死んだら屋敷に現れる。それなら、なぜご先祖様や病死した母の姿が、花乃さんには見えなかったんでしょう」

「誠次さんが言うには、人は、死を認識しないまま死ぬと、魂が死んだことを理解できず、この世に残ってしまうのだそうです……」


 花乃からも同じ説明を受けている。


「親父は霊魂にも詳しかったんですね」


 父の書斎は本で埋め尽くされていた。どんな本が置かれているのか確認したことはないが、そこから豊富に知識を得ていたに違いない。


「確かに、うちの家で死を認識できずに死んだのは清吾と高明だけかもしれません」


 高明は煙に巻かれて、わけがわからなかったはずだ。

 清吾は、そもそも死という概念自体がわからなかったはずである。


 母の霊が家にいないのは、病気で衰弱し、自らが死んでいくことを感じていたからなのだろう。この言い方で正しいのかはわからないが、成仏できたのだ。


「上天会の教義通りに幽霊がいたわけではなく、実際の経験を元に上天会の教義を構築したわけですね」

「その通りです……」

「実はさっき、花乃さんを介して対話を試みたんですが、期待したほどの成果は挙げられませんでした。できれば清吾自身の口から誘拐犯の特徴でも聞き出せればよかったんですが……」

「難しいでしょうね。わたくしも、高明君との対話にはとても苦労しましたもの。事件のお話となれば、なおさら……」

「清吾も見たんですね?」

「ええ」

「話しかけましたか?」

「しましたけれど、警戒した顔で、近づいてきてはくれませんでした……」


 ずいぶんと態度が柔らかくなったものだ。幽霊にも成長の概念はあるのだろうか。


 ふうー、と秋乃は息を吐いた。ぜいぜいと喉から音が漏れている。

 長話で体力を消耗させてしまった。次の話題で最後にしよう。


「秋乃さん、花乃さんにはしばらく学校を休んでもらってもいいかもしれませんよ」

「いじめ、ですか」

「そうです。今日たまたま目撃したのですが、かなり深刻なものでした。命を落としていてもおかしくなかった。こんな状況なら、無理に登校させる必要はない。出席日数よりも大切にしなければいけないものが、たくさんあると思いますよ」

「……よく、話し合ってみます」

「そうしてください。では、ぼくはもう帰ります。お大事に」

「お気をつけて……」


 一礼して廊下に出た。襖戸を閉めて玄関を見たが、花乃の姿はなかった。


「花乃、今日はありがとう」


 私は家の奥に向かって声をかけた。

 返事があったのは靴を履き終わった時だった。バタバタと廊下が音を鳴らす。


「竜吾さん」


 振り返ると、花乃がすぐそこに立っていた。


「今日はありがとうございました。また何かあったら、お手伝いさせてください」


 花乃は真剣な目をしていた。

 彼女の方からそう言ってくれるとは意外だ。幽霊探しが、花乃に少しだけ前を向かせたのだと思いたい。


「わかった。その時が来たら、よろしくね」


 私は外に出て、戸を閉める。


 花乃の顔が見えなくなる瞬間、


「彼女さん、大切にしてあげなきゃだめですよ」


 ――そんな声が聞こえた。


 あれだけの時間で見抜かれてしまったのか。


 もしや、と上着に鼻を近づけてみると、かすかに香水の匂いがした。これは由希さんのもの。朝、抱きしめてもらった時についたのだ。さっき花乃が腕を絡めてきた時、急に離れたのはこの匂いに気づいたからだったのか。


 私は苦笑いを抑えきれなかった。

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