3-6 対話の時間

 和室に顔を出す。

 部屋の真ん中に円卓が置かれているのは変わらない。


「手前に座ってください。二人は奧にいます」

「よし」


 指示に従い、私は和室の入り口に正座した。由希さんが右側、花乃が左側にそれぞれ座った。お見合いでもするのか?――なんて冗談を飛ばしたくなるような光景だ。


「花乃、口パクで言葉を伝えられないかな」

「やってみます」


 あっさり了承してくれた。さっきから何度もやりとりを繰り返して、抵抗がなくなってきたようだ。


 花乃は口を動かして、コミュニケーションを開始した。身振り手振りも加えてひとしきり伝えると、今度は前傾姿勢になって、相手の態勢に入る。


「あ、答えてくれた……!」


 花乃の声が、今日一番嬉しそうに聞こえた。


「どんな話をしたの?」

「『お話しできる?』って。そしたら『いいよ』って言ってくれました」

「じゃあ事件の質問してみようか?」

「試してみます」


 由希さんの言葉に花乃が頼もしく応じ、無言のコンタクトが再開された。室内には、花乃の口パクの音だけが漂う。


「――だめです」


 やがて、脱力したように花乃が言った。


「昔の意味自体がわからないみたいで」

「うーん……すると焼却炉とか言っても通じないだろうなあ。誘拐だってわからないだろうし」

「知ってる言葉が少なすぎるんだよ。竜吾君、やっぱり期待しちゃいけないんじゃないかな」

「そうかもしれませんね」


 死人にも口はある、という流れになれば最高だったが、うまくはいかないようだ。


「しかし、清吾は話ができるんだよね。だったら最初に出したぼくの名前をわかってくれてもよさそうなものだけど」

「確かに……」


 答えながらも、花乃の視線は私と、清吾がいるらしき空間を行ったり来たりしている。


「あ、もしかしたら……」


 花乃が何か閃いたように、再び部屋の奥を向いた。パクパクパク。見える一人と見えない二人の間で会話が交わされている。


「やっぱり」

「何かわかったのか?」

「清吾君、竜吾さんの名前はわかるんです。でも、竜吾さんが成長して変わりすぎているから、なんで知らない人の前でその名前を訊かれるんだろうって思ったんですよ」

「ああ、そっか」


 あれから二十二年も経っているのだ。

 清吾がずっと私の成長を見てきたとしても、映像は上京した十八歳で止まっているはず。二十六になって、髪型も変えたし、顔つきも大人びてきたと言われるようになった。清吾に見抜けなくても無理はない。


 私が黙って考えていると、花乃が唐突にクスッと笑った。


「高明君、清吾君に説明してもらってます。『弟がでっかい』ですって」

「あはは、それはそうだよね」


 由希さんが楽しそうに笑う。自然、場の空気が和やかになった。


「花乃、普段はどこにいるのか質問してもらえるかな」


 花乃がしてくれる。


「『家の中』としか……」

「外に出たことは?」


 また口パクの音。花乃の姿勢がかなり前のめりになっている。


「ええと、『お父さんがだめって言うから出ない』……だそうです」

「どっちが答えた?」

「高明君です」


 私は由希さんを見た。


「高明が親父の言葉に忠実っていうのは本当だったんですね」

「みたいだね。でも、誠次さんはどうやって伝えたんだろ?」

「あ、言われてみれば……」


 花乃がパクパクやり始めた。


「『お父さんが、怖い顔で言った』そうです」

「親父は高明がいると思って怒鳴ったのか?」

「誠次さんならやりかねないよね。それだけ高明君を大切に思ってたんだし、いてほしいって願望があったんじゃないかな」

「……親父と話したかも訊いてくれる?」

「やってみます」


 花乃はすぐこちらを向いた。


「話はしていないらしいです。口の動きでわかったんじゃ……」

「してない? そもそも、ぼくらの声は二人に聞こえてるのか?」


 清吾の返事。


「聞こえていないみたいです。わたしのことも、見えるだけで声は届いていないみたいですし」


 すると、謎が増える。


 父は幽霊になった高明の存在に気づいていたのか。

 父には幽霊が見えるのか。

 どうやって、高明に『外に出るな』と注意したのか。


 私が悩む隣で、花乃が前傾姿勢になっている。


「何か言ってるのかい?」

「はい。そろそろお昼寝したいって」

「あらら。その辺は普通の子供と同じなんだね」


 由希さんが残念そうに言う。

 和室の奥で、畳がギシッと軋んだ。


「あ、二人とも寝転がっちゃいました」


 花乃の言葉と聞こえた音に食い違いはなさそうだった。

 本当にもう会話する気はないらしい。


 私は立ち上がり、花乃が視線をやっていた辺りに近づいた。古い家なので、床も弱っている。目をこらすと、どうも二人がいるらしい場所の畳が、いくらか沈んでいるように見えた。


「花乃、この辺にどっちかいる?」

「清吾君の足がすぐそこに……」


 手を伸ばして、探ってみた。何かが当たるような感触はまったくない。


「花乃、ぼくの手は当たってる?」

「当たってるというか、すり抜けてます。そこに清吾君の足があるんですけど……」


 物体の干渉は受けるのに、私は触れることができない。


「つまり、生きている者の干渉は不可能なのか」

「存在してる場所が違うんじゃないでしょうか。お母さまの教義はちゃんと聞いていたわけじゃないんですけど、わたし達と幽霊じゃ、周波数みたいなものの違いがあるとか……」

「なんとなくわかるな。波長が違うからすれ違いが起きる」

「そんなイメージだと思います」

「私にはわかんないや」


 由希さんが苦笑している。


「まあ、触れないなら仕方ないか」


 私は目の前の畳を見た。清吾がそこにいる。いるはずなのに見えない、私の弟。


「清吾、元気か?」


 もちろん、反応はなかった。


「清吾君、ちゃんと竜吾さんを見てますよ。寝転がってますけど」

「お前、そういう雑なところあったよな」


 私も苦笑いしてしまった。

 触れることも話すこともできないのは本当に残念だ。

 しかし、花乃を間に挟めばいつでも接触できることがわかった。常に家の中にいるのだから、見つけるのにもさほど時間はかからないだろう。今日は顔合わせと考えれば、それで納得もできる。


「花乃、由希さん、そろそろ撤収しよう」

「竜吾君、もういいの?」

「ひとまずこれで。一回目としては充分すぎる成果ですよ」

「ま、竜吾君がいいなら私はそれでいいけどね」

「じゃあ、最後に挨拶を」


 花乃は何かをしゃべった。二人に別れの言葉をかけたのだ。


 こうして、対話の時間は終了となった。

 ファーストコンタクトSFみたいだな、と私は思った。




 花乃がそのまま帰ることになり、私達は庭に出た。由希さんもついてくる。


「そういえば」


 私は思いついたことをそのまま口にした。


「ぼくは上京するまで、二人の出す音を一回も聞いたことがないんですよね。聞いてたかもしれないけど、気のせいだと思ってた」

「それはきっと、あれだよ」


 由希さんが言う。


「誠次さん、あの頃はまだぴんぴんしてたじゃない。だから私達に近づかないように管理してたんでしょ」

「案外、書斎に閉じ込めたりしてたかもしれませんね」

「誠次さんならそのくらいするんじゃないかな」

「確かに、親父だったら徹底しそうです」


 んー、と由希さんが両手を組んで上に伸ばした。


「なんか、貴重な経験させてもらっちゃった。こんなこと、なかなかできないもんね」


 花乃が申し訳なさそうな表情になる。


「気持ち悪い行動ばかりしてすみませんでした……」

「いやいや、そんなことまったく思ってないから! 私、ずっと前から家の中の小さな変化が気になってたの。正体がわかってすごくすっきりした気分だよ」


 由希さんが笑顔で言った。花乃の頬が少しゆるんだ。


「また、お話に来てもいいですか?」

「幽霊と?」

「いえ、えっと……」

「松谷由希です。このお屋敷の家事をやってるの。由希でいいよ」

「由希さんと、またお話ししたいです」

「いいとも。連絡くれれば出かけてくよ」


 二人はその場で連絡先を交換した。

 由希さんのコミュニケーション能力はさすがだ。落ち込んでいた花乃をたちまち明るい顔に変えてみせた。


「それじゃ、送ってきますね」

「気をつけて行ってらっしゃい」


 ヴィッツを動かして屋敷を出る。バックミラーの中で、手を振る由希さんがどんどん小さくなっていった。

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