2-9 告白
「明日、また桃山さんの娘さんが来ます」
夕食の時、私は由希さんに報告した。
居間にいるのは二人だけだった。秀信さんは、昼間話を聞いた片山さんに誘われて飲みに行っている。「こんな時に……」と断りそうな様子だったが、私が行ってくるよう促したのだ。私がいる間くらいは息抜きしてもらいたかった。
由希さんは「ももやまさん?」と首をかしげた。
「昨日親父のお見舞いに来てくれた女の子ですよ」
「ああ、あの子か。なんでまた?」
「ぼくの頭がおかしくなったとか思わないでくださいよ」
前置きを挟む。正直に言うことにした。
「あの子――花乃っていうんですけど、彼女には死んだ人が見えるらしいんです」
え、と由希さんが固まった。
……これが普通の反応だよな。
私は、昨日の出来事を丁寧に説明する。高明と清吾の服が一致していたところは、特に力を入れた。
「……ねえ竜吾君、騙されてるとは思わないの?」
説明を終えても、由希さんの表情は強張ったままだった。
「ぼくも真っ先にそれを疑いましたよ」
「でも、信じちゃったわけか」
由希さんは呆れ顔だ。
「……足音」
私がつぶやくと、由希さんがピクッと反応した。
「花乃の見たものと、ぼくらが聞いた足音にはつながりがある。そんな気がするんです」
「だから信じるの?」
「由希さんも、実は感じているんじゃないですか? この家には生き物ではない何かがいると」
由希さんは茶碗を置いた。
「つまり竜吾君はこう考えるわけ? その謎の音は、幽霊が立てている足音だって」
「さっきも物置で聞いたんです」
戸を叩き、揺らした音。石の上を通る音。
「こう立て続けに奇妙な現象が起こると、この家が普通だとはとても思えないんです」
「だからって、あの子に頼まなくなって……」
「例えばですけど、花乃が幽霊を見つけて、そこから異音がしたらこれはもう確定と言えます。由希さんには受け入れられないかもしれないけど、この家には幽霊がいることになる。それを確かめたいんです」
うーん、と由希さんが髪の毛に指を入れる。
「考えないようにしてたんだけどなあ……。やっぱり、白黒つけなきゃ駄目?」
「ぼくははっきりさせたいです」
「そっかぁ」
由希さんはスープを口にした。しばしの沈黙が挟まる。
「思い当たることはね、ぶっちゃけたくさんあるの」
「どんな?」
「閉めたはずの戸が開いてたり、誰もいないはずの場所から床の軋む音が聞こえたり。他にも食器の位置が微妙に変わってたり、水道が止めきれてなかったり……」
そんなに色々なことが起きていたのか。
「秀信さんは何か言ってましたか?」
「お父さんは『こういうものは気にしない方がいいのさ』って言って全部スルーしてた。私は正直、怖かったよ。でも驚かすような感じじゃないから、だんだん慣れてきてはいたんだ」
「幽霊じゃないかって思ったことは?」
「うん、ある。でもこんなの、誰にも相談できないじゃん? 変な奴だって言われるのはもう嫌だし」
父の影響で厄介者扱いされていた過去を、由希さんもまだ忘れられずにいるのだ。
「だからですね、そいつの正体を、明日花乃に確かめてもらうつもりなんです。何が音を立てているのかがわかるだけでもだいぶ気の持ちようも変わってくるはずですから」
「竜吾君がそこまで言うならしょうがないね。――わかったよ」
「すみません、帰ってきてすぐバタバタさせちゃって」
「気にしないで。誠次さんに比べればかわいいもんだから」
この返しには苦笑するしかなかった。
私達は夕食を再開する。
トマトスープがおいしい。菜園で作ったトマトらしく、甘味と酸味がほどよく口の中で混ざり合う。そろそろトマトも終わりだから食べさせてあげられてよかった、と由希さんは嬉しそうに言ってくれた。
「はあ……」
そんな由希さんの表情は、時間が経つにつれ、どんどん暗くなっていった。
「あの、どうかしたんですか?」
「べつにー」
返事は気だるげだ。
やはり花乃が来ることを、快く思っていないのだろうか。解散したとはいえ、花乃は新興宗教団体の主要メンバーだった。すでに気が重くなり始めているとか。
……ん、まさか。
ふと、一つの可能性が浮かんだ。
……いやでも、これを質問して違ってたら……。
私はすぐにでもこの家を飛び出さなければならなくなる。そもそも自惚れもいいところではないか。
「あのさ……」
迷っていると、由希さんが話しかけてきた。今日は向き合っていない。私の右側に由希さんが座っているので、昨日より距離が近い。
「一目惚れ、しちゃったとか?」
心臓がドクッと音を立てたような気がした。
一目惚れ? 私が?
「誰にですか?」
「だからさ、その、花乃ちゃんって女の子に」
私は、さっき抱いた予感が間違いではないと思い始めていた。
「確かにあの子、すごくかわいかったもんね。それに一番輝いてる時期だし」
「そうじゃないですよ」
自分でも驚くほど、強い声が出た。
由希さんがハッとしたように私の顔を見つめてくる。
「花乃には、清吾と高明について調べてもらうだけです。それ以上の意味はありません」
「ふうん……」
「だって――」
おい、本当に言うのか?
このタイミングで?
こんな、ムードも何もない状況で?
いくつもの考えが、一瞬の中で渦を巻いた。
けれど、もう私は自分を止められなかった。
「だって、ぼくが好きなのは由希さんなんですから」
「え」
不機嫌そうな様子が、一秒とかからず消えていた。
「ぼくは、由希さんが好きです」
言いながら、激しい後悔に襲われていた。
ここで告白してしまったからではない。
もっと感情を込めて言えただろうとか、しっかり相手の目を見て言うべきだっただろうとか、そうした自分の情けなさに対する後悔だった。
「ま、待って待って。え? あれ? 私、告白されてる?」
由希さんはとても取り乱していた。
「はい、しましたよ」
「あ……、ありがと、う?」
向こうも、何を言えばいいかわからなくなっているらしい。
「わ、私のことが好き? 竜吾君が?」
私は頷く。
「い、いつから?」
「そう言われるとわからないんですけど……たぶんずっと前から。ぼくはこの感情を由希さんへの憧れだと思っていたんですけど、そうじゃないみたいで。すごく恥ずかしいこと言いますけど、その、恋だったんだなって」
「うわああああっ」
由希さんが頭を抱えた。それから台の上に両手をついた。
「だ、だったら! なんで東京行っちゃったわけ!? いやそれは教師になるためだからいいんだけど、なんでこっちに戻ってくれなかったのよ!? 私、すっっっごくさびしかったんだよ!?」
「だって、その時は恋愛感情だと思ってなかったんですよ! それにあの家にはあんまり帰りたくないなって気持ちの方が、当時は強かったから!」
お互い、知らず知らずのうちに大声になっていた。
「私はその家にずっといたんですけど! お盆やお正月になるたび竜吾君はいつ帰省してくるのかなあって思いながら待ってたんですけど!」
「だからっ、それは悪かったと思ってます!」
「どうだか! 誠次さんの容態知らせてやっと戻ってくる気になったくらいじゃん! それで、帰ってきたと思ったらすぐ告白してくるってなんなの!」
「しょうがないじゃないですか! 今ここで好きだって確信したからやっと言えたってそれだけですよ! 由希さん、大好きです! ぼくとつきあってください!」
「う、うううう……!」
二人して、ぜいぜいと息を荒らげていた。花乃の話から、どうしてこうなってしまったのだろう。
ロマンスの欠片もなかった。
二十後半でするには、あまりに青臭い恋愛だった。
「はあ……」
沈黙ののち、由希さんが大きなため息をついた。
「遠距離かあ……」
「あの……」
そのつぶやきは、了承と受け取っていいのだろうか?
「竜吾君」
「はい」
「向こうで別の女作ったら許さないから」
「もちろん。じゃあ、いいんですか?」
こくり、と由希さんが首を縦に振ってくれた。
「まあ、私だって竜吾君のこと、好きだったし……」
髪の毛をいじりながら、まるで言い訳でもするように、由希さんはぼそぼそとしゃべった。
胸が熱くなった。
いいのか。
父親が死にかけている横で――いや、もうそんなことを気にするのはやめよう。
あの男に、私は散々振り回されてきたのだ。そのせいでつらい経験も山ほどした。
今夜くらい、父だって許してくれるはずだ。そう決めつけてしまえ。息子の一世一代のわがままだ。文句なんて言わせない。好きにさせてもらう。
私はこたつを出て、由希さんの隣に座った。ほんのりと甘い香りが、鼻の先に集まってくる。
「好きだったって、本当ですか?」
「うん。ずっと一緒にいたからとかじゃないよ。普段はおとなしいのにさ、やる時はちゃんとやってくれるところが好きなの。たまに向こう見ずなところも、支えてあげたくなるというか……」
「ぼくはうまく説明できません」
「おい。私が言ったんだから竜吾君も言うべきでしょ」
「じゃあ、全部」
「うわ、出た。全部って言っとけばとりあえずいいみたいなやつ」
「いやいや、ぼくの全部はモノが違いますよ。なんてったって物心ついた時からずっと、全身で由希さんを感じてたわけですから」
ぴこっと人差し指で額を小突かれる。
「さっきから恥ずかしいこと言いすぎ。竜吾君ってそんなポエマーみたいなキャラじゃなかったでしょ」
「恋は盲目って本当ですね」
「まったく……」
呆れたように言いつつも、由希さんは楽しげな顔をしていた。
その顔が急に近づいてきて、私は唇をふさがれていた。
すぐに由希さんの顔が離れた。
「由希さん……」
「あらためて、よろしくね」
「……はい、こちらこそ」
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