2-6 旧友
そろそろお昼の時間だ。
車を長野駅方面へ走らせながら、どこで昼食を取ろうか考える。
……ラーメンにするか。
高校生の時、長野駅周辺のラーメン屋を片っ端から回ったことがある。駅前はラーメン激戦区なので、どこも工夫を凝らしていてよく悩まされたものだ。
と、携帯が着信を告げた。
画面には〈斉藤啓介〉と懐かしい名前が表示されている。中学高校が同じだった、数少ない友人の一人だ。
「はい、日守竜吾です」
「よう、久しぶり。こっちに帰ってきてるってうちの母ちゃんから聞いたんで電話してみた」
男としてはやや高めの声。あまり変わっていない。
「ああ、親父がだいぶ悪くて、最期くらい一緒にいてやらなきゃって思ってさ」
「軽く言うなよ。お前、ホント親父さんには冷たいよな」
「どうしてもこうなっちゃうんだよ。それでひどい目に遭ってきたんだし」
「まあ、その辺は俺が口出しできるところじゃねえけどな。――で、もう昼飯食った?」
「いや、これからだよ」
「だったらどっかで合流しねえ? 俺、今めっちゃ暇なんだよ」
「会社は辞めたのか?」
斉藤は高校卒業と同時に町工場へ就職したはずだ。
「うん、辞めた。プラスチックの成型やってたんだけどさぁ、腰をやっちまって」
「仕事が嫌になったとかじゃないのね」
「職場は優しい人が多くて楽しかったぜ。でも一時期起き上がれないくらい悪化して、復帰時期未定って言ったら、半年後に解雇通知をもらっちゃって」
「スポーツ万能なお前でも壊れたりするんだな」
「俺はスピード型であってパワー型じゃないのよ。金型動かす時とか、すげー力が必要だから全身に無理がかかってたんだよ。んで、解雇されたってなると次の就職の時マイナスイメージつくだろ。だから俺の方から辞めるって形にしてもらったんだ」
「なるほどな。もう普通に動けるのか?」
「ああ。まだ走ったりするとすげー響くんだけどな。で、飯食えるんだろ?」
「いいよ。どこにする?」
話し合った結果、県庁の近くにあるファミレスで合流することになった。
「うお、なんだよお前めちゃくちゃイケメンになってんじゃん!」
「そんなことないって」
駐車場で顔を見た瞬間、斉藤が抱きついてきた。私はそれを笑いながら振り払う。
「そういうお前はだいぶ痩せたな」
斉藤は高校時代、もっと肉付きのいい顔をしていた。今は頬が薄く見える。
私達は店内に入った。
私がハンバーグステーキを、斉藤はオムライスを注文した。
「へえー、静岡にいんのね」
「ああ。こっちとそんな変わらないところだよ」
「お前が教師になるとか、けっこう意外だわ。生徒ぶん殴ったりしてねーだろうな?」
「当たり前だろ。これだけ世間が体罰に敏感になってるんだぞ」
「だよな。ま、その程度で体罰なん? みたいな話も聞くけどさ」
「しょうがない。みんな余裕なくてピリピリしてるんだよ」
「部活の顧問とかやってんの?」
「いや、やってない。田舎の中学だから人数少なくて、部活も全然ないんだよ。陸上部、バレー部、吹奏楽部、美術部、剣道部……だけだな」
「野球部すらないのかよ。めっちゃ過疎じゃん」
「こっちだって似たような学校あるだろ。田舎は苦しいよ」
料理が運ばれてきた。
いったん話を中断して、ハンバーグを口に入れる。
「小さい学校でもいじめとかあんの?」
オムライスを頬張りながら斉藤が訊いてくる。
「あるよ。ぼくも一つ担当した」
「マジか」
「自分のクラスの生徒だったからな。それも教科書を隠されるとかいう生易しいものじゃなかった。殴られたりカツアゲされたりしてたんだ」
「そういうのって、止められるもんなの?」
「徹底的に監視してやったんだ」
「ふーん?」
「まず、その子の両親には絶対に送り迎えをしてもらうように頼んだ。そしたら、学校ではぼくがなるべくその子を見張る。こっちも他の作業があるから、そこそこ仲のいい同僚にも頼んで、生徒をとにかく見張り続けた。すぐ近くで見てるわけじゃないぞ。いじめてる奴らにも気づいてもらえる範囲で、遠くから見てたわけだ」
「ずーっと?」
「そう、ずーっと。ぼくが忍耐力あるのは知ってるだろ?」
「そりゃ知ってっけどよ、そんなのよく続けたな」
「ぼくは露見してるいじめを見過ごしたくなかったからね。機会を見ては他の教師にも連絡を取って、授業が終わって教室に戻るまでは見届けてもらった。昼食は全校食堂だから簡単に見ていられるし、彼は昼休みは教室にいるから、ぼくも事務作業は全部教室でやった。帰りはぼくが昇降口に立って、生徒が帰るのを見送る。学校の正門前まで彼の母親が迎えに来るから、連中が手出しできる隙はなくなるわけだ。それでどうにか一年乗り切って、彼は無事に県下トップクラスの進学校に入ったよ。このまえ手紙ももらったんだ。来年東大目指すってね」
私が一気にしゃべると、斉藤は「へええ」と気のない声をあげた。
「お前、やっぱ変人だな」
「そうかな?」
「うん。中学の時から変わってたもん」
「自覚なかったなあ」
「ほら……お前、全校から無視されてただろ」
「あったね、そんなのも」
最初はクラスの中でだけ、いじめを受けていた。筆箱にゴミを入れられたり、教科書を隠されたりといった低レベルな嫌がらせだ。
私がそれに動じないと見ると、連中は後輩にも私の悪口を徹底的に吹き込んだ。
学校の壁や掲示板に、
『三年一組日守竜吾の父親は動物を笑いながら殺してる』
――など、父の奇行が書き込まれるようになった。
つらかったのはそれが全部事実だということで、私には反論ができなかった。
教師も、深刻な問題だから全力で解決する――とは言ってくれたものの、いつの間にかうやむやになってしまい、それがまた悪評につながった。先生も本当だって知ってるんだよ、だから学級会議とかやらないんだよ、なんて噂する声を実際に聞いた。
いつの間にか、私は全校生徒から避けられるようになっていた。
「すれ違う時とか、みんな露骨に避けてたっけ」
「そうだよ、そんな目に遭ってんのにさ、お前ってば廊下のど真ん中を堂々と歩いてんだもん。こいつの精神力やべえって思ったね」
「だって、歩いていれば向こうが勝手に避けてくれるんだよ? わざわざ隅を行く必要はないじゃないか。廊下はあんなに広かったのに端っこを窮屈そうに歩いてさ、こいつら生きるの大変そうだなってかわいそうになったくらいだし」
「やっぱお前すげーわ」
斉藤は苦笑いを見せた。
敵ばかりの中学生活だったが、斉藤だけは私と仲良くしてくれた。彼の方から、「愚痴くらいなら聞いてやれるからさ」と声をかけてくれたのだ。校内で話していると彼も標的にされると思ったので、話すのは常に学校の外と決めていた。それでも一緒に笑ってくれる相手がいるだけで、私はずいぶんと救われたものだった。
「俺は正直、あの中学はおかしいと思ったよ。だって本人には原因がないわけじゃん」
「親父がおかしいってだけだからね」
「そう、それなんだよ。父親が変わり者だったら息子もおかしいに決まってるとかさ、そっちの発想の方がおかしいだろ」
「その点についてはまったく同感」
「そもそも、お前の親父さん、別に事件起こしたとかじゃないのにさあ」
「いや、でもさすがに人目につくところで鹿の首を持ってたらやばいと思うよ」
「う……」
「頭の上に掲げてな、『そーりゃあー』とか言いながら庭を歩き回ってんの。獅子舞のつもりだったのかな」
さすがの斉藤も顔をしかめた。
「あと、門全開で猪を解体したりね」
「それは確かにやばい」
「山奥ならともかく、近くに他人の家があるってことを完全に忘れてたねあの父親は。しかも楽しそうにやってるのがまた怖かったんだよ。『あーそれ、ぎーこぎーこ、そい、やー、そい、やー』って感じでさ」
「そういう風に歌いながらやってたん?」
「強烈だったぜあれは。おかげで今でも覚えてるくらいだからな、この鼻歌。トラウマソングだ」
「そりゃ忘れられねーわ」
「でも一番やばかったのは、散歩する時に履いてたズボンに獣の血がついてたこと」
「どう見ても事件だ……」
「だろ? まあ、ぼくが変な目で見られるのもしょうがないところはあった」
「いやいやいや、やっぱり竜吾は関係ねーじゃん」
「ところが、そう思わない人の方が多いんだよな。マスコミだって殺人犯の家族関係とか家庭環境とか取り上げたりするだろ? 世間がそれに慣れてるから、やばい奴がいたら家族もおかしいって自然と考えちゃうんだよ」
「嫌な社会だ」
吐き捨てるように言って、斉藤はオムライスを完食した。
「ところで、向こうでは彼女とかできたか?」
急に話題を変えてきやがった。
「いや、できてない。そもそも出会いがないし、生徒に手を出したら死ぬし」
「きゃーロリコンこわーい」
「待て待て、興味ないって。そういう斉藤はどうなんだよ」
「俺はできては別れてを三度繰り返しました」
「駄目じゃん」
「なぜか長続きしないんだよ……」
「振られるとダメージでかいだろ」
「なんで俺が振られたって決めつける。俺から振ったのかもしれねーだろ」
じっと相手の目を見つめてやる。
「……すみません。強がり言ってごめんなさい」
「よろしい」
「で、竜吾は好きな相手もいねーわけ?」
訊かれて、少し考えた。
中学には女性教師が少なく、いても二十近く離れていたりする。大学時代にも女子とはいい関係を作れなかった。
そんな私の頭に浮かんできたのは、由希さんの顔だった。
……え、そうなのか?
自分でもびっくりした。
しっかりした年上の女性。
確かに憧れの存在ではある。だけど恋愛対象と思ったことはないはずで、いや待て昨日の夜はそれっぽい雰囲気になったじゃないかあの時の感情こそが恋というものでは――思考が暴走して自分の中でも収まりがつかなくなる。
「お、いるんだな?」
「ま、まあね。言わないけど」
「なんでだよ言えよー」
「言ってもわからないからだよ」
「わからなくたって知りてえだろ」
「教えない」
「こいつめっ」
そんなしょうもないやりとりをして、私は斉藤との再会を終えたのだった。
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