2-5 霊視者

 和室には長台が一つあり、茶棚や本棚の上には竹細工の製品がたくさん置かれていた。竹とんぼ、ざる、水鉄砲、籠や編み笠など。私の家にもいくからあったはずだ。


「これは誰の作品?」

「お父さまのです。戸隠とがくしで竹細工の修行をしていた時期があったので。途中でやめちゃったらしいですけど」

「職人にはならなかったのか」

「それより、山に入って動物を狩る方が向いてたみたいです。そのとき作った傷を細菌にやられて、あっさり死んじゃいましたけど」

「そんな事情があったのか……」


 道理で、彼女の父親の話題が出なかったわけだ。


「ぼくの親父も免許を持ってて、猪や鹿を撃ってたんだ。たまに血まみれの服で帰ってきて、そのせいで頭おかしい人間だって言われたりもしてたんだけど、花乃ちゃんのお父さんも一緒に狩りをしてたとは知らなかった」

「ちゃん付けとかやめてください。気持ち悪いんですけど」

「じゃあ、なんて呼べばいい?」

「呼び捨てでいいです」

「そっちの方が馴れ馴れしくないかな」

「呼び捨ての方が慣れてるんです。ちゃん付けはないです」


 そこまで嫌か……。


「それじゃ、さっきの続きを話そう。昨日、うちの屋敷で幽霊を見たってやつだ」


 花乃は自分を抱くように腕を動かす。


「でも、そんなの……」

「君が言った二人の服装は、昔うちにいた子供のものと完全に同じなんだ。片方はぼくの兄で、ぼくが生まれる前に事故で死んだ」

「え……」

「もう片方はぼくの双子の弟だと思う。四歳の時、誘拐されたまま行方不明になってる。兄と一緒に見えたのなら、たぶんさらわれてすぐ殺されたんだろう」

「ま、待ってください。なに自然に幽霊は存在するみたいな顔で語ってるんですか。普通そんなの鼻で笑いますよ」

「笑えない事情がある」

「えっ?」

「家の中から、妙な音がするんだ」


 私は、帰郷した事情と異音について説明した。


「足音なんて気のせいでは?」

「ぼくだけじゃない、家事を任せている人達も聞いたことがあるみたいなんだ。はっきり聞こえすぎて、とても幻聴とは思えない。――ぼくの家には何かがいる」

「それが弟さん達の幽霊だと……?」


 私は頷く。


「昨日、君はぼくの家について何も知らない状態で訪ねてきたんだろう?」

「それは、そうですけど」

「だとしたら、あまりに合致しすぎてるんだ。異音に加えて、写真とシンクロする君の目撃談。二つも重なってる。ぼくは別に超常現象否定派じゃないし、君が嘘を言っているとも思えなかった。まさか、うちへ詐欺を仕掛けてきてるわけでもないだろう?」

「あ、当たり前です。そんなのはとっくにやめました」

「やってたのか」

「あっ」


 花乃は焦ったように口を手で隠した。冷淡なようでいて、感情が表に出やすい女の子なのかもしれない。


「お母さんは、去年まで新興宗教をやってたって聞いたよ。上天会だっけ。メンバーは三十人くらいだったらしいね」

「……それが、いじめの原因になったんです」


 やはりそうか。

 家庭のマイナス面を知られると、閉鎖的な集団内ではいじめの標的にされやすくなる。私自身経験者だ。身に染みてわかっている。ただ、私の場合は物を壊されたり集団無視といった形だったが、花乃の場合は直接的な攻撃が加えられているようだ。


「教主はお母さんだったんだね?」


 花乃はこくんと頷いた。


「君もその一員だったのか」

「レ……シャ……でした」

「なに?」

「だから、レイシシャだったんですっ!」


 怒鳴られても、意味がわからない。


「それはなんなの?」

「霊を見る人です」


 頭の中で変換する。――霊視者。


「ははあ。死んだ人が見える」

「うちでは、と教えていました。だから、死の瞬間について考えるとかなんとか……。わたしは用意された文章と動きを暗記して、みんなの前でやってただけなので詳しくは知らないんです。講義とかは全部お母さまがしていたので」


 なるほど。

 その教義に当てはめるのなら、高明も清吾も条件を満たしている。


 高明の場合、焼却炉に頭から落ちた時、わけがわからなかったに違いない。煙を大量に吸い込んで、思考すら働いていなかった可能性が高いのだ。死ぬとか、そんなことを考えている余裕などなかったのではないか。


 清吾の場合、死という概念さえ理解できていなかったと思う。まだ四歳だったのだ。


 私だって死については何も知らなかった。セントーがもう二度と動いてくれないと知った時が最初だったくらいだから。


「信者さんの家に行った時も、見えたことなんて一度もなかったんです。だからわたしには特別な力なんてないはずで……」

「自分が気づいていなかっただけで見ていたのかもしれないよ。家の中に自然と存在していたから幽霊には見えなかったとか」

「そんなオカルトは信じたくありません」

「とても教主様の娘とは思えない発言だ」

「やりたくてやってたんじゃないんです。本当ですよ……本当ですから」

「別に念を押さなくてもいいよ」


 母親の暴走に巻き込まれただけなのだろう。


「とにかくだね、ぼくは君の言葉を信じたい。うちの屋敷には幽霊がいた」

「…………」


 花乃は黙って私を睨みつけている。


「ぼくは今、弟の誘拐事件について、もう一度調べ直したいと思っているんだ。そうなると君の言うことはとても重要な意味を持ってくる」

「弟さんが、もう死んでるって話ですか」

「そうだ。誘拐された先でも、生きてさえいてくれればって願っていたけど……」

「わたしの言葉を信用しすぎだと思います」

「だったらもう一回、うちに来てくれないか」

「え?」

「弟の写真を見せるから、もしそっくりな顔の子供がいたら……」

「……そんな調査、馬鹿げてます」

「お礼はするよ」


 睨みがきつくなった。


「いりません」

「でも、やってくれると嬉しいんだけど」


 花乃は下を向いて、黙り込んだ。

 これは私のためだけのお願いではない。いつもと違う行動をすれば、花乃の気分転換になるかもしれないという思いもあった。


「……わかりました。一回だけですからね」

「ああ、それでいいよ。よろしく」


 手を差し出したが、応じてはもらえなかった。


「いつ行けばいいんですか」

「君の予定に合わせるよ」

「わたしはいつだって暇ですけど」

「学校があるだろう?」

「そんなの休んだっていいんです。どうせ行く意味もないですし」


 花乃の言い方はそっけない。

 いじめが常態化して長いのだと想像できた。


「だったら、早速明日にでも来てもらおうかな」

「何時頃?」

「迎えに行くよ。そっちに合わせる」

「じゃあ、お昼過ぎくらいで」


 十二時半と約束を取りつけ、連絡先も交換した。


「お母さんの体調も心配だし、あんまり時間は取らせないようにするつもりだ」

「平気ですよ。すぐ死ぬような病気じゃないので」


 これまたあっさりしている。形式的に「お母さま」と呼んでいるだけで、関係はぎくしゃくとしたものらしかった。


「あ、そうそう、これは昨日のお礼ね」


 私はフルーツゼリーの箱を台の上に乗せた。


「……ありがとうございます」


 花乃は深く頭を下げた。



 私は再び秋乃の部屋に入った。


「秋乃さん、明日なんですが、花乃さんをちょっとお借りしてもよろしいですか? うちの屋敷で手伝ってもらいたいことができたんです」

「ええ、どうぞ……。日守さんのお願いなら、いくらでも……」


 秋乃は開いているのか怪しいくらいの薄目をしていた。


「わたくしが、もっとしっかりしていれば、このような醜態を晒さずに、済んだのですけれど……」

「病気ばっかりはどうしようもないですよ」

「本当に、申し訳ありません。あの子が日守さんの、お役に立てるのでしたら、嬉しいのですが……」

「うちの親父とはそんなに深いつきあいをしていたんですか?」

「ええ……」


 秋乃の目が少し開いた。


「実は、誠次さんには、生活の援助をしていただいて……」

「ほう」


 まったくの初耳だった。


「誠次さんはずっと前から――うちの人が死んでからも――事あるごとにわたくしたちを助けてくださいました。桃山家が続いているのも、誠次さんのおかげなんです……。あの方がいなければ、わたくしはきっと、花乃と心中していたと、思います」


 そこまで生活が苦しかったのか。

 父は人助けをしていることなど、おくびにも出さなかった。


「ですから、あの子にできることがあれば、どんどん言ってやってください……」


 うまい返事が出てこなかったので、頷くだけにとどめた。


「それでは、これで帰ります。お大事になさってください」


 ありがとうございます、と秋乃はゆっくり言った。


 花乃は玄関の上がり口に座っていた。


「ぼくはこれで帰るよ。また明日、よろしくね」

「期待に応えられるかはわかりませんけど」

「それは心配しなくていいさ。見えなかったら、清吾の生存に希望が持てるし」

「会うの、まだ二回目ですよね。どうしてわたしを信じようと思えるんですか」

「昨日のは、ぼくにとってものすごいインパクトがあったからだよ。君は信用できる」


 花乃はムスッとした顔をする。


「なんか、口説かれてるみたいで嫌な気分です」

「……ごめん」


 調子に乗って軽口を叩きすぎてしまったか。


「まあ、まずは明日の結果次第だ。またね」


 私は桃山家を出て、車を止めてあるスーパーへ向かった。途中で振り返ると、花乃がずっと、私に向かって頭を下げっぱなしにしているのが見えた。


 ああいう手のかかりそうな学生は、嫌いではない。

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