2-3 弟の行方は
「犯人はどうして善光寺の南を選んだんでしょう?」
「うむ、それはおれも思ったんだ。なんせ、参道は君んとこの屋敷から徒歩で行けるほどの距離だろう。そんな近い場所で受け渡しをやろうなんて妙じゃねえかって話は捜査本部でもしてたんだ」
「母を取引相手に選んだことと関係がありそうですね」
母は運動が得意な人間ではなかった。幼い私が見ても細いと感じたくらいだ。封筒を奪い取って逃走するにはやりやすい相手だったろう。
「母は……自動車免許は持っていませんでしたよね?」
他人にこんな質問をするのはどこかおかしい。
「そうだな、取得してねぇ。親父さんは電話待ちだから出られねえだろ。最初は秀信さんが運転して送ってくって計画になってたのよ」
「でも、そうはしなかった」
「んだ。小春さんが歩いてくって言い張ったからな」
「どうして?」
「車ってのは、外からだと見えねえ場所の方が多いだろ」
「確かに」
「だから、協力者はだぁれも連れてきてねぇよってのを向こうにアピールするって意味合いがあったんだ。おれは小春さんの姿勢に泣きそうになっちまった。おっかなかっただろうし、歩いてるうちに不安だってどんどん大きくなってったはずだ。でも堂々と歩いて行った。うう、それなのにおれらが無駄にしちまったんだぁ」
片山さんは今にも泣き出しそうな顔をしている。年を取ると涙もろくなるというのは事実なのかな。
「しかし……母を相手に選ぶことで、必然的に父が家に残るようになりますね。父は猟をやっていて腕っぷしも強かったから、金を奪うには手強い相手だったと思います。相手はうちの家族をよく知っている人間だったんでしょうか」
「下調べはしてあったはずだなぁ。なかなかの金持ちで、小さい子供がいて、両親と子供が二人ずつの四人家族。やりやすいっちゃやりやすい相手だ」
「受け渡しが成功したら、どうやって逃げるつもりだったんですかね」
「仲間がいたんじゃねぇかと、おれは考えてんだ。南の通りには十字路があんだろ。警察の注意は通りに集まってっから……」
「なるほど、奪った勢いで走っていって、流しておいた車に飛び乗って逃走する」
「できないことじゃねえ」
「でも、失敗する確率の方が高い気がします」
「うんむ……」
しばし、私達は黙り込んだ。
いま私が出した仮説では、清吾を返す時間的余裕がない。犯人は本当に清吾を返すつもりがあったのだろうか?
もしかして、最初から清吾を連れ去ることが目的で――いや、これは現実的な発想ではないな。
清吾は普通の子供だった。
目立つような特徴は持っていなかった。
強いて言えば、兄の私より発育が良かったくらいだ。歩けるようになるのも、走れるようになるのも、清吾の方が早かった。事件の時点で、身体能力は清吾が勝っていた。それくらいである。
そんな幼児を、身代金目的以外で誘拐する理由とは一体なんだ。
私は、恐れずに次の質問をぶつけてみた。
「片山さん、容疑者リストに挙がってた人の名前って教えてもらえますか」
「む、それは……」
「やっぱり、まずいですかね」
片山さんはまたしばらく黙った。
「何人かは挙がってたが、みんな犯人にするには決定打がなかった。だから、こいつばっかりは教えられねぇかなぁ……。その人と竜吾君の間に余計な軋轢ができんのも、おれとしては望んでねぇし……」
歯切れが悪くなった。さすがに個人情報だから、慎重になる気持ちはわかる。
私は無理に押そうとせず、話を変えた。
「じゃあ、別の質問を。――片山さん、清吾はもう死んでると思いますか」
「う、む……どうだろな……」
片山さんは、この問いかけにも苦しそうな顔をした。
「遠慮なく言ってください。ぼくは色んな意見を集めたいので」
「そうか……。そうだな、清吾君は、もう駄目な気はする……」
「やっぱり」
「取引が失敗した時点で、清吾君の価値はなくなってる。だから、あとは消しちまうのが自然な流れだ……」
「顔を見られているかもしれないですしね」
「ああ……」
なんだか、片山さんを責めているような気がしてきた。
そろそろ引き上げるべきだろう。
私はソファーから立ち上がった。
「片山さん、今日はありがとうございました」
「帰るのかい」
「はい。親父の具合も心配ですし」
気にしてないくせに、と心の中で声がする。自嘲的な笑みが浮かぶのをこらえた。
「親父さん、だいぶ体だめにしちまったってね。まだ若いのに」
「それでも、今年で六十四ですよ」
「今の時代じゃ、六十なんてまだまだ若いってもんよ。腕のいいハンターだって聞いたがね、病はどうしようもないんねえ」
「本人も諦めてますし……」
挨拶をして家を出る。
片山さんは門まで見送りに出てきてくれた。彼の歩き方はしっかりしたもので、父よりよほど頑丈そうだった。年齢よりも年の重ね方が重要なのだろうな、と私は思った。
「他に聞きたいことがあったら、いつでも連絡くれやな。このまま風化してくのも切ねえもんだしよ」
「ありがとうございます。それじゃ、また」
もう一度頭を下げて、私は片山家を後にした。
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