1-5 桃山花乃
ピン、ポーンとインターホンが鳴った。
「あ、はーい」
由希さんがすばやく立ち上がり、応対に出ていく。
彼女はすぐ戻ってきた。不審げな顔つきに変わっている。
「どうかしたんですか?」
「いや、なんか、巫女服の女の子が来てるんだけど……」
「巫女服?」
唐突な言葉に、うまく返事ができない。
彩香さんと健作さんも顔を見合わせている。
「そんな知り合い、兄さんにいたかしら」
「さあ、どうだったかな」
二人の顔が私に向いた。
「竜吾君の知り合いじゃないの?」
「まさか、まったく心当たりありませんよ。そもそもこっちに年下の知り合い自体がいませんし。――由希さん、その人はなんて言ってきてるんですか?」
「誠次さんに会わせてくれって」
ますますわけがわからない。
「ぼくも会ってみます」
立ち上がって玄関に出た。
確かに、巫女服の女の子が立っていた。
艶やかなロングストレートの黒髪が、紅白の衣装とよく似合っている。やや伏し目で、眠たそうにも見えた。小さなハンドバッグを右手に持っている。
「はじめまして……」
暗めの声で言い、女の子が頭を下げた。
「初めまして、日守誠次の息子です。父のお知り合いですか?」
「いえ、わたしではなく、母が誠次さんと仲良くさせてもらっていたそうです。わたしの母も病気で寝たきりになっているので、代わりに御挨拶をしてきなさいと言われました……」
「それで、そんな格好を?」
相手は自分の服装を見直した。
「一応、正装のつもりなんですけど……」
「ええと、お名前は?」
「モモヤマカノと申します」
漢字を教えてもらう。桃山花乃。
聞き覚えのない名前である。桃山という名字もさっぱりだ。
私達の知らない、父の知り合い。女性。
まさか、不倫相手だろうか?
目の前の女の子はその相手と父の間にできた子だとか。
いやいや、妙なことを考えてはいけない。
門の向こうにタクシーの背中が見えるので、待ってもらっているに違いない。さほど話し込むつもりはないと見た。
「由希さん、親父に会わせてもいいですよね?」
由希さんはこめかみに指を当てた。
「まあ、いいんじゃないかな」
私は花乃に向き直ると、
「じゃあ、こちらへどうぞ」
家の中へ招き入れた。
†
桃山花乃は狼の人形を見ても驚いたりはせず、淡々としていた。
「これ、気にならない?」
「別に……」
人形を指さしても気のない返事をするだけだ。
いくらなんでも無気力すぎる。母親に押しつけられて嫌々来たのでは、とつい勘ぐりたくなる。
中座敷に入ると、父は変わらず横になっていた。
「親父、起きてるか」
「おお……」
「お客さんだよ」
「客……?」
父は頭を上げようとしたが、すぐに力尽きて諦めた。
桃山花乃は私の隣に座り、軽く頭を下げた。
「初めまして、桃山花乃と申します。桃山アキノの娘です」
大きな反応があった。
父は目をカッと見開き、花乃の顔を凝視したのだ。
「……アキノ……」
「の、娘です」
「ああ、そ、そっくりだ……。かか、彼女はどうしたんだ……」
「母は病気で動けないので、わたしが代わりに来ました。誠次さんにはとてもお世話になったので、御挨拶に行かなければ失礼になると言われまして」
「そうか……アキノも同じなのか……」
父は納得したように、首を小刻みに動かした。
とてもお世話になった、というが、私には心当たりがなかった。この数年の間に知り合った仲ならば、娘が「初めまして」と言うのは妙だ。
「アキノには、こちらから礼を言わなければならん……。こちらこそ、本当にありがとう、感謝していると、伝えてくれないか……」
「はい」
冷たい返事だ。
ふと横を見ると、花乃は父の顔を見ていなかった。父の頭の向こう、座敷の隅っこの辺りに視線をやっている。まばたきもせず、じっとそこだけを見ている。
「おい……」
いきなり呼ばれ、私は花乃から目線を外した。
父は目をちゃんと開いて、私を見ていた。目尻に涙がにじんでいるように見えた。
「なんだい」
「桃山さんには、色々とお世話になったんだ……。いつでもいいから、お前も、桃山さんの家に、行ってくれ……。見舞いの菓子でも持ってな……」
当たり前のように言われても、疑問しか湧かない。
「それなんだけど、ぼくは桃山さんを全然知らないんだよな。いつ知り合ったんだ?」
「ずっと昔だ……。お前が生まれるより前から……」
「そんなに前から? だって親父、一言も桃山なんて名前を出したことがなかったじゃないか」
「言う機会がなかった、だけだ……」
私達が話している横で、花乃は座敷の奧に視線を固定している。
部屋の隅には重なった座布団しか置かれていない。彼女の興味を惹く物はないはずなのだが。
「とにかく、近いうちに、アキノの様子を、見て来てくれ……」
「はあ……」
私はとりあえず頷いておいた。急に妙なことを言い出すのは父の癖だ。慣れているし、今となっては懐かしさすら覚える。
「そろそろ帰ります」
いきなり花乃が立ち上がった。
「誠次さん、お大事になさってください」
「そうだな。もう、長くはないだろうが……」
一礼し、花乃は部屋を出ていく。何から何まであっさりしていた。
私も廊下に出る。
花乃は玄関でゲタを履いていた。
「あの、桃山さん」
花乃が振り返って、睨むように私を見る。
「近いうちに親父の代わりにお見舞い行くから、病院を聞いてもいいかな」
「母は家にいます」
「あ、そうなんだ。じゃあ、できれば家の場所を……」
花乃はハンドバッグからメモ帳を取り出し、靴箱の上で文字を書き始める。目の前の人形を気にするそぶりも見せない。
ペンを止めてページを破ると、突き出してきた。桃山秋乃という名前と住所、家の特徴が書かれていた。
「じゃあ、近いうちに――」
「あの、かわいそうだと思わないんですか?」
唐突にそんなことを言われ、私は硬直した。
花乃は明らかに怒っている。無気力そうな表情はどこかに消えていた。
「……かわいそうとは?」
「お座敷にいた子供達のことに決まってるじゃないですか。信じられないです、まるでいないみたいに扱われて。すごくかわいそう……」
「はい?」
お座敷にいた子供達?
座敷に子供なんていたか?――いやいなかった。
そもそもこの家には子供なんていないのだ。日守家の家系図は私で止まっている。私が誰かと子供を作らない限り、広がっていかない。私と清吾が、この屋敷で生まれた最後の子供なのだ……。
「あのさ、座敷に子供なんていなかったよ」
花乃が眉を吊り上げた。
「そこまでして無視しなきゃいけない理由があるんですか?」
「いやいや、だから子供なんてこの家にいるわけがないんだよ。僕と双子の弟以降は誰も生まれてないんだから。親戚の子供だって来てないし」
「……だって、座布団の横に、確かに二人いました……」
深刻そうに言うので、ふざけているとは思えない。
座敷の光景を思い返してみる。
――やっぱり、誰もいなかったよな。
これは確かだ。断言できる。近所の子供がふざけて入り込んだなんてこともない。
絶対に、中座敷には、私と父、花乃の三人しかいなかった。
「疲れてるんじゃないの?」
「違います。絶対にいたんです。黄色いポロシャツの男の子と、青い長袖シャツを着た男の子が並んで座ってたんです」
「――――」
返事ができなくなった。
花乃の言葉は、私から声を奪うのに充分な破壊力を持っていた。
黄色いポロシャツと、青い長袖シャツ。
どちらも、私の記憶にある服だった。
一冊のアルバムに、二つとも収められていた。
日守高明は、事故死する直前に写真を撮られている。撮ったのは父だ。庭で遊んでいる何気ない一枚だった。そこで高明の着ている服が、黄色いポロシャツだったのだ。
そして、青い長袖シャツは、誘拐された日に清吾が着ていた服だった。アルバムを見るまでもなく、私がちゃんと記憶している。
「あの」
呆然としていた私は、花乃の声で我に返った。
「すごい汗かいてますけど……」
額に触れてみると、確かに汗が噴き出していた。
「君の話が冗談に聞こえなくてさ」
「だから、冗談じゃないって――」
「ぼくには見えなかった」
「え?」
「君の言ってる二人の子供が、ぼくには見えなかったんだ」
しばしの間があった。
花乃の顔はどんどん青ざめていった。
彼女はぱくぱくと何かを言いかけたが、どれ一つとして声にならないようだった。
やっと吐き出したのは、
「あ、あの、わたしもう帰ります」
そんな慌てた言葉だけだった。
彼女は私に背を向け、ゲタを激しく鳴らして出ていく。
引き留める間もなかった。
私はサンダルをつっかけて外に出た。門を抜けて道まで追いかけたが、すでにタクシーは発車したあとだった。
「おーい! ちょっと待って!」
叫んで手を振ってみたが、タクシーは止まってくれなかった。
タクシーが街路の向こうに消えると、私は諦めてすぐ門の内側に入った。日守誠次の息子まで馬鹿みたいに騒いでいると近所の人に思われたくないからだ。
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