第5話
魔法使いの世界から戻ってきた時にはすっかりお腹が減っていた。あれだけケーキやマカロンを頬張っていたにゃん丸も空腹で機嫌が悪い。
「綾瀬さん帰っちゃったかな」
しんとした校内はどこか不気味な空気だ。
まだ職員が残っているのか、校内の電気はかろうじて付いている。
「にゃん丸のこと探してたりしない?」
「知らないにゃん。綾瀬は嫌いにゃん」
喧嘩は引きずるタイプかー、と心の中で呟いてから、リュックを取りに教室へ向かう。
瑛介の教室はまだ電気が付いていた。
「誰かいるかもしれない」
小声でにゃん丸に囁くと、にゃん丸はピタッと話すのを止めた。動かなくなると完全に抱き枕だ。
「瑛介」
教室に残っていたのは諒だった。
「諒。探してた」
「どっちかって言うと俺が探してたんだけどな」
ヘラリと笑ってみせると諒は瑛介の腕に抱かれた抱き枕を見つめる。
「瑛介、そんな趣味あったっけ?」
「いや…………拾った」
「嘘つけ。相変わらず嘘つくの下手だよな、瑛介。せっかくポーカーフェイスなのに」
諒はにゃん丸の耳をぴこぴこと弄ぶ。
「それよりさ、腹減らね?」
「あー……俺、ちょっと行かなきゃいけない所あるから。」
このまま家へ帰ってしまうと、にゃん丸を誘拐したことになってしまう。にゃん丸はそれでいいかもしれないが、恐らく綾瀬は探しているだろう。
「どこ?着いてくよ」
「いや、いいよ。一人で行きたい」
「頑なだなあ」
普段なら着いてきて貰っていたかもしれない。
ただ、ファム・ファタールの宝石の話を聞いてしまった以上諒を魔法使いに会わせる訳にはいかなかった。
「なんか瑛介、俺に警戒してない?」
「全然。気にし過ぎじゃないの。それよりさ、ちょっと聞きたかったんだけど。前に母親を生き返らせるとか何とか言ってたろ」
「ああ、あれ。瑛介もその気になってくれた?」
諒がまたあのギラついた目を向ける。
「どうやって生き返らせるのか、方法だけ気になって」
嘘がバレやすい以上、なるべく本当のことを言った方がいい。目は逸らさずに、表情はそのままで。
「命の宝石があるんだよ。魔法使いが作ったらしい」
「命の宝石」
やっぱり諒が探しているのはファム・ファタールの宝石だった。
ガネーシャが項垂れる姿が脳裏に浮かぶ。
「どこにあるのかはまだ分かって無いんだけどな。でもあるのは確実らしい」
「なんでそんな物があるって知ったんだよ」
諒は一度手を唇に当てて考える素振りをすると、口元だけでにやりと笑って見せた。
「瑛介にだけ教える。実は俺の父親が教えてくれたんだ」
「学長が?何で知ってるんだよ」
「そこまでは知らないけどな。俺もこの話はつい最近知ったんだぜ」
「そうか……」
どうやらファム・ファタールの宝石を探しているのは諒ではなく望月学長が主体らしい。
「何に使うつもりなんだろう」
「さあ、何だろうな。そこまでは興味ねえよ別に」
「嘘くさいけどな。そんな物本当にあると思えないし」
これで興味を削いでくれれば、と淡い期待を抱くもその期待は即座に打ち消される。
「宝石と魔法使いの存在は絶対だぜ」
「妙に確信してるんだな」
「この宝石を他に探してる魔法使いがいるらしいからな。そいつらから直接話を聞ければ苦労ないんだけど」
諒もどこからかその情報を仕入れているようだ。
スクール鞄を肩に掛け始めた諒を見て、慌てて声をかける。
「あのさ、その宝石ってなんて名前?」
もしかしたら何か別の宝石の話をしているかもしれない。いや、そうであって欲しい。
「ファム・ファタールの宝石」
ああ、と小さく溜息をつく。
心なしかにゃん丸の尻尾が少し動いたようにも感じた。
「嫌な名前だな」
「そうかな、俺は結構好きだぜ。じゃ、俺もう腹減って死にそうだから先帰るわ。瑛介用事あんだろ?」
「ああ、うん。また明日」
ほんの数分しか話していなかったのに、緊張のせいか手汗をかいていた。
瑛介の性格上、探りを入れるなんて苦手分野なのだ。一呼吸してから教室を出る。
「綾瀬さんどこだろう」
「蝶子の店じゃないかにゃあ。何弾こうかな、とか言ってたの聞いたにゃん」
そういえば蝶子に夜来るように綾瀬に話していたのは聞いた記憶がある。
窓の向かいにある渡り廊下を梶が歩いているのが見え、瑛介はこっそりと梶とは反対の中央階段へ向かった。
綾瀬はにゃん丸の言う通り、蝶子の店にいた。
夜の蝶子の店には昼とは違いちらほら客が見える。木造の天井から吊るされたいくつかのランプだけが店内を照らしている為、間接照明に囲まれたピアノが置かれた奥の壇上が一番明るく見えるようになっていた。
瑛介が店に入った時に扉の上に付けられた小さな鈴が音を立てたが、客は皆料理や演奏に集中しているのか誰も瑛介の方を見なかった。
綾瀬は何かの映画の主題歌を弾いていた。
奥のカウンターは吊るされたワイングラスが照明を照り返してほんのり明るい。
カウンターを目指して歩く最中に客のテーブルを盗み見ると、昼間に見たミックスフライ定食の姿はなくアボカドとサーモンのサラダやら鶏肉のトマト煮込みやらがランプの光を受けてツヤツヤと光っていた。瑛介の空腹が余計に刺激されてぐぅ、と音を立てる。
「あっらー! 瑛介ちゃんじゃないの。よく来たわねえ。杏ちゃんに用事?」
相変わらず繊細なフリルが施されたワンピースで蝶子はカウンターの奥から現れた。夜だからかワンピースの首周りには大ぶりのラインストーンがその存在感を放っている。
「そうなんですけど、俺も何か食べさせて貰えませんか。お腹が空いちゃいまして……あ、あとにゃん丸にも」
瑛介の腕に抱えられたたままのにゃん丸は、客がいることを気にしてか声を出さずに瑛介の腕をペシペシと叩いた。
蝶子はニッコリと破顔すると、
「待ってて! 美味しいもの作っちゃうわ」
とカウンターの奥へと引っ込んで行った。
「相変わらず注文は聞かないんだな」
小声で少し笑った後、拍手が一斉に響く音で瑛介はピアノの方を向く。
綾瀬が演奏を終えて一礼していた。顔を上げた時に瑛介の姿を見つけると、綾瀬は瑛介のテーブルへと歩き出す。
間接照明の光のせいかその顔は艶めかしくも映る。
「瑛介くん来てたんだね」
「にゃん丸を届けようと思いまして」
「ああそうか、瑛介くんと一緒にいたのか。随分捜して今日は講義すっぽかしちゃったよ」
はははと笑う綾瀬は全く悪びれる様子がない。
「にゃん丸と喧嘩したらしいですね」
当のにゃん丸はテーブルの上でじっと抱き枕を演じているらしかった。
「そうなんだよね。にゃん丸、変なこと言い出すからさ」
ピクリとにゃん丸の折れた右耳が動いた。
にゃん丸がいない所でこの話題を振るべきだったと瑛介が後悔したところで、蝶子が料理と共に姿を現した。
「お待ちどうさま。今日はカニクリームコロッケとサニーレタスの海藻サラダよ」
「あくまで揚げ物?」
不満そうな綾瀬をポカッと殴ると、
「男の子はカロリー摂取よ! 杏ちゃんも瑛介ちゃんも細いんだから」
「男の子じゃないんだけど……」と漏らす綾瀬を無視して、蝶子はにゃん丸を抱えてカウンターの方へと引っ込んで行った。
「にゃん丸、なんて言い出したんですか」「嫌な予感がする、ってさ。あらかたあの石のことだとは思うんだけどね」
カニクリームコロッケを割ると、柔らかなクリームと大袈裟なくらいの湯気が皿の上で踊った。
「宝石のことだと分かってたんですか?じゃあ聞いてあげたら良かったじゃないですか」
「あの石のこと、誰かから聞いたんだね。俺はあの石は存在しないと思ってるんだ。どうせ誰かが作り出した都市伝説だろう」
「嘘ですよね」
サラダに目を向けていた綾瀬が瑛介を見つめる。
「ファム・ファタールの宝石は実在する。綾瀬さんだって、人を生き返らせる方法があることを知ってましたよね」
しばらく綾瀬は瑛介を見つめたまま沈黙を貫いていたが、カチャリとフォークを置いて口を開いた。
「確かにあの石は実在した。でも、もうその石は壊されたはずなんだよ。製作者の手によってね」
「でも、宝石がまだ現存するって信じてる人は沢山いますよね」
「大半の人が信じていることが真実だとは限らないだろう。俺はあの石は消滅したと信じてる。君に人を生き返らせる方法があるか聞かれた時確かに俺は否定しなかったけど、今でもその方法が現存するとは一言も言ってないからね」
瑛介が黙ったことで、二人は黙々とカニクリームコロッケを食べ始めた。
「石の話は誰から聞いたんだい?」
次に綾瀬が口を開いたのは、珍しく少食の綾瀬がコロッケを食べ終わった時だった。
「ガネーシャさんです。綾瀬さんとは旧知の仲らしいですね」
「そうか、ガネーシャに会ったんだ。あの顔に驚いたろう」
「容姿については俺は人のこと言えないので」
額にかかる前髪を見上げてそう答える。
「二人とも魔法使いなのに、こっちで知り合ったらしいじゃないですか」
相変わらず柔和な笑みを浮かべて綾瀬は頷いた。
「ガネーシャはあの姿になるまでは人間の世界でひっそりと料理人をしてたからね。今はそれは叶わないからあっちに住むことにしたみたいだけど」
「二人が出会った時の火事で綾瀬さんは火傷を負わなかったんですか?ガネーシャさんは綾瀬さんが無傷だったことから火事の時に現場にいなかったと思い込んでいたみたいですけど、実際は現場にいたんですよね」
「何だか尋問されてるみたいだなあ。確かに俺は火事の現場にいたよ。今はもう廃ビルになってしまったけど、俺は当時とあるビルの五階にいた。ガネーシャは一階のバーでバーテンダーをしていたよ」
「綾瀬さんは五階で何を?」
綾瀬の顔にはもう笑みは浮かんでいなかった。
「何だろうね」
蝶子がお腹が膨れて眠ってしまったにゃん丸を運んで来たところでその話は終わってしまった。
家まで送ろうかと綾瀬が声を掛けたが、一人で考え事をしたかったので瑛介は断って先に店を出た。もしかしたら綾瀬はあの話の続きをしようとしていたのかもしれない、と思う時には既にその足は家の玄関へとたどり着いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます